〈はじめに〉
娘との約一年半の中学受験に取り組む日々は壮絶なものでした。あまり多くの方の参考にはならないかもしれませんが、一つの記録として記させていただきたいと思います。
【ご参考】 娘の受験校は以下の6校でした(☆:合格校)
☆滝中学校(四月からの進学先)、☆南山中学校女子部、☆愛知淑徳中学校、☆中部大学春日丘中学校(特奨A)、☆金城学院中学校(スカラーB)、☆名古屋女子大学中学校(特奨)
〈入塾のきっかけ〉
入塾のきっかけは、コロナ禍で様々な活動が制限される中、充実した過ごし方ができなかった五年生の夏休みでした。夏休みの宿題に意欲的に取り組むこともなく、また部活動の練習もなく、放課後、児童クラブで人と接することもなく、ただ毎日、家で任天堂スイッチ、タブレットゲーム、YouTube、漫画、テレビ……の無限ループ。特にゲームへの執着心は強く、約30分/日という時間制限に対し、「時間が短い、みんなもっとやっている、なぜ自分だけできないのだ」と暴れて泣き叫び、母親の私自身も感情を抑えきれず怒鳴り散らす毎日で、母娘関係は最悪な状態でした。
また、思春期に入り学校の友達関係に悩んでいたようで、低学年の時のような積極的な姿勢は見られなくなっていました。2学期の運動会や林間学校についても「中止になればいいのに」などと後ろ向きな言葉を発するようになり、「小学校で一番楽しいはずのイベントも楽しみにできないほどの状態にあるのか」と、親としては非常にショックを受けました。
「コロナがなければ、せめて部活動があれば、人と接する時間や活動があれば……」とやるせない思いが募る一方、「娘ならもっと力を発揮できるはず、もっと自信をつけられるはず」という思いで、この苦しい日々から抜け出す方法はないかと悶々と悩む時を過ごしていました。
夏休み終盤に入ったある日、娘の祖母(私の実母)から「名進研に通ってみるのはどうか、塾の友達から刺激を受けて何か変わるきっかけになるかもしれないし、中学受験をして中学校から環境を変えるのもいいかもしれない」と提案を受けました。もともと私としては、娘は公立中学校に進学するものと思っており、中学受験は正直全く頭にありませんでした。私自身がフルタイム勤務で残業もある中、塾の送り迎えや勉強のサポートにかける時間的余裕はなかったため、選択肢から無意識に除外していました。ですが、「もし挑戦するなら自分も手伝うから」という実母の言葉に背中を押され、母娘のこの苦しい状況を打開できるのなら、とすがるような思いで名進研の入会説明会に申込みをしました。
入会にあたり3つの目的を意識しました。①やることを作って目標をもって過ごす。②前向きさ・積極性を取り戻す。③ポストコロナ(となるであろう)中学・高校生活を生き生きと過ごす。あくまでも①②を目指し、結果として③のためには私立中学がベストな選択と判断すればそのまま進み、そうでなければ方向転換して高校受験コースに切り替えてもいい。まずは中学受験の切符だけは持たせておこうという思いで、名進研生活をスタートさせました。
〈五年生・後期(九~一月)〉
入会当初は娘も緊張して集中して授業に臨んでいたのでしょう、また、公文式で約6年間、毎日、計算と文章読解に取り組んでいたためでしょうか、十月の初めての実力テストの偏差値は60という結果でした。先生方は驚かれていましたが、母も娘もその数字の意味をよく理解していない状態でした。
娘は塾での勉強は特に嫌いでもなく、かといって夢中になって取り組むこともなく、なんとなく塾に出席し、宿題をやっているだけのように見えました(力の発揮度:30%程度)。次第に、娘としては「学校の友達は自由にゲームをしているのに自分だけなぜ…」という思いが膨らんできて、暴れては泣き叫ぶことも増えてきました。また、塾の宿題がやり切れず、先生に怒られることを恐れて塾に行き渋り、欠席することも多々ありました。その度に、先生方には電話で状況をお伝えし、出席しやすい雰囲気を作っていただくようなご配慮をいただきました。
そのような調子で、その後の実力テストでは初回ほどの成績が出ることはなく、偏差値は55前後で推移しましたが、目的①については、目の前にゲーム以外のやることができ、少し充実した時間を過ごせるようになってきました。学校の先生からも、塾に通うことでいい変化があったという言葉をいただき、この道で間違っていなかったのかもしれないと、少しホッとしたことを記憶しています。
この時期はまた、様々な学校説明会に母娘で参加し、情報収集をしました。母親としては私立中学校の環境の素晴らしさを初めて知り感銘を受けましたが、娘はさほど強い関心を示しませんでした。説明会の行き帰りでもゲームの話ばかりで、あえて中学受験から話をそらすような様子も感じられました。それでも、家では時々、学校パンフレットを開いては、「ここの制服はかわいい」「部活がたくさんある」などと、少しずつ興味を広げているような様子もありました。
〈六年生・前期(二~六月)〉
六年生前期がスタートすると、娘も少し気持ちが切り替わり集中して取り組んだためでしょうか、三月の最初のプレ中では再び偏差値60を超えました(力の発揮度:40%程度)。
五月のGW特訓では、名駅校への行き帰りを通して同じ所属校の友達との交流が深まり、非常にうれしそうでした。講義の内容もよく理解できたようで、娘としては自信がついたようでした。
しかし、連休明けからは、学校のクラスの友達に恵まれたこともあって、「もっと一緒にゲームがしたい」という気持ちがより強くなり、次第に「塾がだるい」「受験はもうやめる」と言うことが増えました。プレ中に行く度に、「これが最後のプレ中か……」などと言うようにもなり、親としては本気で受け止めてここで中学受験をやめるべきか、もう少し様子を見て続けるべきか、非常に判断に迷いました。
六月には、中学受験をやめる場合を想定し、地元の公立中学校に直接お願いをし、娘と一緒に学校見学をさせていただきました。また、もともと娘が興味のあった競技かるたの団体への参加を決めたのもこの時期でした。競技かるた部のある私立中学校も多くあるため、中学受験への興味・関心が深まることを期待したためです。本人にとっていい道を見つけるために、やれることはとにかく何でもやってみようとあがいていました。
〈六年生・夏期講習(七~八月)〉
中学受験をやめるか続けるか……判断ができないまま時が過ぎ、夏期講習の申込み締め切りギリギリのタイミングで娘と以下の約束をしました。
・とりあえず夏期講習には行く(五年生の夏休みのようにダラダラと過ごされては困る‼)
・ただし、重点志向で、できていない単元の講義に絞ってがんばり、できている単元の日は休んでもいい
・夏期講習が終わった後、自習室へ行かなくてもいい
・中学受験をするかしないか、夏休み中の学校見学を参考にしてよく考えて、八月末までに結論を出す
結局、夏期講習を休むことはほとんどありませんでしたが、夏期講習の後に自習室へ行くことは、約束通り一切ありませんでした。家に帰ってきたら必ずゲームをし、宿題もただやるだけか、まじめにやっていない部分もあったようです(力の発揮度:30%程度)。一番大事な夏休みに……と不安に思う気持ちもありましたが、「最後の追い上げが効くタイプですよ」という所属校の先生のお言葉を信じて、我慢して見守りました。夏休みの総仕上げテストの結果としては、案の定、偏差値は53まで低下しました。
夏休み終盤には中学受験をやめる寸前まで来ていました。高校受験に切り替えるなら、本人にとって名進研がいいか他の塾がいいか、本気で情報収集しました。内申点の比重が高い公立高校の受験では、運動も苦手で手先も不器用で、また地道な努力をするよりも楽な方に進みがちな性格の娘は不利になることは目に見えていましたが、そのような事情も本人によく伝えていたので、もうここまで来たら本人が決断した道に進めばいいと覚悟を決めていました。
〈六年生・後期(九~十二月)〉
夏休みの終わり、娘は中学受験をすることを決断しました。ところが、頑張ろうとしていたその矢先、娘は運悪くコロナにかかって療養することになりました。出鼻をくじかれ、塾に出席できず、もうダメだと思ったのでしょうか、療養中、娘は「もう受験はやめる」と再び暴れました。親としてはもう疲れ、呆れ、動揺するばかりでした。
コロナ療養終了の直後に第1回南女プレを受け、その直後には修学旅行に行き、怒涛の九月を過ごした後、ついに娘のエンジンはかかり始めました。きっかけはおそらく第1回南女プレで合格判定20%以上、十月初めのプレ中で愛知淑徳の合格判定80%以上という数字を目にしたことだったのではないかと思います。「これは勝機がある」と娘自身が確信し、やる気が出たのではないかと思われます。
十月からは、あれだけ執着していたゲームも本人自らパタリとやめました。親としても、あと4か月の過ごし方をサポートするため、毎週のTODOリストと1週間の予定表を娘と作り、毎日一緒に進捗をチェックするようにしました。小さな丸いキラキラシールをTODOリストに貼って視える化することにも取り組みました。幼い子へのご褒美シールのようなやり方ですが、娘にとっては意外と効果があったようです。
力の発揮度は十月に約60%、十一月に約70%、十二月に約80%、冬期講習・正月特訓で90%と、どんどん集中度合いを高めて向き合うようになっていきました。とはいえ、次の行動への気持ちの切り替えがうまくできず、ちょっと休憩と言っては10分のつもりが30分以上過ぎてしまうことも多々ありました。また、例えば漢字の間違い直しなど、できないところを自ら丁寧に何度も繰り返してできるようにするような緻密な作業は見られませんでした。出された宿題をただこなしているだけでしたが、それでも、以前に比べれば集中力が高まっているため、吸収・定着する知識量は格段に増えたようでした。結果、最後3か月のプレ中の偏差値は59前後まで回復しました。
〈六年生・入試直前/本番(一~二月)〉
最後の入試日程が終わるまでの約3週間、娘は学校を休んで追い込みをかけました。丁寧に何度も繰り返し書いて覚えるというような緻密な作業も、この時期はさすがにするようになっていました。それでも、家では相変わらず集中しきれず、気持ちが入らない場面も多くありました。親としては、本番直前にもかかわらず目標に向かって集中していないように見え、イライラが募り、言ってはいけない言葉を投げかけたり、感情を抑えきれ切れず爆発したりする場面も多くありました。思えばまだ十二歳の子どもで、大きなプレッシャーや恐怖に立ち向かって一生懸命頑張っていたのだと思います。母親としてそのような態度を示したことは本当に情けなく、娘には申し訳ないことをしたと悔やんでいます。
南山女子の合格発表の日、娘は朝から勉強も手につかない状態で郵便を待っていました。手にした結果は無情にも不合格。娘はしばらく悲しみをこらえ我慢していたものの、抑えきれず大泣きしました。受かるかどうかは五分五分の感触だった本人としては相当ショックだったのでしょう、半日立ち直ることができませんでした。その2日後、愛知淑徳の合格通知をいただき少し自信を取り戻し、そこから滝中学の入試までの3日間ここだけは約95%の力を発揮して最後の試験に立ち向かいました。結果は見事合格。本人は本当にホッとした様子で、滝中学に行けることを喜んでいました。
滝中学の合格発表の翌日は南山女子の繰り上げ合格通知の予定だったため、万が一に備え娘と話し合いましたが、本人は滝中学に行きたいとのことでしたので、もし電話をいただいても辞退させていただくことにしました。繰り上げ合格通知の当日、いつもの夕食中、電話が鳴る可能性すら忘れかけていた時、突然電話が鳴りました。まさかの繰り上げ合格の連絡でした。あまりにも動揺したため、即答で辞退を伝えることはできず、「今すぐお返事しなければならないでしょうか?」と咄嗟にお聞きしました。すると、20分間の猶予をいただけることになりました。その20分間は究極の選択の時間でした。「このような機会はなかなかないから南山女子に行った方がいい‼」「通学時間が短い‼」「繰り上げ合格も合格と同じ‼」「もう1回別の内容で試験をやったら結果は違っていたかもしれない、力の差は紙一重だったんだ‼」などとあの手この手で説得しましたが、娘の意志は固く揺らぐことはありませんでした。「滝中学に行きたい」、娘はそう言い、20分間は終了しました。親としては、何とも言えない喪失感・脱力感と、娘自身が選びきったという頼もしく喜ばしい気持ちに包まれました。
〈最後に〉
結果として全勝合格を勝ち取り、所属校の先生方も大変喜んでくださいました。中でも室長先生からは、「よく頑張りましたね‼でも、まだまだいけますよ‼」というお言葉をいただきました。先生は娘があと5%の余力を残していることを決して見逃してはいませんでした。娘をよく見ていてくださり、その先につながる絶妙な声掛けをしてくださり、本当にありがとうございました。
「受験が終わったら遊びまくる‼」と言っていた娘ですが、ゲームだけに熱中することもなく、適度なバランスを保ちながら、友達と楽しく遊んだり、中学の宿題をこなしたりして過ごしています。五年生の夏休みの沈んだ表情は嘘のように明るく変わり、当初の目的であった②前向きさ・積極性を取り戻すこともできました。また、3つ目の目的である③ポストコロナ(となるであろう)中学・高校生活を生き生きと過ごす、についても、ちょうどよいタイミングでその時を迎え、四月からの中学校生活が娘にとって最高に楽しく過ごせる準備が整ったように思い、大変うれしく思っています。
中学受験に向かう一連の取り組みで、私たち母娘は得難いものを得られたように思います。目標に向かって一生懸命取り組むこと・自分の心の弱さを知ること・仲間と一緒に切磋琢磨すること・我慢すること・時間には限りがあるということ・あらゆる最善の策を尽くすこと・思うようにはいかないこと・心が折れてもまた気持ちを整えて立ち向かうこと・やればできるということ・自分自身で選び決断すること。この先、生きていく上で大切なことを母娘で身をもって学ぶことができた、そんな中学受験だったように思います。この母娘の経験が中学受験に挑むどなたかにとって、小さなきっかけや支えとなりますよう、健闘をお祈りしています。