スキップしながら名進研へ
息子は幼少期から育てにくい子でした。こだわりが強い、切り替えが苦手、おしゃべりが止まらないときがあるなど、子育てにこつやサポートが必要でした。その反面、好奇心旺盛、発想力豊か、知識に貪欲、好きなことには没頭できるなどの長所がありました。そのため授業態度や提出物等が評価される公立中学校では合わないと思い、はっきりとした志望校はありませんでしたが、中学受験を決めました。
四、五年生は自宅での宿題の対応が大変でした。五年生後期から自習室を利用することにより改善したものの、六年生はさらに大変でした。六年生は本人の希望でαクラスに移ったこともあり(当初は全国最難関中学校の受験を考えていた訳ではなく、本人がただ行きたいとのことで移りました)、週三日の授業、週二日の自習室利用、プレ中学入試、サピックスオープン、開成灘特別講座(六年生前期)、全国最難関突破コース(六年生後期)、さらに本人の希望で続けたスイミング(月曜)と、ほぼ全ての日で予定が入り、スケジュール管理をして送迎するだけでも一苦労でした。他にも日々の荷物の準備や鉛筆削り(学校も)、丸付け、プリント整理(六年生途中から断念)、ノートのストック管理(六年生後期は鉛筆(ユニやハイユニの2Bを使用)も)、お弁当作り(日曜)、本人の睡眠時間の確保、それ以外にも塾以外の予定や家族の予定との調整などやることは多岐に渡りました。これらを夫婦で分担していたものの、共働きで弟(未就学児)もおり手が回りきらず、必要なテキストをこちらが入れ忘れて届けることが何度もありました。余裕がなくなりテストのミスを叱ったこともありましたし、自分のことを棚に上げた本人が無自覚に弟に手厳しく当たるため、事件が起きるのではないかと思う程、私がイライラすることもありました。そのような中で、定期的な先生との個別面談において、家では不真面目でサボっていることに悩んでいたときには「余裕があったほうが力を発揮できるタイプなのでは。」と、また本人について「算数の解き方をアレンジせず、まずは教えたとおりにやっている。素直なところがいい。」と褒められ、親が気付いていない面を知ることができ、励みになりました。面談を何度か重ねるうちに、思うところは多々ありましたが、余計なことは言わないよう努めました。
親としてはとにかく大変でしたが、六年生になってからは成長に伴い体力がついてきたこともあり、ハードスケジュールにもかかわらず本人はとても楽しんでいました。六年生からαクラスに移行したことは結果的に本人に合っており、四年生当初の実力テストで59程度だった偏差値は、五年生後期で安定して65以上となり(Jクラスでのびのびと基礎を固めたことも良かったと思います)、六年生前期のプレ中ではついに70台となりました。得意の算数で難しい問題を解くこと、苦手な国語で少しでも点数を取ること、理科で日常の現象の仕組みを考えること、社会で新しい知識を得ること、先生方や各々自由に発言し合うクラスメイトとの関わりを楽しみ、六年生の四月頃にはあれほど執着していたゲームをしなくなりました。そして夏休みに入ったころ、「僕、志望校、灘にする。」と言い始めました。とはいえ六年生六月の志望校判定サピックスオープンでは四科目計の偏差値54・7、灘中学校の合格可能性は一番低い20%で、かなり高い目標でした。しかしその後、六年生十二月の合格力判定サピックスオープンでは四科目計の偏差値66・6と過去最高となり、十校書いた志望校のうち灘、西大和、海陽特給を含め九校が合格可能性80%となり(開成のみ70%)、灘は難しくても他は受かるのではないかと安易に考えていました。
しかし、そのサピックスオープンの翌週、十二月の最初の入試である海陽特給が不合格でした。翌日にあった最後のプレ中でも六年生で二番目に低い成績でした。翌週の海陽Ⅰで合格し、本人はいつも通りの様子に戻ってはいたものの、親の方が落ち込む気持ちを引きずりました。冬期講習の後、年末年始の八日間が山場でした。頼みの綱の自習室がやっていなかったため、一緒に無人カフェに行き、朝から晩まで先生に立ててもらったスケジュールに従いながら、ひたすら過去問に取り組みました。苦しい中での取り組みでしたが、じわじわと合格最低点を超えることも出てきました。
一月十八、十九日の灘中学の入試は、前泊から二泊三日で臨みました。ホテルの前に応援に来ていた他塾の先生、キラキラとした目で入試会場に向かう半ズボンの子ども達、「あなたの好きにして」という様子のお母さん、入試問題を購入し(保護者の待合室となっていた体育館で販売していました)学校の石垣の上で解く現役生など、他では見ない光景を目にすることができました。そのような中、本人はとても自然体で、算数を武器に軽やかに戦っていました。結果は合格最低点295点のところ、316点で合格しました。各科目の点数まで開示されたことはとても励みになりました(西大和学園中学校も同様)。
最終的には六校八回受けた中で、合格は六回あったものの(海陽Ⅰ、西大和(東海、岡山会場)、灘、東海、滝)、不合格が二回あり(海陽特給、聖光学院)、学校によって傾向が違うこと、その傾向と対策を十分に行うことが重要であることを実感し、十分できなかった部分については悔やまれました。
四月からは、管理教育のほうが合っているという理由で西大和学園中学校に進学します。なかなか現実の志望校を考える余裕がありませんでしたが、名進研のような学校に行かせたいと思う中で急遽六年生の十一月に見学に行き、徐々に気持ちを固めていきました。寮に入ることは四、五年生のうちは選択肢として考えもしませんでしたが、学校の敷地内にある寮、寮での学習時間、手厚い学習・生活面へのフォロー、全国から来る寮生、勉強だけでない教育方針などを見学し、西大和に行かせたいと思ってからは寮であることは気にならなくなりました。名進研での学習や全国最難関中学校の受験は親としては大変だったものの、振り返ると
とても貴重で楽しい時間でした。本当にありがとうございました。











