名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

大きく成長した一年間

 息子はマイペースで、ゲームも数時間やり、早寝早起きも出来ませんでした。ストレスを発散するかのようにゲームをやっていたので、後期になると半分あきらめていました。それでも冬期講習や志望校別コース、正月特訓等、一日も休むことなく通っている姿を見て誇らしくも感じていました。

 息子なりに「勉強」と「休憩」のメリハリをつけて、「受験」と闘っていたと理解できたのは受験間近の頃でした。もっと早く理解してあげられたら‼と思うこともあります。

 名進研で先生方にも応援していただき、「努力賞」もいただきました。その後の南山中男子部の受験では、十分に実力を発揮できたようです。受験は当日の体調やテストとの相性、ご縁があるかだと感じます。

 どこの中学校に行っても、楽しい三年間が過ごせますように……。大変な一年間でしたが、忘れられない一年間です。ありがとうございました。

まだいける!

 まずは、6KFから私学中学受験に興味があるようだ。と平安通校でご相談をした際に、デメリット、メリットを伝えてくださり、転コースを決めた際には過大なるご配慮をくださりありがとうございました。

 次女は七月でしたでしょうか、一番最初に受けたプレ中学入試は「もう〇点でもいいからね。」と送りだしました。案の定、時間が余って仕方ない‼と大笑いで会場から出てきました。しかし回数を重ねるごとに「時間が足らない‼」「家で足らなかった分をやってみる‼」と言い出し、これに私は手ごたえを感じだしました。授業や模試で一回間違えた問題にはカラーシールを貼り、解答欄をお手製で作り、テキストに再トライする日付付箋を貼る。長女の時と同じスタイルでの勉強にさらに、理科の物理分野、算数は姉に解説を聞いてもらう、という家族ぐるみでの受験勉強でした。超短期決戦。と覚悟があったので解答欄をお手製でつくる、なんてこともできたのだと思います。解き飛ばしがない分、管理はとてもしやすかったです。

 また、理科・社会の先生には毎週のように私から相談のお手紙を入れて、そこに対して丁寧な返信をいただいたことで、面談もありませんでしたが、とても安心して一週間のスケジュール管理ができました。私が見落としている漢字相違にも対応くださり、娘と神だね~‼と何度も話したことが印象的です。

 金城学院中への出願に迷う私(どうせ不合格になるならその時間、椙山女学園中に向けて社会をやらせたいのが本音)に、本人の意思なら受けさせてあげてください‼と背中を押してくださりありがとうございました。そんなに頑張らせなくても……なんて思っていたのですが、娘の勇気を全力でサポートしようと思えたお電話でした。

 娘は何分テスト慣れをしていなかったので、正月特訓はテスト慣れ、時間配分慣れができ参加をさせてよかったと思います。家族の為にも(笑)。帰宅したら、毎晩ご褒美でハーゲンダッツのアイスを嬉しそうに食べていた姿が印象的でした。頑張った分、家はリラックスと復習ね♡と言えたことがこの超短期決戦での金城合格だと思っております。

 まだいける‼といつも心強いメッセージを過去問に書いてくださった先生方には感謝しております。また、とても雰囲気のよいクラスだったようです。仲間も頑張っているのだから。と楽しそうに通塾ができたその雰囲気を作ってくださった塾友や先生方に感謝しております。この度はありがとうございました。

六年生からの受験勉強

 娘が名進研に通い出したのは五年生の冬期講習からです。その前はZ会の中学受験講座を、「算数と理科のみ高度な問題をやりたい」と言う娘の希望で四年生から始めていましたが、私達夫婦は娘に中学受験をさせるつもりはありませんでした。しかし五年生の十月頃、娘から公立中学には通いたくない、受験して入る学校があるみたいだからそこに行きたいと言われ、その時行きたいと言った学校は滝中学校でした。

 中学受験未経験の私達でも難関校だと言う事は知っていましたし、今から受験勉強を始めて受かるとは思えなかったので諦めさせようとしていました。が、知り合いの塾講師の方から『小学生は一年頑張れば伸びる子はすごく伸びる、どこも受からなくても勉強した事、中学受験した経験は無駄にはならない』と言われ、本人も死ぬ気で頑張ると言うので中学受験に挑戦する事にしました。全ての受験が終わった今、高田中学校、愛知中学校、南山中学校女子部、滝中学校から合格をいただき、あの時諦めさせなくて良かったと思っています。

 受験勉強を始めた当初の第一志望は滝中学校でしたが、その後いろいろな学校の説明会等に参加して南山中学校女子部の自由な校風と来年度中には制服がスラックスも選択可能になる事から第一志望校を南山女子部に変更しました。娘はスカートが苦手で各学校の学校説明会では必ずズボンになる予定はあるのか聞いておりましたが、南山が一番早くズボンも選択出来る様になる感じでした。

 娘の勉強場所は、
○授業が終わって家に帰るまでの間に集中力が途切れてまた集中するのが難しい
○スマホやゲームなどの誘惑がない(誘惑に弱いから負けて何時間も遊んでしまうから)
○わからない所があったらすぐ聞ける
と言う理由でもっぱら自習室でした。

 私達親が出来た事は声かけぐらいしかなく、勉強については先生方にお任せ状態でした。それでもさすがにプレ中学入試前や志望校別プレ入試の前は家でも勉強するだろうと思ってましたが、やらない……やらない上にいつもより早く寝てしまうので私が大丈夫なのかと娘に聞くと、『前日に足掻いてもしょうがないから、早く寝て体調を整える方が大事』といつもより数時間も早く寝てしまうそのスタイルも試験本番まで変えませんでした。それでも合格率80%を維持できていたので娘には合った勉強スタイルだったのかもしれません。一度だけ南山中女子部プレ入試の二回目で合格率50%以下を取ってしまった事がありましたが、それでも自習室のみの勉強スタイルは変わらず、家で机に向かう事がなく、不安で仕方がなかった私は言ってはダメだと思いながらも、「そんなに勉強してなくて大丈夫なの」、「そんな事では南女合格できないよ」等々、本人のやる気を削ぐことを言ってしまいました。今考えても親がする事ではなかったと反省しております。今思えば平日は授業後一時間、土曜日もお弁当持参で授業後二、三時間勉強していたので、勉強してない訳ではないのですが、勉強する姿を見ていないのでその時は不安で不安で仕方ありませんでした。南山中女子部プレ入試二回目以降も娘は表面上はいつも通りに見えていましたが、やはり娘自身落ち込んでいたようでその後の愛知淑徳中プレ入試で初めて1位になった事がその後の娘の自信とやる気に繋がったと思います。

 我が家では家族全員で情報を共有するためにスケジュール共有アプリに加えて、学校説明会の期間には学校別に申し込み締め切りなどの予定カレンダー、出願が始まる十二月からの受験が全て終わる二月までの受験校別三ヶ月カレンダーを作りトイレに貼り申し込み等を済ませたら印をつけて全員が確認しあえる様にしました。出願も学校別に何が必要で締め切りがいつまでなのか、ひと目でわかる一覧を作り、私が出願出来ない状態になっても主人が出来る様にしておきました。

 試験当日に関してももし娘が一人で行かなくてはいけない状態になっても良い様に、当日の持ち物、注意事項、会場までの交通手段数パターンと試験開始までに一時間以上余裕を持たせたタイムスケジュールを作成して娘に渡し、同じ時間に会場まで実際に行ってみましたし、雪が降った場合のシミュレーションもしました。コロナ禍での受験で心配事はたくさんありましたが情報を家族で共有し、前もって準備してしおておけば焦る事なく当日を迎える事ができると思います。

 最後に先生方のお蔭で娘は第一志望に合格できました。ありがとうございました。

コロナ禍受験奮闘記

 今年は一月末から二月にかけてコロナウイルス第六波の流行となったため、受験生のいる家はどこのご家庭も対応に苦慮されたことと思います。我が家もそうでした。しかも我が家の場合はなんと家族から陽性を出してしまい、合否以前の、入試を受験できるか否かの瀬戸際まで追い詰められました。この体験が何かの参考になれば、と思い一筆したためようと思います。

 家族で陽性者が出たのは、ちょうど一校目の受験校から合格をいただき、これから第一、第二志望校の受験に向けて盛り上がっていこう、という時でした。予兆はあったのです。受験生の次男の通う小学校でも学級閉鎖がちょこちょこ始まりました。塾の友達も感染予防のため小学校をお休みして塾の自習室に通い詰めている、という話も聞いていました。さすがに受験生本人は感染予防のため小学校を休ませよう、と決めましたが、さて他の兄弟はどうしようか、と名進研の先生と相談していたくらいです(その時は公立中学校に通う兄は学年末試験の直前だったので通学させ、他の小学生と幼稚園の弟妹は自宅待機させよう、と話したりしていました)。

 その翌日です、幼稚園を休ませた妹が急に熱を出したのは。病院に行き、ただの風邪だろうとの診断をもらったのですが、「受験生が家にいるので念のため」と検査をしてもらったところ、まさかの陽性反応。通っている幼稚園ではまだ流行しておらず受験生の家族として「人混みに行かない」「手洗いうがいはマメに」などと、それなりに感染予防はとっていたつもりだったのに、感染。晴天の霹靂でした。お医者様から「この時期はどこも流行していて、受験校は何らかの対策をとっているから、早めに電話した方がいいよ」というアドバイスをもらい、相談してみたところ、第二志望校は日程的に自宅待機期間から外れ、第一志望校も、無症状の濃厚接触者の場合(PCR検査結果が陰性で無くても)、別室受験可能ということがわかりました。家庭内感染を防げれば何とか受験だけはできそうです。かくて自宅待機から即受験、というハードな日程が始まりました。

 十日間の自宅待機で気を使ったのは、家庭内感染の予防と本人の精神面の安定でした。感染予防は、受験生は病人とも他の家族とも別の部屋で(食事も含めて)生活することと、自宅内でのマスク着用、共用のトイレ・洗面台の消毒、換気の徹底といった基本的なことしかできませんでした。特に別室でこもっきりの生活はつらく、本人は「まるで座敷牢のようだ」と言っていましたが、結果的に何とかなったようでよかったです。

 本人の精神面の安定については、毎日決まった時間に元気な家族で運動させました。24時間×10日間も途切れなく自宅にいるので、のんべんだらり過ごしていたら、あっという間に一日が過ぎてしまいます。そこで生活にメリハリをつけるために毎日午前中、元気な子は全員そろって運動することにしたのです。大したことはできませんが、皆で揃って小一時間、体を動かすと少しはストレス発散にもなったようで、受験生も他の兄弟もその前後一時間くらいは、集中して勉強に取り組めました。ただし、それ以外の時間は結局、それ程勉強できませんでした。計算と漢字は今までの習慣で何とか毎日続けていたようですが、それ以外の勉強時間となると、ずっと減りました。親としてはこの大切な直前期にこんなに勉強しなくて良いのだろうか、と不安になります。本人も勉強しなくてはいけない、と重々わかっているものの、他の兄弟がゲームしたり遊んだりの中で、一人だけ勉強する気にもなれなくて、というジレンマでつらそうでした。しかも自宅待機中で名進研の授業にも自習室にも行くことができず、他の子の様子も気になり、不安そうでした。

 ただクヨクヨしても仕方ないので、次の二つだけは約束させました。

 一つは名進研の先生から自宅待機決定後にもらったプリントだけは、受験日までに終わらせること(急なことながら準備して下さってありがとうございました)。

 もう一つは一日に四教科を少しずつでも一回は必ず勉強すること。本番の入試では四教科を半日でやるので、その練習になるからです。これだけはお願いして、後は本人のペースに任せました。

 そして迎えた第一志望校の受験当日。送迎も予定と違って夫が付き添うことになりましたが、幸い受験校の下見は家族で行っていたので、交代してもトラブルなく送迎できました(夫はまさか自分が付き添うとは思っていなかったので、あんまり真面目に見ていなかったと不安そうでしたが)。雪の降る中出発して、ニコニコ顔で帰って来た時はホッとしました。本人曰く「お父さんの送迎は日曜講座の時みたいだったから、リラックスして行けたよ」とのこと。日頃から夫に受験準備を協力してもらっていて、本当に良かったです。

 結果は残念ながら不合格でしたが、翌日受けた第二志望校は見事合格を勝ち取ることができました。受験直前期は全く勉強できなかったけれど、それまでの積み重ね、特に冬期講習と正月特訓で頑張って勉強した成果が出たのでしょうか。事前にこつこつ準備しておくことの大切さを親も子も実感しました。

 名進研の先生方にも五年の頃から、じっと親身に指導していただきありがとうございました。お蔭様でこうして笑顔で受験を終えることができてほっとしています。どうもありがとうございました。

気持ちに寄り添って

 娘は小学一年生の頃から、中学は受験をして私立に行きたいと言いました。仲良しの友達が私立小学校受験に奮闘する姿をすぐそばで見てきたので、自信と憧れがあったのでしょう。しかし我が家は公立志向。環境は自分で作るもの、という考えのもとで教育していくのが理想でした。娘の意志を尊重して塾通いを認めたものの、本音のところは一度体験させておけば、将来文句を言われないで済むから、という思いがありました。

 三年生の夏に自力で通える名進研に行くことになりました。帰ってくるなり、「すごく楽しかった。名進研がいい。」と興奮気味に言いました。いろいろな塾を体験して決めた方がいい、と言ったのですが、絶対に名進研がいいと譲りませんでした。その訳が先生方にお会いしてよくわかりました。娘の良いところをきめ細やかに見ていてくださり、それを言葉で娘や親に伝えてくださるのです。小学校の先生からも言われたことのないような長所を教えて下さいました。成績だけで評価するのではなく、娘をちゃんと人として認めて受け入れてくださる、ということに安心し、名進研で四年生からお世話になることになりました。

 成績でクラスや席が決まることに親としては心配がありましたが、子どもは逞しいものですね。良い時もあれば、悪い時もある。それを自分で受け入れて、常に前を向いて頑張っていました。成績上位者に友達の名前が載ると、ペンで印をつけて私に見せて、すごいと称え、自分も次は名前が載るように頑張る、と意気込む姿がありました。感心しました。

 しかし、五年生になると中だるみしたのか、夜、布団の中に隠れてiPadで動画を見たり、学校の宿題がおろそかになったり、生活が乱れるようになりました。私は受験をやめるように強く説得しました。そんな時、いつも先生方は娘の気持ちを第一に考えてくださり、話をして娘の本心を聞いてくださいました。やっぱり受験を続けさせてほしい、と娘が親を説得してきたのです。頼もしい姿でした。先生が娘の思いに寄り添ってくださったお蔭です。この時、先生からは、「娘さんは公立志向の親の気持ちをよく分かっているので、受験をやめたら親が喜ぶと理解し、親の気持ちに忖度している」と教えていただき、ハッとしました。いつでもやめてもいいと伝えてきたことは、子どもにプレッシャーを与えないいい親だと思っていたことを反省しました。娘が欲しかったのはそんなものではなく、私立合格を共に心から願って応援してくれる親の気持ちだったはずです。「やめていいよ。」なんて安易に言わないとその時からようやく、決意しました。

 先生が娘の力を信じてくださることで、娘は最後まで合格を信じ、最難関の南山中学校女子部をめざして頑張ることができました。名進研一本で本当によく頑張り通したと思います。テキストや問題は本当にいいものを研究されていると思います。名進研のテキストだけをしっかりできれば大丈夫だと思います。

 結果は南山中学校女子部には届きませんでしたが、第二希望の愛知淑徳中学校に合格をいただけました。こんなに一生懸命に頑張ったのだから、この学校が一番娘にとって良い学校だと導いてくださったのだと、ありがたく通わせていただきます。

 先生方、本当にありがとうございました。個別懇談のたびに、「本当にいい子です。」というお言葉をいただけたこと、一人の人間として大切に関わっていただけたこと、心から感謝いたします。私たち親がたくさん学ばせていただき、とてもいい受験ができました。娘の妹が、「私も名進研で受験したい。」と言いました。私自身、また受験生活が始まることに負の気持ちはなく、今度は、最初からちゃんと応援してあげたい、一緒に学び頑張りたいと明るい気持ちでおります。大好きな名進研、先生に出会えたこと、改めて感謝いたします。

時間のやりくりで中学受験を乗り越える

 この春、東海中学校と名古屋中学校を息子が受験し、それぞれ合格(名古屋中はスカラー)を手にし、四月から東海中学校に入学することになりました。少しでも皆様のご参考になることがあれば、と筆をとりました。

 私自身は高校受験を経て公立高校に通い、大学受験を経験しているため、我が家はそもそも私立中学の受験をするつもりで名進研に通い始めた訳ではありませんでした。小四の頃の息子は、少し勉強すれば学校のテストでは簡単に高得点がとれてしまい、またケアレスミスをしても「○○くんは~点だったから、自分はまだ大丈夫な方。」等、下に目を向けて、自分の精一杯の力を前向きに出そうという姿勢が見られませんでした。世の中には、自分と同じくらい、または自分以上に頑張っている子達もいることを知って、今の環境に甘んじることなく良い刺激を受けて欲しい、そんな思いから小四の夏期講習から近所の名進研に通い始めました。

 今まで小学校の世界しか知らなかった息子にとって、意欲ある先生方の授業や、活気のある授業の雰囲気、そして大量の宿題を当たり前にこなしてくる塾の子達の存在は、予想通りとても良い刺激になったようです。成績順に座席の順番が決められるシステムも息子には合っていたようで、一列目の左端(一番の席)をキープし続けることが息子のモチベーション維持にもつながっていたようです。

 幸いにも、頑張れば頑張った分、順調に成績も伸びて、模試のたびに成績優秀者に名前が載り、賞状がもらえ、その頑張りを先生方に褒めていただける。当然のことのようでも、今の時代の小学校ではなかなか公で評価してもらう経験はできないことであり、息子にはとても嬉しく大きな自信になったようです。

 そのような環境の中、いつしか息子も「自分も私立中学校を受験して通いたい。」という目標を持つようになりました。

 小四、小五の頃は週に二回、三回の通塾でしたが、小六からは週に四回の通塾スケジュールになると分かった小五の秋頃、我が家ではちょっとした家族会議が開かれました。息子は年中の頃からスイミングスクールに通っており、目標の卒業級まであともう一歩のところでした。出来ることなら息子が納得するまでスイミングスクールを続けさせてあげたいものの、週四回の通塾との両立は難しそうでした。また、我が家では、成長期には十分な睡眠がとても大切だと考えており、平日は基本的に夜九時には就寝、朝六時に起床といったリズムを心掛けていました。しかし、六年生の通塾スケジュールになると夜九時の就寝ができなくなることが予測されました。さらに、どんなに受験生とはいえまだ小学生の息子には、今まで通り自分の好きなことをする自由な時間や、お友達と遊ぶ時間を確保して、子供らしい小学生の一時を過ごして欲しい、とも思っておりました。中学受験をしっかりこなし、十分な睡眠時間を確保しつつ、習い事も続けて、自由な時間もちゃんと持ちながら生活することは無理なことなのか……。そう頭を悩ませていた頃、息子が小六になるのと同時にDクラスが開講されることを知り、正に「渡りに船」だとDクラスに通うことを決めました。

 Dクラスは週に一日、名駅校であるため、塾の日は四教科分の大量のテキスト類とお弁当を持って塾まで行き、朝から夕方まで授業があります。慣れるまでは、長い時間の集中力と荷物の重さに「肩がはずれそう。」と大変そうでしたが、何よりも日曜日~金曜日を自分のペースで生活でき、自分のペースで勉強できることがとても良かったと思います。幸いにも六年生でも成績を維持し続け、無事第一志望校に合格することができました。先生方にも息子の勉強スタイルをご理解いただき、「こうではないとダメ。」といったやり方を強要することなく、寛容に見守っていただけましたこと、とても感謝しております。ありがとうございました。

 思い返すと、今まで模試などの前には「緊張するー。いやだー。」とぼやいていた息子が、小六の夏期講習の総仕上げテストの頃から、「楽しんでくるわ。」と意気揚々と校舎に入って行くようになり、その逞しく成長した姿を頼もしく感じたのを覚えています。

 中学受験は決してゴールではありませんが、この経験から得られたものを糧に、次なる目標に向かって頑張っていってくれると信じています。

 「中学受験は、時間のやりくりと工夫次第で乗り越えられる。」そんな我が家の体験が、少しでも参考になりましたら幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。

受験を終えて

 長かったようで、あっという間に月日が過ぎていった中学受験を終えて、今思うことを書かせていただきます。

 第二子の長男が、まさか受験することになるとは、夢にも思っていませんでした。我が家は、長女を含め、全員が中学より私学に通っていて、「自分だけ仲間外れになりたくないから」というのが、最初に受験を決めたきっかけだったように思います。特に受験をするよう押しつけたりは一切していなかったと思います。入会を考えた四年の二月、コロナ禍となり、塾での勉強経験がない状態でのオンライン授業は、見ている親を心配させるしかない様子で、きちんとやっていけるのか、ついていけるのか不安しかありませんでした。

 通常授業が始まって、塾の勉強や宿題のペースがつかめてきたのは、夏期講習の頃だったと思います。夏期講習は連日ということもあり、宿題をこなすのが精一杯だったように思います。それでも、途中で逃げ出さずに最後までやり遂げられたのは、受験をすることを、本人が決めたからではないかなあと思います。

 六年になると、宿題や授業時間がさらに多くなり、能率よくこなせない為か、とても時間がかかっていたことを覚えています。長女の時には心配していなかったことにぶつかり、違いをとても感じました。

 コンスタントに頑張っていたので、それなりに維持もしくは、成績が上がっていたのかもしれませんが、長女の時に感じた、受験直前期にぐっとのびる感じがなかったのが、少し残念に思います(男の子にある)。コロナ禍で、チューターがいなくなり、先生方が以前にも増して忙しくなったと思いますが、子ども達のことをよく見て下さり、性格タイプを踏まえて接して下さっていたことに、とても感謝しております。入試が一つ終わると、気が楽になったのか羽根をのばしてしまい、第一志望前日にはあたふたしてしまっていたり、それが終わると、更に羽根をのばしてしまいました。三つ目の学校は実力テスト状態で、遊び時間が長くなってしまい、ヤキモキさせられてばかりでした。しかし、中学受験という体験が、今後の子どもにとって、良い意味があったと信じ、勉強が楽しいと思えた感覚を、今後も持ち続けてほしいと思っています。

 名進研の先生方には、いつも感謝しています。これで、私も名進研とはお別れです。四年間本当にありがとうございました。お世話になりました。

合格体験記

①入会のきっかけ
 私立を目指したきっかけは、幼児期から通っていた「めばえ教室」で受けたIQテストで良い数値が出たこと、他塾の模試を試しに受けてみたところ全塾で3位になったことなどにより、親バカ全開で欲が出てしまったからです。また、もしも仮に光る才能を持っているならば、生かすも殺すもどのような学習環境を与えられるかにかかっている、つまり親次第なのでは、とも思うようになりました。

 入会したのは、四年の冬期講習からでした。遅めのスタートだったと思います。岐阜県の私共の居住地は都市部とは異なり、周りには、愛知県の私立中学を目指している人は皆無で、私は周りから経験談を聞くこともなければ、学校名すら知らないでいました。何しろ、東海中学を候補に入れていたほどです(笑)。※我が家は、一人娘です。

 塾に望むことは、切磋琢磨できる仲間を得たい、この頃旺盛になっていた知的好奇心を満たしてほしい、この二点でした。名進研は見事にこの条件を満たしていました。そして、アットホームな雰囲気の当該校に決めました。入会すぐのちょうどクリスマスの時期に、池田先生が「世界で一人しかいないサンタクロースが、全世界の子どもたちの家にプレゼントを配る速さ」を、数学的見地から説明してくださったことがありました。娘は楽しそうに目をキラキラさせて私に説明してくれました。私とっては、ふーん。なるほど。という感じでしたが(先生ゴメンナサイ)、子どもの柔らかい心・みずみずしい感性を持ってすると、非常にウィットに富んだ大変興味深い話題だったようで、「名進研はすごい‼おもしろい‼」と俄然やる気になったようです。

 周りに通塾している人が誰もいないので、可哀想だ・大変すぎるなど、いろんな人から反対されました。それは、一年くらい続いたでしょうか。でも、私は通塾させるという意思を絶対変えずに、雑音は無視し続けました。もし、この「お受験」を通して過去の私にひとつだけ褒めてあげる点があるとすれば、名進研を選び通わせたこと、この一点のみです。

②生活面
 私たちの受験を最も困難にした敵があります。コロナです。これは、なんともしがたい脅威でした。我が家の場合、入会して一ヶ月、ようやく慣れたかなという頃に、あの一斉休校となりました。名進研ではオンライン授業がすぐに開始されました。あの時期、私たち親子は、名進研のオンライン授業を軸に生活をし、学びを止めることなく学習を進めることができました。あぁ、名進研に入っていてよかったと心から思いました。通塾に車で片道二十五分ほどかかるため、それから六年生になるまでの一年間は通塾せずオンライン授業を続けることにしました。テストゼミは自宅で受験し郵送しました。あとで振り返ってみると、これも娘の力になったのではないかと思います。分からないところが過ぎてしまうのではなく、分かるまで止まって考えていました。自分のペースで学習を進めることができたのです。そしてしっかり地盤を固めることができたのではないかと考察します。

 六年生になってからは、通塾を開始しました。対面授業での楽しそうな娘の姿に、通えるかどうかなどの不安はすぐになくなりました。共働きの我が家は、夜食が必要な火曜は私の仕事のシフトを調整するなどしてなんとか送迎を続けました。通塾するようになると帰りが遅くなったり、宿題がやりきれず残っていたり、夜遅くまで勉強せざるを得ない日もありますね。でも、10代は、からだをつくる大事な時期です。睡眠時間の確保だけは、鬼のように叱り飛ばしてでも守らせました。「早く寝ろ‼」こればっかり言っていた気がします。五年生では22時、六年生では23時を就寝時間の目標とし、なるべく守らせるようにしました。時には、睡眠不足で体調を崩し、塾や学校を休ませることもありました。あるときは塾の宿題が終わっていなくて、塾に行きたくないとのこと。たまには娘の気持ちを汲んで、休ませることもありました。「勉強よりも塾よりも学校よりも、からだが大事」これを合言葉にがんばりました。

③学習面について
 先生方は細かく生徒を見てくださっています。少し神経質で人見知りをする娘に対しても、絶妙のアプローチをしてくださり、娘は(分かりにくかったと思いますが)完全に心を開いていました。初めの頃は、緊張して質問ができなくて私が代わりにお電話することもありましたが、学習面については、親が介入することはなく、自分で進めていました。宿題を期日までにやることを目標に、次第に自分でスケジュールを立ててできるようになりました。名進研の授業についていくこと、宿題をきっちりこなすこと、もちろんこれだけで精一杯でしたが、これだけをやれば十分に力がつきました。名進研では、なかなか厳しそうだけど、ちょっとがんばればできる‼というような絶妙な位置に課題を設定してくださっていると感じました。我々は、必死についていくのみ‼でした。

 私が、最も参考にしたのは教育検査です。記憶力や作業効率、性格や考え方などを科学的に捉えるものです。子育ては褒めること認めてやることが基本ですね。でも、どんな風に声をかけたらいいのか悩ましいところです。娘の場合は、身近なライバルと比べるのではなく、憧れの存在を持ち、その人を目標にするのが良いと知りました。このスタンスを最後まで実行しました。また、記憶力や作業効率が良い=パソコンでいうところのメモリがまあまあハイスペック、と教えていただきました。ならばこれは、イケる、追い込んでも良いだろう、と感じ、適度な負荷をかけることに決めました。

④入試直前について
 大変だったのは、冬期講習とお正月特訓です。ターミナル校には車で約四十分くらいかかり、お弁当を持たせての休みなしの通塾は親も子もかなりハードでした。コロナが心配で、電車やバスでなく、なるべく送迎をしました。食事の時間も家族でバラバラになってしまうため、作れる時にまとめて作って、他の家族の分も時には昼も夜も、お弁当にして置いておくスタイルをとりました。

 直前期には、学校を休ませました。初めは自主性を重んじ、自分でスケジュールを立てて学習させていましたが、一日中家にいたのに、これだけしかやってない?という成果の日があったため(汗)、先生方が各生徒個別に作ってくださった苦手項目の一覧表を渡し、全てやってマーカーで色を塗っていくように指示しました。そうすると受験直前までには、全部コンプリートしていました。

 四校受験しました。日程順に、鶯谷中学校(特待)、金城学院中学校(スカラーA)、南山中学校女子部、本命の滝中学校の四校を受け、合格をいただき、第一志望の滝中に通います。私の中で、敵は相変わらずコロナでした。娘の実力がついてきているのは、成績を見れば分かりました。あとは、当日受験会場へ連れてさえ行けば、なんとかなる、絶対にコロナにかからせてはいけない、また、アクシデントなく会場にたどり着かなければいけないと思いました。家族の誰かがコロナにかかったら受験が台無しになってしまう。私の方が大変なる重圧を感じ、受験が近づく十一月頃からずっと私だけ吐きそうでした。ところが当日が迫っても、当の本人(と父親)は、アニメやゲームに夢中で、呑気なものでした。受験当日遠足気分で電車の一号車に乗ったり、前泊するホテルの露天風呂ではしゃいだりできる娘を見ていると、なんたる強いメンタルの持ち主かと驚くと同時に、こういうタイプには中学受験は向いていたのだろうなと感じました。思春期の真っ只中ではなく、子どものうちに楽しみながら人生の舵をとることができた、これは有意義でした(ちなみに私は前泊のホテルでは毎回眠れませんでした)。

 最後、滝中の受験の帰り道、「合格体験記によると、母よ、ありがとうと最後の日に子どもから言ってくれるらしいよ」と娘に告げてみましたところ、にや~っと笑って「ありがとう‼」と言いながら大きな雪のかたまりをつくって思いきり私にぶつけてきました。痛くて冷たくて……そんなふうに、なんとも我が家らしく受験を終えました。

 最後に、先生方には大変お世話になりました。二年間通った名進研にもう通わなくなったのは本当はとっても寂しいです。娘のことをよく理解してくださり、真剣にご指導いただきました。娘に身につけてほしいことの一つに、学ぶ楽しさを知ってほしいということがあります。上質な問題、洗練された授業、切磋琢磨できる仲間と環境、そして何より先生方のご尽力により、これが早くも身についたと思います。本当にありがとうございました。

我が子を信じて

 四歳違いの姉妹共々、名進研でともに四年後期から二年半ずつ、通算五年お世話になりました。

 姉の時は明確な志望校もなく、身の丈にあった合格できた学校でいいと思っていましたが、六年最初のプレ中学入試で偏差値40台前半の子が夏休みの夏期講習からメキメキ成績アップ‼結果、南山中女子部合格というミラクルが起きました。この実績から、妹の塾選びは名進研一択でした。

 妹は姉の学校生活を見て「私も南山中女子部に行きたい‼」と自ら志望校を決めていましたし、そこに向かうために成績に一喜一憂しながらも自力で頑張っていました。偏差値も60の壁をなかなか越えられなかったのですが、姉の時の経験から夏休み明けからでも伸びるはず‼と気長に構えていました。夏休み後のプレ中学入試でやっと英俊クラスに入ることが出来、夏期講習の頑張り次第でその後の波ができ、受験まで進んでいけるのだな。と実感しました。自習室よりも自宅で勉強したいと言う子でしたので、自習室の利用はほぼしていません。

 私も時短勤務からフルタイムへ戻ってしまっていたので、送迎やお弁当などのサポートも全然出来ず、名進研が終わってから夕食を家で食べていました。お腹は空いてしまいますが、かえって8時や9時が夕食の時間になることで家族全員が集まることが出来、ここ数年で一番家族でコミュニケーションが取れた年でした。勉強で分からないことがあると、姉に教えてもらっており、姉妹の絆も深まったと思います。

 受験勉強というと四教科をひたすら勉強しなければ。というイメージがありますが、我が家は特に制限したものはありませんでした。共学は分かりませんが、志望校が女子校の場合、時事ネタに家庭科(生活)の分野も多く出されているようです。娘もグルメ番組を見ていたから解けた問題があったと入試後に言っていました。

 息抜きのためにも時間を決めてテレビやゲームもやれる余裕があるといいですね(←あくまでやるべき事をやった後でね。という条件付きですが)。

 入試は易化と難化が交互に繰り返されるそうです。易化の年は合格平均点が高くなるので、基本問題は必ず取れるようにしておきましょう。算数が苦手な子でしたが、計トレだけは毎日一単元ずつ必ずやる約束をしてました。丸付けは私も実際に解いてみてからやっていました。そうすることで、私が解き方を教えてもらった問題もあります。やれ‼と命令するだけでなく、「へぇ。こんな解き方があるんだ。」と親子で共有できると受験勉強も楽しく出来ますよ。私は塾に全てお任せで個別や家庭教師などもしなかったのですが、結果、姉妹とも南山中女子部に合格することができ、名進研には感謝しかありません。

 親が出来ることは健康管理ぐらいなので、その時の流行りダネ(姉の時はR―1、妹の時はヤクルト)をやってあげる。後はお参りしたり、お守りを買ったり、勝負服を選んだり、精神的なサポートですね。

 受験するのはお子さんです。親だけが熱くならないよう我が子を信じて最後まで親子で乗り切りましょう‼

 皆さんの第一志望校の合格を心より願っております。

あっという間でした

 我が家はもともと受験させたいと漠然と考えてはいました。私たちが中学生の頃は校則も教師も厳しく、すごく通うのが億劫になるような、楽しい思い出がさっぱりなかったと記憶しています。また、塾と言っても近所の人が通う個人塾ばかり、という時代で大学の受験も基本、自分で勉強するしかなく苦労しました。本格的に受験を考えだしたのは、親戚との雑談から私立中学の良さ、また幅広い人間関係を作る機会に出会えるだろうと、期待が持てると教えて貰ったからです。息子の少し保守的で新しいことにチャレンジすることに慎重な性格には、各地から集まるいろいろな子と交流できる事は、とても良いのではと考えたからです。

 息子は特に不満もなく通いだしましたが、最初は内容にも宿題にもついていくのが大変でした。名進研で習ってきただけでは理解できない所ももちろんあるし、そもそもテスト勉強とはどんな事をすればいいのか、という事も分かっていないし、勉強するための時間が必要であるという事も分かっていないようでした。そのため、横に座って付きっ切りで説明したりしていました。宿題はさっさと済ませることができるようになりましたが、自主勉などは見ていてほしい、苦手な科目はどうやって勉強すればいいのか分からない、などがずっと続きました。

 小学生なので、行きたくない、勉強したくない、テストで成績が上がらなくてがっかり、という事が何度もありました。すごーく真面目な努力家な子でも嫌になる時があると思いますが、息子は定期的にあり、その対応に大変疲れました。本人は、私立中学に行きたいし、塾も行くし、勉強するのも分かっているけど、たまに嫌になるんだと言っていました。

 コロナで機会が減ってしまいましたが、実際に説明会や体験に中学に行ってみると、その学校がよく見え、ぜひ行きたいとモチベーションが上がっていました。他にも私たちの中学生時代の事や、公立と私立の違い、私たちの希望など、おりにふれ話しました。やはり本人のやる気、勉強すること、が全てだと思うので、「勉強しなさい」と怒ったり、言ったりせず、「宿題はおわったの?」「次は何するの?」などこまめに声掛けをすると、本人は自主的に勉強した‼となっていました。

 今でももっと真面目に勉強してたらよかったのに、などと思ってしまいますが、なんとか希望の中学に合格して本人も私たちもとても喜んでいます。中学でどこの部活に入ろうかと楽しみにしています。受験して良かったと思います。試験会場に入って行くのを見送る時、試験問題が解けるかとても心配しました。小学生なのに今まで頑張った、どの子も同じように勉強してきた。みんな合格したらいいのに、と思いました。終わってしまえばあっという間でした。皆さんももう少しです。応援しています。

名進研 中学受験コースJunior high school exam course

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