名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

中学受験のきっかけ

 息子は四年生の冬期講習から名進研に通い始めました。元々、中学受験をする予定はありませんでしたが、小学校で仲良しの子から名進研で学んだ面白い話を聞き、自分も塾へ行ってみたいというのがきっかけです。

 中学受験をする否かを決めるのはまだ先のことと思い、まずは息子の「友だちみたいに難しいことを知りたい。学びたい。」という気持ちを満たしてくれる塾を探し、地域の補習塾や進学塾を調べました。複数問い合わせたところ、他塾は入塾の決断を急ぎ繁雑な対応が多かった中、名進研は穏やかで丁寧な対応をしていただきました。体験を兼ねて冬期講習に申し込みました。当初、小学校より長い授業時間に耐えて座っていることができるだろうか、飽きずに連日通うことができるだろうか、などの心配もありましたが、楽しい‼これからも通いたい‼と息子の気持ちは満たされ、入会を決めました。結局、塾へ通うきっかけをくれた友だちと同じ名進研に通うことになりました。

 名進研は進学塾なので、周りの塾生は中学受験のために通っている子ばかりだったと思いますが、息子は入会後も小学校の友だちと一緒に地域の公立中学校へ進学するか、それとも学びを深めるために私立中学へ進学するか決めかねていました。息子と相談して、どちらに進むかは受験の時期に決めればよいこと。ただ、「もっと勉強しておけばよかった」と後悔しないようにと、塾の勉強を頑張るということで通い続けました。

 通塾を始めてからは、小学校のことを第一優先にすること。元気に過ごせるように21時半の就寝時間を守り過ごしました。塾の宿題は全てやっていました。当日終わらない分は翌朝取り組みました。直近二週間の単元の学びを確認する【土曜テストゼミ】を受け、必ず解き直しをしていました。受験を終えるまでに取り組んだ教材は、名進研のテキストや配付されたプリント類だけです。その他、やって良かったと思うことですが、五年生の後期から社会の歴史が始まる前に、保護者会で「日本の歴史マンガなど読んでおくと、全体像が捉えやすいですよ」と聞き、夏休み中に読破。歴史が好きで得意になりました。あと、浴室に貼れるポスターで、一枚の日本地図に、県庁所在地や山や湖の名称、世界遺産の場所にナンバリングと登録名や登録年月の表と、県名・県章一覧表がまとまっているものがあります。よく眺めていたようです。

 親の関わりは、宿題の確認の声かけとプリントの整理。また、漢字の書き取り問題や理科・社会の一問一答を口頭で出題したり、塾でどんなことを学んでいるのか息子から教えてもらったりと、親の方はやり取りを楽しんでいました。息子にはこの日々の積み重ねが合っていたようで、入会してから五年生の〈実力テスト〉も、六年生の〈プレ中学入試〉も、常に【成績優秀者順位表】に名前が掲載される成績で終えることができました。

 志望校を決める際には、息子自身が学校見学会や体験授業で魅力的だった学校を選び、中学受験への気持ちが固まりつつありました。どの中学校へ行くことになっても、新たな友だちと出会いや学び、様々な見聞を広められる機会や部活動を楽しみにしていました。

 六年生になると思春期の様相が強まり、親の関わりが煩わしそうだったり、周りの目を気にして消極的になったりと、表面的には学びへの意欲が乏しく感じられる時もありました。そんな時でも名進研の先生方は、息子を励まし支えてくださいました。子どもは大人をよく見ていて真心を感じ取ります。息子の心の変化に寄り添いご指導してくださったお陰で、最後まで学び続け志望校に合格することができました。

 最後になりますが、所属校でお世話になった先生方、講習や配信動画でお世話になった先生方、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

挫折からの復活

 小学三年生からお世話になった名進研。振り返ればあっという間の4年間でした。

 わが家が中学受験を選択したきっかけは、祖父が東海中学進学の経験があったためでした。しかし、私たち夫婦は中受経験がなく、現状も知らないままのスタート。

 塾さえ通えば東海行けるでしょ~という無知ならではのお気楽な親でした(後々現実を知ることとなります)。

 名進研を選択したのは「地元に強い」という点。

 自宅は南区ですが、より学習意識の高い環境を求めて御器所校を見学しました。説明会で出会ったのが御器所校の細田先生です。

 開口一番「僕はこの職業が天職です‼」と心から楽しそうにお話しされる様子を見て(この先生が責任者の校舎ならほかの先生方も間違いないはず)と即入会しました。

 勘で決めた入会でしたが、御器所校はターミナル校であることや、他の先生方の子どもへの接し方を拝見し、ここにしてよかったと心から思いました。

 三年生からの通塾は早すぎるとの考えもありますが、週1回の通塾から徐々に日数が増えていくため、子どもも親も慣れるとともに覚悟ができます。

 わが子はまじめな性格のため「先生から言われたことはやらなきゃ」と取り組みますが、自らプラスアルファの勉強まで手が回らずやる気もない。

 そういった改善したいことは親が言っても聞きませんので、塾の先生にお願いしてバックアップいただきました。また、早くから塾へ行ったとて、成績が比例するわけでもなく、本人は「ぶっちゃけ勉強嫌い」とのことで……志望校見学など経験しながらもなかなか前向きに取り組めずやらされている感で勉強していました。

 六年生になっても、なかなか本気が見えず、自ら机に向かうようになったのは冬期講習の頃(受験まで残り1か月です……)。合格率も、安心できるものではなく不安な受験でしたが、受験当日、本人は落ち着いていてプレ中学入試の方が緊張したとのこと。何度もプレ中や模試で練習をしていた効果だと思います。

 第一希望の名古屋中不合格の1週間後に南山中男子部だったわけですが、不合格の当日は落ち込みながらも塾へ行き、先生にフォローしていただき、次の日には「第一希望は南山にする‼」と切り替えていました。これも教室や自習室で一緒に頑張った仲間がいたからできたことだと思います。

 受験前の感染症予防でR-1を欠かさず飲ませました(商品名書きますが本当に効果あります)。

 神頼みは多すぎてもいけないので伊勢神宮と地元の熱田神宮のお守り。直前に友人からもらった上野天満宮のペットボトルの水を持参した学校が合格だったので追加で買いに走りました。

 受験が少しでも楽しみになるよう、受験校ごとに新しい消しゴムを下ろしてもいいと決め、普段勉強しているダイニングテーブルの横に日程や、各校の受験で頑張ることを本人に書かせて貼ったり、合格通知を掲示して気分を盛り上げました。

 クリスマスプレゼントは全くないのも寂しいので文房具ならいいよ、お年玉は「落とす」だから受験が終わってから渡す……など、効果があるのかわからない制約もしました。

 ほかに役立ったものとして、幼いころに見ていた浴室の壁に貼る日本地図と世界地図は、六年生になってからも都市名などをゲーム感覚で覚えられるので重宝しました。

 また家族旅行は、日本三景やリアス海岸、四日市など社会のテキストに出てくる場所へ行ったり、漫画日本の歴史で息抜きしながら勉強したり、生活の中で少しでも覚えられるように心がけました。

 ちなみに本人分析の南山合格の一番のポイントは「挫折からの復活」をテーマにした国語の自由記述で「先日名古屋中学の入試に落ちました、しかし、切り替えて今日の南山に臨んでいます‼」と書いたことだそうです。ほかの選択肢はないことをアピールしたそうです(笑)。

やりたいことはやりきった受験

 受験が終わり、息子とのこの三年間を振り返った時に出る言葉は、「やりたいことはやり、受験もなんとか乗り切ったね。」です。

 中学受験のために習い事をやめたり、学校を欠席することは、わが家では考えられなかったからです。

 今、この六年生でしかやれない、ジュニアリーダー養成講座(毎月一回日曜日出席)や、二年生から続けているピアノ、水泳。学校の部活も、(火)サッカー・(水)音楽部・(金)バレー部として参加しました。塾がなかった(金)は最終時間まで活動をしていました。

 今、思うと少し他のことをやりすぎたなとは思いますが、これだけやっていても合格できた学校だからと思って、自信を持って通ってくれればいいなと思っています。

 こんな感じで当時過ごしていたのですが、一月末にコロナにかかり、名古屋中学校が当日受験できなくなりました。この中学には追試験があり、二月十一日に受験することに。本試験で合格した親子が説明会に登校する中、別室での試験となりました。結果発表は二月十三日(月)。

 この頃、気持ち的には、二月六日~十日が一番しんどかったです。小学校内では「受かった。」「だめだった。」の話があり、それを息子が自宅で話をしてくれ……。

 だけど、名進研の先生から電話で、自習室を使ってもよいことや、分からないところを教えてくれる、というありがたい言葉に甘え、二月七日(火)~十日(金)まで、学校+部活後(五時終了)に通わせてもらえたのが、すごくよかったです。そのお陰で、合格することができました。

 周りからは、名古屋中学は先生方の面倒みが良く、制服も伝統のある学ランでいい中学だよ。と言ってもらえたので四月から、通うのが楽しみです。

父娘で歩んだ二年間の受験生活

 娘が第一志望の滝中学校に合格し、今春から学園生活を送ることになりました。

 四年生の二月から二年間の受験生活を振り返り、今後の皆様の一助になればと思い寄稿させていただきます。

(動機)
 私も滝中学の卒業生でありますが、私の受験動機は、体育は5だけど他の教科は……みたいな子供でしたので、高校受験を危惧した親の方針で中学受験をしました。
 一方で娘にその心配はなく、また共働きということもあり、中学受験せずに公立中高の道を考えていましたが、娘のおぼろげながらも「将来の目標」を聞き、祖父母の送迎等の支援もあるとのことで、受験を決意しました。

(合格までの道のり)
 娘と掲げた二年間の受験生活での約束ごとは3つ。
 ① その週の授業の復習はその週で終わらせる
 ② 算数で勝つ
 ③ 直前期の追い込みのための事前準備を親がする

 各約束ごとについて、以下に簡単に言及させていただきます。

① その週の授業の復習はその週で終わらせる
 勉強の習慣化、知識の確実な定着、消化不良を起こさないために、毎週の授業の復習をしっかり行い、「その週の授業の復習はその週で終わらせる」ことだけを二人の約束事として取り組み、試験直前まで継続しました。
 テストゼミ、サンデー名進研などのオプション講座の受講は復習が厳しいと判断したため、六年生の秋以降から始まる「志望校別特訓講座」のみ受講することにしました。大半の方が受講する講座を受講していないことへの不安はありましたが、先生方とも相談し、思い切って受講せずに、その時間を毎週の授業の復習にあてました。

② 算数で勝つ
 算数は中学受験において最重要科目だと経験上認識しており、娘も比較的得意科目であったことから、人並みではなく、上回る(得点源となる)ことを目標に取り組んでいきました。
 わからない問題については、ホワイトボードを使って、解法の過程をストーリー仕立てで説明し、その後、理解度確認のため、本人から私に説明してもらうことで実力を上げていきました。必須ではありませんでしたが、五年生のうちからテキストのS問題にも全問挑戦し、得点源とするべく実力向上に励みました。プレ中学入試で満点を取ることは結局できませんでしたが、本番での感触は良かったと言っていましたので、受験においては苦手科目を作らないことと同時に、算数で自信を持てるようになれば、合格に近づくことを再認識しました。

③ 直前期の追い込みのための事前準備
 親として受験生をどういった形で支えられるか、力になれるかを考えた時に、授業内容については、信頼して入会した名進研の講師の方にお任せ(算数は個別にフォローはしましたが、基本的には先生方にお任せ)したので、親が力になれるのは、能力をプラスにすることではなく、勉強においてマイナスとなるものを排除することだと思い、中でも勉強を進める上で全く意味のない、「探す時間の排除」に着眼しました。その結果、作成したのが教科ごとの「単元一覧表」です。
 具体的には、縦軸に算、理、社の科目ごとに単元(試行錯誤の結果、夏以降に使用するテキストに合わせました)を記載、横軸には六年生のプレ中学入試(1~7回、滝)、志望校別講座(滝、南山女子)(1~11 、英俊1~3)、過去問3年度(算数のみ五年)を記載し、横軸のプレ中学入試、講座、過去問内の各問題がどの単元に該当するかを実際に私が見て、該当する単元に問題Noを記載していく作業をプレ中学入試に合わせて月に1回更新していきました。
 ある単元を強化したい場合には、該当する問題がどこにあるかが一目瞭然ですし、各テスト、講座、過去問で間違えた問題を必ずマーキングすることで苦手な単元も特定でき、その際は該当の箇所の基本に立ち返るといった使い方をしていきました。
 マーキングにも一工夫し、赤、黄、青の蛍光ペンを信号の要領でマークすることを進めました(赤:間違えたので止まる、黄:悩んだので注意、青:問題なし等)。過去問でよく出る単元が、志望校別講座の各回で反復して掲載されていたことから、志望校別講座を受講することのメリットも実感できました。この1枚を使うことで、特に直前1か月の総復習時の無駄の排除ができ、横断的に効率良く追い込みをかけることができたと感じています。

(最後に)
 本命の滝中学の2週間前に家族がコロナに感染し、危機的な状況に追い込まれましたが、いろいろな不安がある中でも目標に向かって駆け抜け、合格できたことは本人の自信となり、今後の人生の大きな財産になったと感じています。
 振り返ってみればあっという間でしたが、娘と歩んだ2年間はとても充実した時となり、自身の合格以上の喜びを得ることができたので、娘には感謝の気持ちで一杯です。
 末筆になりましたが、これから受験生活を送られる皆様のご健勝をお祈りするとともに、所属校の先生方、二年間ありがとうございました。

かけがえのない時間

 受験することを決めた当初は、息子と私、それぞれで決めた理由が違ったように思います。ただ本人がやる気満々だったこともあり、初日から積極的に取り組んでくれました。

 塾の先生方の授業が毎回楽しいようで、「休みたい。」とは一度も口にしませんでした。

 運動などは苦手だったこともあり、勉強という自信を身につけたことで、小学校のクラスでの役割や存在感も変わっていきました。友達に教えてあげることが自分自身の勉強にもなったようで、とても生き生きとしていました。

 しかし家では、勉強をさせたい私と、家にいる時くらい遊んでいたい息子と、言い合いが絶えませんでした。

 毎日、優しく諭してみたり、一緒に勉強したり、ごほうびを用意したり、部屋の模様替えをしたり、時には子供部屋にあるハンモックや庭でやることを提案したり、あらゆる方法を試しました。

 どうしても合格させたい私と、塾にも行きたいし受かりたいという意志は強いながらも、遊びたい息子。よくぶつかりましたが、目標とするところは同じだったので、最後はお互い「ごめんなさい。」と言い合い、また笑顔に戻るということの繰り返しでした。受験が近づいてきた頃には、さすがにケンカは控えるように心がけました。

 息子は自我が強く、はじめは自分のことで精一杯だったようですが、友達と共に過ごすにつれて、じゃれ合いながら、息子の個性を理解してもらえたこともあり、いつしか息子にとって名進研のクラスメートは大切な友達になっていました。

 先生方にも息子を温かく見守っていただき、育てていただきました。受験前日も、先生や友達に会いに塾へ行きました。きっと安心したかったのだと思います。

 受験が終わった息子の言葉は、「生まれ変わったとしても、僕は中学受験をしていると思うよ。」でした。

 中学受験はとても良い経験になり、私たち親子にとって、良い思い出となりました。

 息子に携わってくださった先生方、いつもそばにいてくれて一緒に頑張った友達、皆さん本当にありがとうございました。

並走から始め、自律・自走から、飛翔へ。

・はじめに
 我が家の中学受験準備は、五年生の名進研の冬期講習を受講し、五年生二月からの名進研入会でした。きっかけは、子供の“受験を頑張ってみたい”の言葉でした。後になってみると仲のよい友達が受験をするから、自身も刺激を受けての開始だったようです。

 これまで中学受験に向けた勉強は皆無で、当時冬期講習で扱われる単元で特に場合の数、モーメントなど触れたことがない内容が多く、二人三脚で歩み始めました。

 最終的には、すべては子供の努力の賜物として第一志望 東海中学、第二志望 滝中学の合格をいただくことができました。

 以下では、参考になればと思い、約一年間の道のりについて書かせていただきました。

・五年冬〜六年春 最初は並走から。
 限られた時間を何に優先して使うべきか、を一緒に考えました。具体的にはコアマスターをどこまで深めるか(例:算数Step1,2,3どこまでやるか)、どこまで網羅して理解するか(例:理科 コアステ+完全制覇プリントの)、試行錯誤を繰り返しました。失敗例ですが、六年生の四月頃、算数のコアマスターのStep3まで勉強していましたが消化不良に加え、算数以外も時間配分のバランスを崩し、結果プレ中学入試では悲惨な結果でした。その反省から、優先順位を自身のレベルと時間に合わせて、“適切に”決める重要性を痛感しました(例:先生に志望校に向けたこの時期の到達レベルを相談)。

 苦手分野の底上げをするために1週間にどの単元のどの問題を解いていくかを一緒に考えました。これを繰り返すことで、夏期講習前には、子供自身で苦手な単元の復習(+日々の予習・復習)を含めた週間計画を立て、進めることができました。同時に塾からも繰り返し言われた「なぜテストでバツになったかの理由」の分析を一緒にしました。分析の気づきは自分の“失敗集”に記載しました。プレ中学入試のたび繰り返すことで、子供自身が弱点や癖に気づき、自発的に積上げ、テスト前に確認を行う習慣ができました。足元の課題を分析し、解決策を見つけていくプロセスを習慣化できました。なおこれが自分で自発的に実行するには、半年はかかりましたが、根気よく見守りながらの成長でした。

 当初は思うような偏差値ではありませんでしたが、六月頃には徐々に安定し65を超える偏差値を推移するようになりました。

 このように、並走から、自分から計画を立て苦手を克服する、自立し自走ができるようになりました。しかし自走をしていても、計画のやり切りについて、ゆるみが出ます。計画がやりきれないことが常態化したこともありましたが、何を諦めるかは子供では判断が難しいためです(例:時間がなければ、奇数番号の問題だけでもやる、等)。無理のない計画を立て、実行できているかをその都度見守ることは親として重要な役目だと思います。

・六年生夏〜秋 自走と自律。
 この時期は計画を立て、課題の分析結果から苦手な単元を宿題と並行して、日々の勉強に加えていくことができました。夏期講習の宿題に加え復習など自分で計画的に実施できる姿をみて、自“律”した自走を痛感しました。

 ただし、プレ中学入試は偏差値や順位は上がることも大きく落ちることもなく、偏差値は60前半を安定して推移していました。振り返ると、ほかの生徒との比較である偏差値に一喜一憂する必要はないと考えます。むしろ、1か月前の子供自身と比較し、何が成長できたか、苦手分野をどう克服できたかを認め褒めてあげることが大事だと思います。

・六年生冬〜受験直前 自律した自走、そして飛翔へ。
 秋から入試問題を解くことが増えました。しかし、撃沈ばかりでした。特に九月末の第1回 東海中プレの算数では10点台と低い点数でした。そのため名進研から難関校向け算数の演習プリントをもらい、苦手分野を絞り対策を始めました。おかげで図形問題のコツがつかめたようで、十一月末の第2回 東海中プレで図形の問題の正答数が増え5割弱まで改善できました。その後は、冬期講習の東海/滝プレの過去問と日曜特訓の演習を通じ、定着を深めていくことができたように思います。正直、一月半ばまで来て東海レベルを6割程度解けるレベルに仕上がったようです。他の子と比較する必要はもはやなく、目標レベルの問題がどれだけ解けるようなったか、過去の子供自身の出来栄えと比べることで成長は明確です。

 年明けの受験シーズンを迎え、名古屋中学の普通合格(非スカラ)は悔しかったようでした。名古屋中学受験後、出来は上々と言っていました。原因は不明ですが、次の週の第一志望では慢心せず、条件設定確認、計算ミス、誤字脱字……、など気を引き締める材料になり、第一志望への集中力を高める良い方向に動きました。結果的には、第一志望の東海中学、第二志望の滝中学の合格をいただくことができました。

・さいごに
 算数の図形、国語の物語文、直前まで不安は尽きませんでしたが、常に苦手分野克服に向けたサポートをいただいた名進研の先生方には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。また保護者会で繰り返し説明受けた親の受験サポートの仕方についても大変参考になりました。

 一年間、二人三脚で中学受験を歩むことができたのは、私にとって素敵な思い出の一つです。新しい六年間は、新たな環境へ羽ばたき、これまで以上に大人の階段を上っていくことは、うれしくもあり少し寂しくもあります。自主活動や部活動を楽しみ、よき学友と夢や目標を磨き上げ、実現する道のりを探求してほしいと思います。

 最後に、お父さんがいろいろと余計なアドバイスしてしまい、逆に混乱させたことも多かったと思います、本当に不甲斐ありません。それでも自律し自走を続け、最後に飛翔したあなたを誇りに思います。ありがとう。

偏差値35からの挑戦

 名進研庄内通校に通い始めたのは、四年生の初夏でした。既に講習が進んでいて、要領が分からず、あたふたしていました。最初の実力テストの時、テスト範囲が分からず、勉強せずに受けたら、偏差値35という結果が出ました。名進研にしばらく通って、一ヵ月授業で習ったことが範囲だと分かり、勉強して、次のテストで偏差値43まで上がり、その後、48まで上がって、JAクラスの一番前の席に座っていましたが、算数が弱く、なかなか偏差値50台に上らなかったです。しかし、国・理・社を頑張っていたら、五年に50台に上がり、JSクラスに入れました。その後は、算数が足を引っ張りJSとJAを行ったり来りでした。

 息子は面倒くさがりで、漢字を何度も書くことや計算をひたすらすることが苦手でした。

 算数は分数、少数の計算が苦手で、出来るようになるまで何度も計算練習しました。

 国語は文章問題は出来る方ですが、漢字問題は丁寧さ(トメハネ)が欠けてボロボロでした。何度も漢字を書く作業は乱雑に書くので、ペン習字で一度だけ丁寧に書く作業をしてトメハネを覚えました。

 社会は地理が苦手でした。コロナ禍で旅行しにくかったので「桃太郎電鉄」で擬似旅行したり「ブラタモリ」を見たりして、少し苦手意識を減らし、プリントの基本問題を何度も解いて理解するまでやりました。歴史は、「ねこねこ日本史」を読んでいて好きでした。漢字の書き間違いが多いので、プリントの基本問題を何度も解いて漢字が書けるようにしました。

 理科は物理が苦手でした。コアマスターとプリントで基本的なことが理解できるまで何度も解きました。

 息子の第一志望校の合格率は50%でした。過去問を何度かやりましたが、算数だけ合格平均点には届きませんでした。国、理、社は合格平均点に届いて、総合的に合計点を超えることもありましたが、算数と物理次第で左右されるので不安がありました。コアマスターや完全制覇で基本と標準を解いたり、計算を毎日やったりと出来る限りやりました。入試が終わった時、息子が算数だけが難しくて出来なかったとがっかりした様子を見て、心痛みました。結果は残念に終わりました。算数が弱いと駄目だなと痛感しました。

 息子の第一志望ではないですが、愛知中学からご縁をいただき、私にとっては名進研に入った時から第一希望でしたので、喜びました。愛知中学の合格率が80%でも、算数と物理次第で結果が逆転する心配はありました。愛知中学の入試が終わった後、苦手だった物理が全部出来た‼算数も解けた‼と笑顔で言う息子を見て、よく頑張ったなあと思いました。

 少しレベルが高めの第一志望校に受かるために勉強してきたから、算数と物理が少し出来るようになったかもしれないと、今は思っています。中学受験を通して、息子の弱い部分がはっきりと分かったことが大きな収穫でした。

 愛知中学校に進学した後、大学受験に向けてゆっくり苦手を克服して、大きく成長して欲しいと願っています。

 これから受験される方に桜が咲くように祈っています。

 名進研庄内通校の先生方、三年間、面倒くさがりの息子を指導していただき、ありがとうございました。

想いも実力のうちか

 私立中学受験に至った理由はふたつ。ひとつは学習習慣定着を目的として通わせたのが名進研であった、ということ。自宅から徒歩1分という好立地にあり、かつ古くから学習指導には定評があるイメージの先行する名門進学塾に通わせたのがそもそもの端緒である。数年じわじわと本人の意識が受験に向き「どうせやるなら高みを目指せ」ということになった。もうひとつは(これは肌感覚でしかないが)地元公立校という学びの場への期待感のあり方が受験志向を加速させた。本命校から場慣れ(滑り止めに使うという意識は親には皆無であるが本人の意識は定かではなかった)も含め、結果的に東海・滝・名古屋・愛知の4校を受験することになる。

 初期の目的であった学習習慣の定着を感じられるようになったのは、おそらく六年生中盤ごろからだろうと憶測している。季節毎の講習の単発受講に始まり、本科コース、五年生からは実力テスト、プレ中学入試、志望校別プレ入試、加えて六年生の志望校別特訓講座、夏期冬期と……日を追うごとに取り組むべき量も時間も増えていくのだが、自宅での学習はほぼ本人の自主性に任せてきた。自発的な思考力や表現力を成長させたい思いも強かったが、共働きで放置状態というのが正しい表現のように思う。日々の計算トレーニングは手を抜き、宿題は答えを写し……という状態も見ればわかる。いまさらながら全てのテスト結果を見並べるが、稀に飛び抜ける教科があるもののいたって平凡。小五からの4教科偏差値はおおむね50半ばであり、かろうじて60にのったことがたった1度あったのみである。

 本来やるべき復習や予習がされていないのを発見した時だけは、烈火の如く厳しくあたっていた。できたときに褒めるのは妻の役割であり父親は寡黙を貫く伝統的スタイル……のつもりであったが、より厳しい叱責もまた妻であったような気がする。本人のフラストレーションも相応であり「いやさ」も滲み出ている。感情の表出対内包、気持ちはよくわかるが親子バトルもいい加減飽きてくる。

 六年生中盤、おそらく夏期講習からであろうか雰囲気が変わる。受講教室が自宅から少し離れた教室になり、早朝から公共交通機関を使って独り通うことになった。帰路も基本的に迎えにはいかない。ちょうど良いバスの時間まで自習室を使え、という暗黙のメッセージである。このせいかわからないが、講習以後は自ら自習室に行くようにもなった。もうひとつ、他教室所属生の存在も刺激になったのだろうと感じる。本人にはどう映っていたかわからないが、仲間やライバルの存在が良い影響をもたらしたと思う。この頃からはストレス発散も含めて本人のやることはほとんど見て見ぬふりをした。ゲームをしていたことだって知っていたし、なんならやりたければやればいいと言い放っていた。1時間を超えるような長風呂もほぼ毎日で「女子か……」と心の中で呟きつつ健康を害さない程度に好きにさせていた。

 どうせ行くなら東海でしょ、と本人の口から飛び出したのもまた六年生になってからのことであった。

 親としてできることはなにか……仕事とのバランスが難しいケースが多々ありながらも、他校舎や模試会場への送迎と本人の性格を考慮し先生方とのコミュニケーションの仲介をメインに据えた。

 ◯◯先生と合わない、▲▲先生が急遽辞めてしまう……など多々アクシデントにも見舞われるのだが、親と子の勝手な言い分に先生方には随分とお付き合いいただいた。「必ず東海に入れる」とまで言っていただいた。自宅で「残念なことになるかもしれないなぁ……」と我が子とニヤつきながら話していたことをこの場で白状し、熱意とコミュニケーションのネタを提供いただいたことに謹んでお礼申し上げたい。

 行くと言いつつもいまいち身の入らない日々を過ごしながら、初回の東海プレで国語の点数に皆が驚き、そこそこの得点を叩き出す。ここでまた本人のスイッチがなんとなく押されたように思っていたが、結局のところ驚愕の数字を見ることは二度となく最後まで停滞し、合格判定は東海も微妙以下のラインに居座り続けた。後日談ではあるが本人いわく、本気モードのスイッチが入れられたのは六年生十二月とのことである。

 愛知には特待、名古屋にはスカラーで合格。というのが本人の目論見であったようだが、もろくも崩れ去り一般合格を得た。親としては、そこそこの努力でそれは流石に無理だろうと当初から悟っていたところではあるが、当人はそれなりに気にしていた。特にこれまで割と得点を稼げていた算数で得点が伸びず本命校に向けては不安が残る結果であったため、たまらず教室長はじめ先生方に相談したものである。本人だけでなく親まで激励していただくことになる。先生方、本人、保護者、さらに言えば父、母のそれぞれの役割分担のようなものが形成されてくるとコミュニケーションもスムーズである。自身の体験としてはここに一番時間を要したように思う。

 東海の本番はこれまでの「プレ」よりも難度が高く、滝は低かったという感覚を本人はもっていた。それぞれの受験教室では、ほかの生徒が発する大きめの物音と教室内に漂う香り(東海のみ)にいささか苦しんだようである。それでも、いずれもそれなりにできた感触を覚えていたようである。本人が「割とできた」という時に限って、そのとおり良い結果をおさめた記憶はないのだが……。

 東海中の合格発表は追加に期待する結果となった。その日の夜、翌日に控えた滝中の発表を待つことなく今後の進路選択を巡って教室長の時間を割いていただき緊急の面談をもった。本人の心は折れかかった状態である。しかし親としては現実と向き合うほかなく、コストと見えない未来を天秤にかけざるを得ない。すでに公立進学も視野に入っている。各校の合格発表や追加連絡、入学金納付手続きの日程を考えると実にタイトであるばかりか、十二歳の決断としてはなかなかに重い。1秒でも早いほうがよかった。明確な結論に至らない中、どストレート発言にさぞ困惑されたことだろう。

 二月八日(水)10時1分
 すべてが杞憂に終わる。強行日程の中で気持ちを奮い立たせて受けた滝中、まさかの合格。職場のデスクで声がでた。隣にいた同僚とともに(ご子息も滝中卒業生であった)。これまでの成績、滝プレ模試の△(合格率20%未満)判定……一瞬の爆発力に賭けていたところは正直ある。努力が結実した瞬間であった。

 思い返せば、こんな出来事があった。

 滝プレ模試の日、自身が江南駅まで同行し学校行きのバスを見送る。自分の時間潰し場所を探そうと駅前を散策しながら、ふと「なんだか、ここをまた一緒に歩く気がする。滝だな。」と逆デジャブのような感覚に包まれた。これは本人にも妻にも話していた。言霊なのか縁なのか、非科学的ではあるが現実の学習とともに「想い」もまた、希望実現のためには重要なのかもしれない。ちなみに、受験会場であった愛知大学車道キャンパスでは、そんな感覚には一切ならなかったからまた不思議である。

 笑い話のように「これで追加連絡でもきたら……」と話してみたが、そんな見え透いた「想い」にはなにも共鳴しなかったようである。

ばあばも一緒に押して

 おばあちゃん子の孫が、東海中学校の数字クラブに入りたいと言いだし、塾の送り迎えくらいならしてあげるから頑張ってね。と軽く始まったのが五年生直前の冬期講習からでした。

 自分で行きたい学校があるのだから、さぞかし一生懸命勉強するのだろう、と思っていましたら、宿題もやっていない‼なぜやらないのか問いましたら、塾さえ行っていれば受かるものだと思っていた、と言うのです。算数と理科は楽しいけれど、社会は覚えることがいっぱいだし、国語は意味がさっぱり分からない。漢字のテストは毎週二問三問できているだけ。書いてある字はきたなくて読めない。

 「えーっ‼」びっくりした私は、国語の問題を、生徒二人となって、よーいどんで一緒に解き、答え合わせをし、検証をしました。社会の暗記も一緒にマーカーを引き、一緒に覚えました。生まれてこのかた、こんなに勉強をしたのは初めてでした。

 六年生になり、やっと暗記力が伸び漢字テストも満点が多くなり、夏期講習が終わる頃には難しくてさっぱり分からないと言っていた長文問題も、半分は解けるようになりました。勉強をしていた椅子も、へたってボロボロになっていました。

 そんなこんなで入試当日、試験を終えて校舎から出てくる子は皆、こわばった顔。でも、親を見つけるとその顔が、ふっと和らぐのです。孫も同じでした。朝、入って行く門の所で、先生方の応援動画を見たあと、ギュー‼としてきたのです。誰はばかることなく、こちらもギュー‼と抱きしめてやります。そして、大きな声で「行ってらっしゃい‼」と言ってやります。それから五時間近くの緊張とストレスとの闘いだったのです。帰ってきた孫を抱きしめてやることしかできない自分が情けない程でした。

 受験最終日の夜、ふとんに入った孫がいきなりおいおいと泣き出しました。自分でも訳がわからないまま泣き続けるのです。小学六年生、まだまだ子どもです。そんな子が、学校・塾・宿題、模試等、大きな山を切り崩していくような勉強量の中、大学受験並みのストレスを抱えるわけですから、保護者のメンタルケアがどれほど大切で大変かということを、今更ながら思い知らされ一緒に泣きました。「頑張ったね。やり遂げたね。」と背中をさすりながら。

 最後になりましたが、入会時、本部の方の電話対応がとてもていねいで、先生方の対応も温かさを感じたことを思い出しました。

 先生方には親身に答えていただきました。一人一人の性格を捉えた上でのやる気になる話、やり直しノートへの的確なコメント。どんな質問にも否定的なことは言わず何度も教えていただきました。

 三位一体となり頑張っていきましょう。と言っていただいた時から、とにかく塾を、先生を信じる‼と決めてきました。

 結果発表のボタンを押す際、孫に、
 「ばあばも一緒に押して」
 と言われた瞬間、全てが報われた気がしました。

 ありがとうございました。

明るかったら受験はうまくいく!

 二歳年上の長男の時から五年間、名進研は我が家の生活の一部でした。最初は自転車で兄の後ろをただついて通っていた娘でしたが、東海中で自由を謳歌している兄を見て、私も南山中女子部に行きたいという気持ちが強くなったようです。

 毎週、真面目に名進研のカリキュラムをこなしていただけの我が家ですが、二人の受験勉強中にこれだけは守ろうという約束があったのでそれを2点書きたいと思います。

 まず、睡眠はしっかりととること。五年生までは21時台でも眠たくなったら寝る。六年生でも22時には就寝し、朝は6時に起床。その日のうちに課題はなるべく終わらせるが無理はしないこと。

 次に、受験生だからと小学校での生活に手を抜かないこと。学校行事も授業も課題の提出も何でも全力で頑張る。五年生の終わりまでは部活もしていました。もちろん塾の成績も大切ですが、小学校での生活を疎かにしては本末転倒だと思っていたからです。南山女子の理科は教科書から出ます。実験なども率先して行い、学校の授業を大切にすることが受験勉強につながると思います。

 二人目なので多少慣れもあり順調だと思っていた受験生活でしたが、夏休みに南山女子中の過去問を解いて出来が良かったのをきっかけに慢心になり、十月末のプレ中学入試で大暴落という経験をしました。親としては「まさかの今この成績とる?」と慌てましたが、本人は至って落ち着いていました。もうこの時期になると完全に自走していたので親としては見守ることしかできませんでした。実は私自身も名進研出身(早稲田予備校ビルの時です‼)なのですが、プレ中学入試の保護者会会場で偶然お会いした恩師の先生が「お母さんがそれだけ明るかったら受験はうまくいくよ」と言ってくださいました。そのお陰で私の肩の力も抜けて何とか成績も持ち直し、受験期を親子安定した気持ちで過ごせたと感謝しています。

 名進研の先生は中村公園校で見ていただいてきた先生をはじめ、どの先生もいつも生徒に寄り添ってくださり、親子で本当に信頼してついていけました。ずっと憧れていた南山中女子部の合格も嬉しかったのですが、最後には滝中学の特待生までいただけて最高の形で二人の受験生活が締めくくれたと思っています。本当にありがとうございました。

名進研 中学受験コースJunior high school exam course

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