名進研 合格体験記
menu
m

保護者の声・評判(中学受験)

「お母さん」

四年生の後期から名進研に通い始めて長かった二年半が終わりましたが、終わってしまえばあっという間の二年半でした。息子は、名進研の入会時から東海中学校に入学したいという強い意志を持ち一人でコツコツと頑張っていました。そんな名進研生の息子を支えてくださったのは名進研の先生方でした。名進研の先生方に言われた事は忠実に守り、私にできた事といえばお弁当を作ったり、遅くまで勉強している息子を起きて待っている事ぐらいしかありませんでした。

名進研の正月特訓も参加しました。私は名進研の正月特訓の勉強のつらさよりも、朝起きれるか、ホテルのシャワーを使えるのか、食事は食べられるのかなど、くだらない事ばかり心配していましたが、終えて戻ってきた名進研生の息子は「名進研の正月特訓、勉強はつらかったー。部屋はシングルだったけど何も問題なく過ごせた。参加してよかった。」と一回りも成長していました。

名進研の正月特訓が終わるとあっという間に受験が始まりました。一番の愛知中学校は受験生の数も多かったですが、応援の塾の先生方の多さにびっくり、なかなか名進研の所属校の先生を見つけられずにいた私たちに「オーイ」と名進研の先生が大きな声で呼びとめてくださいました。そこで「一番最初、良いスタートを切れ」と名進研の先生に声をかけていただき、二人共落ち着いたのではないでしょうか。続く名古屋中学校、東海中学校は面接がありました。大切な面接だから、特に東海中学校の面接は男性の方が多いと聞いていましたので、父親が面接を受けると勝手に決めていました。子供に「お父さん、お母さんどちらがいい」と聞いても、どちらでもいいという答えでしたので、父親に決まっていました。直前になってもう一度本当はどちらがいいのか聞いたところ「お母さん」という答えが返ってきました。説明会などあまり参加していない父親の出席で心配させていたのでは、と申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。皆様方もよくお子様の気持ちを聞いてあげてください。

晴れて四月からは東海中生となります。名進研の先生方には本当にお世話になり、ありがとうございました。名進研には心より感謝しております。 

私が一番望んだ姿勢

息子は第一志望校の東海中学校へ名進研で合格することができました。東海中学校が不合格なら地元の公立中へ行けばいいとずっと名進研生の息子に言っておりました。名進研生の息子はすごいプレッシャーに勝ち、精神的に強くなったと思います。小四の四月より名進研に入りすぐにその事が学校、学年に広まりみんなに受験することを知られ、東海中学校受験を息子の学年だけでなく弟や妹の学年にまで広まってしまい、合格へのプレッシャーは相当なものだったと思います。でも名進研生の息子は最後までマイペースでした。合格発表日をクラスのお友達もそれとなく知っていたようで、学校から帰宅後合格通知を見るやいなやすぐにお友達へ知らせに飛び出して行きました。クラスのお友達が家の外で、そして学校のグラウンドで結果をずっと待っていたようでした。我が家は学校から大変近いのです。みんなから合格おめでとうと言われ、次の日学校へ行くと先生方、用務員さん、違うクラスのお友達みんなから、東海中学校合格おめでとうと声をかけてもらえたと本当に嬉しそうでした。

東海中学校へ合格を勝ち取れたのは、最後の一月末、正確には受験日ぎりぎりまで名進研で頑張ったからです。名進研ゼミの毎回やる名進研テストプリントは、理科社会は全てパーフェクトに覚えきりました。算数は苦手な単元を得意にさせました。国語は漢字も含め全て名進研テキストをむらなくやっていました。私は一月頃勉強している息子の姿を見ていて「あなたはもう東海生だね」とよく名進研生の息子に言っていました。苦手だった算数は一月頃には得意科目と本人が言えるまでにもなっており、前から得意科目であった社会は受験当日百点目標としておりました。受験当日、名進研生の息子は四教科共名進研生の自分に自信をもって受けることが出来たのです。これこそ私が一番望んだ姿勢でした。名進研の受験生のみなさん、第一志望校合格目標のために苦手な単元は、自信がつくまで何回もやりあきらめないで、ぎりぎりまで頑張ってください。私はお弁当や雨降りの時の送迎をしただけ。受験を最後まで頑張り続けた名進研生の息子は、きっと中学校へ行っても次の目標に向かってまた努力してくれるでしょう。人生一回限り、これからも走り続けてほしいです。名進研の先生方、お世話になりました。名進研に入会させてよかったです。名進研で中学受験させてよかったです。

覚悟を決めました

小学三年生の名進研冬期講習から名進研に入会して六年生まで長い期間でしたが、今思えばあっという間に過ぎました。子供だけで電車に乗って毎日通った名進研。夜も遅くなり10時過ぎに駅に迎えに行く日々、私も名進研生の子供も気力だけの名進研生活。勉強もついていくだけでしたが、本人なりには頑張っていました。私も勉強は名進研まかせで、ほとんど何もしていない名進研生の親でした。私に出来る事は、小学校への迎え、そしてお弁当作り、最寄りの駅までの送迎でした。成績は伸びず、いつも名進研では下のクラスでしたので、私も名進研テストのたびにどうしても怒ってしまい、何でわからないのか、出来ないのか、ヒステリーになる自分がいました。なかなか子供を褒める事ができなかったのが反省する一番の点です。

名進研正月特訓に行かせた事は、良かったと思いました。名進研生の本人も頑張ったという気持ちがあり、それ以降は気合いも入ってきて、今までよりやる気が出てきたように思えました。もっと早くからこの気持ちになれなかったのか、と思うと本当に残念であります。夏休みにでも、名進研特訓合宿とかやって欲しかったと思います。受験は厳しいです。本人としては、できたような気がするといった所も、不合格の通知が届き、親子で落ち込みました。その中で合格をいただいた学校に、行くかどうか悩みましたが、主人の親から、「今まで頑張ってきたから受かった中学校に行かせてあげなさい」との一言で覚悟を決めました。

「ありがとう。合格してよかった。」

今日落ちたらどうしよう!東山動物園の観覧車から見た八事の森の風景が忘れられません。95%以上名進研で合格すると言われていた愛知中学校に不合格となった時は、「まあたまにそういう生徒もいる」という名進研の先生の言葉もあり、名進研生の親としても残りの三校を頑張ればよいと思っていました。その次の週、まさか落ちると思っていなかった名古屋中学校も不合格になり、正直どうすればよいか分からない状態でした。家内もほとんど放心状態で、家の中が真っ暗でした。今振り返ってみると、ここからの一週間がその後の明暗を大きく分けたと思います。名進研生の親なりに不合格の原因の分析をしたところ二つ問題がありました。

原因①もともと国語が非常に苦手でそちらの強化に気を取られて、他の教科がおろそかになってしまった。名古屋中学校の理科の点数を見て愕然!

原因②体力のない小学生は受験会場に着くまでに疲れてしまい、試験で最後まで集中力がもたない。本人曰く電車による長距離の移動(岐阜から名古屋)や自由ヶ丘からの徒歩など、慣れない場所での不安が相当大きかったようです。結果として四時間目には(早い場合には三時間目から…)気持ち悪くなる。

多少情けないと思いながらも、最後の南山中学校男子部に向けて対策を施すことになりました。最後の一週間は、南山中学校男子部一本に絞ってできることはすべてやりました。算数の作図、国語の文章読解、などヤマを張りました(結構当たっていた!)。また南山中学校男子部でウェイトの高い理科(物理分野)には特に注力しました。過去問、名進研テキストを徹底的にやり直させました。夫婦で今までにないくらいつきっきりでした。

また、試験当日は車で試験会場まで送ることにしました。時間が読めない分、遅刻の危険はありますが、電車で行くのに比べてかなり時間が短縮できました。天気が良かったことも幸いし、子供にも精神的、肉体的な余裕が生まれ、自信を持って?当日の試験に臨むことができました(試験の間は、下の子どもを連れて東山動物園で時間をつぶしていました)。当日入口の前まで行くと名進研でお世話になった名進研の先生に直接励ましていただいたことも大きかったです。

数日して、少し厚みのある合格書類が自宅に送られてきました。家族はもちろん親類一同大喜びでした。その時の名進研生の息子の一言がすべてを物語っています。「ありがとう。合格して良かった。」

おかげさまでこの春から第一志望の南山中学校男子部に進学することになりました。名進研の先生方には大変お世話になりました。ありがとうございました。 

振込用紙…?? 「合格!?」

四年生から名進研でお世話になり第一志望校に合格することができました。今、振り返って印象に残っているのは二つ。受験当日と合格発表の日です。

まずは、受験当日の朝…中学校の入り口に名進研以外の色々な塾の先生が並んでいる姿を見て「この風景、テレビで見たことあるね。」と名進研生の娘と話しながら門をくぐりました。少し進むと名進研の白いコートを着た各校の名進研の先生方が見えました。私は名進研生の娘より一生懸命、名進研の所属校の名進研の先生を探し、見つけた瞬間うれしくて思わず手を振ってしまいました。同時にとても安心して涙があふれそうになりました。今まで受験するのは子供本人だと割り切っていたつもりの私が一番緊張していたのかもしれません。名進研生の子供たちを激励する一瞬のためだけに真冬の朝早くから中学校の入り口に立ってくださった名進研の先生方は、受験生だけでなく私たち名進研生の親も励まし勇気づけてくれる大事な存在であることを実感しました。本当に「感謝」の一言です。

そして合格発表の日…速達が待ち遠しく朝から落ち着きませんでした。しかも名進研生の娘が「学校から帰ってくるまで封筒を開けないでね!!」というのです。私は悩みました。そう言われたものの開封してしまおうかと…。そんな思いの中、午前10時。ピンポーン。速達が届きました。さあ大変です。受け取る時に手は震えるし、変な汗は出てくるし、中身は見れないし。何とか透かして見えないかと試行錯誤すること数分。封筒に入っている用紙が見えた気がしました。振込用紙??ということは「合格」!?でも合格通知書を確認したわけではないし…複雑な気持ちになりました。

午後4時。名進研生の娘が走って学校から帰ってきました。娘のはさみを持つ手が震え、封筒が上手く切れません。「やったぁ。★o(´▽`*)/♪☆受かった~!!」名進研生の娘が叫びました。涙が止まりませんでした。私にとっての長い一日が終わりました。そしてとても疲れた一日でもありました。でも「合格」という言葉がすべてを吹き飛ばしてくれます。この喜びは体験した者でないとわかりません。名進研のみなさんも頑張ってください。

最後に、受験勉強を楽しいと思わせる環境を作ってくださった名進研の先生方、ありがとうございました。 

「何か泣けてきた…」「オレも…」

滝中学校の合格通知を見て、数秒、思わず涙している自分に正直驚き、涙を手で拭いながら「何か泣けてきた…」というと、主人も「オレも…」「うれし泣きなんて生まれて初めてかも…ね…」と互いに話が続く…。名進研生の息子は、ホッとした顔で、「オレが泣いてないのに…」と冷静に言っている。が、待てよ…。それほど、大変で苦労したんだぞーと、メラメラと半年から一年位前の出来事が思い出された。

五年の夏に名進研JSから始め、「イヤ」の一言も言わず、六年の春までは楽しげにも見えた名進研だったが、ゴールデンウィーク中に「辞表」をポストに入れることになった。名進研の先生たちのサポートで、何とか切り抜け、夏には、朝8時から電車に乗り、名進研の所属校にも、弁当を届け、夜9時位までは一応やってはいたようだった。時には名進研の友だちが遊びに来たり、行ったりして、息抜きを大いにしつつ、秋には少し名進研での成績も上がりかけたが、またもや「受験拒否病」が出て、第一志望の文化祭でさえ、友だちから誘われても行く素ぶりを見せない…。こんな感じで十二月いっぱい親子の攻防は続いた。だから、私は「受験は向いてなかった」と後悔しつつ、でも、途中で止めさせたくはなかった…。常に四月以降、大きなヤマ・大きなタニの繰り返し。依って名進研生の息子は、名進研テストゼミも最後の二ヶ月のみ。もちろん名進研正月特訓にも行かず、名進研の先生から見れば、とんでもない受験生だったに違いない…。本当にドタンバでしかできない息子…。ゲームをやめたのは、受験の一ヶ月前。かといって、毎日家できちんと学習していたのではないが、名進研から「もう帰る」と早く連絡することがなくなり、粘っこくなってきた。毎週のスイミングも辞めることなく、たまにはサッカー部にも顔を出し、体力もつけて臨んだ。

一月からの入試は、順調に合格し、名古屋中学校はスカラー。本人も喜んでいた。東海中学校の算数はさすがに「難しかった…」と算数が得意でも、お手上げ?連続受験、大本命「滝中学校」は、名進研の友だちも一緒に学校へ向え、リラックスしすぎていないか心配になるほど笑顔で入っていった。「自信はある!」と言っていたが今回、滝中学校は難しくて、合格平均点も低かった。ただ、ミスの多い名進研生の息子には、味方になったと思う。滝は算数だけ60分で、一番最後だ。それは、算数のデキを重視しているようだ。

息子のようなノー天気でミスの多い、優等生タイプではない子どもでも日々、名進研で積み重ねた学習と何度も繰り返される名進研テストで、知らぬ間に名進研で力を付けていることもあり得る。とにかく名進研で友だちに恵まれたのもよかったと思う。相変わらず遊びに忙しい毎日の息子だが、これから中学校生活が始まり、噂どおり、学習も厳しく長い通学距離で体も鍛えられる、すっごく楽しみである。

冷静に現状を受け入れて

娘が名進研に入ったのは五年生のときでした。四年生の時に娘が突然「私、中学受験をしたい。」と言い、親としては考えてもみなかった事で、まず塾を探すことから始めました。

そんな中、名進研の存在を知り、名進研本部に連絡したところ、仕事をしている私のために、自宅近くの校の名進研の先生から夜電話を頂き、名進研説明会に参加をしてみました。その結果、名進研へ入会をきめました。このときから娘は、椙山女学園中学校に入学する事を目標にしたようです。

名進研に通ったこの二年間には色々な事がありました。成績は思うように上がらず、名進研JAの中を一列目から五列目を行き来する有様でした。その成績は、六年生になり、月日が進むにつれて下がる一方でした。受験を止めさせようと何度思ったことかわかりません。いざ、名進研で志望校を決めるときになると、成績よりも親の見栄や意地が前に出てしまい娘の行きたいところではない、少しでも偏差値の高い中学を受けさせようと考えました。娘も親の気持ちを察したのか、いつの間にか志望校の一校にしていました。

最初の受験日の二日前に、インフルエンザになり、試験当日には、熱は下がったものの、本調子とはいかず、届いた結果は「不合格」でした。第一志望ではなかったのですが、この結果に目の前が真っ暗になり、どうしたら良いのかわからなくなり、すぐ名進研の所属校の名進研の先生に連絡を入れ相談しました。名進研の先生から「次は第一志望の椙山女学園中学校だからしっかりと今の状況をお子さんに伝えてください。そして、椙山女学園中学校に向けて全力で取り組ませてください。椙山女学園中学校の結果で次のことを考えましょう。」とアドバイスを頂き、その夜は、娘と泣きながら話をしました。その後二人で冷静に現状を受け入れて、椙山女学園中学校に向けて全力で取り組む事にしました。

椙山女学園中学校の試験当日は、思ったよりも緊張もない様子で受けることが出来ました。試験終了後の第一声は「出来た!!」でした。今までに聞いたことの無い力強い言葉でした。二日後に届いた通知は「合格」でした。涙して喜びました。その勢いで名進研の所属校の名進研の先生にも連絡を入れ報告をしました。この二年間本当に辛い事ばかりでした。でもこの合格の瞬間に全てが良い思い出と変わりました。

私が見栄や意地をはった結果、娘には辛い思いをさせてしまいましたが、この春から念願の椙山女学園中学校に通うことが出来、本当によかったです。名進研の先生方には色々とご迷惑をおかけしました。本当にありがとうございました。

夢が現実になった瞬間

我が家の時計は6時とか7時ちょうどになると“カチ”っという音がしてからメロディーが流れ、能天気な白くまがくるくる回る。我が家の電話は鳴る前に“カチ”っという音がし、コール音が鳴る。

うちの娘は愛知中学校と愛知淑徳中学校の名進研で合格を頂きましたが、南山中学校女子部の合格は頂けませんでした。合格通知は名進研生の娘の希望により、娘しか封を切ることができないので、南山中学校女子部の不合格を見たときはそれなりに落胆していました。しかしそれを見た名進研生の娘が最初に言った言葉は「繰り上げ合格はいつ?」でした。

そうです。名進研生の娘はまだ全然あきらめていないで、まだ名進研卒業後は南山中学校女子部に通う事だけを考えていました。そんな名進研生の娘に「17日の夜6時~8時に電話で知らせが来るけど、そんな期待しちゃだめだよ。南山中学校女子部の繰り上げは極少だからね。」と言い聞かせましたが、名進研生の娘は「南女の試験はできたから」とまだ全然あきらめがついていない様でした。既に合格を頂いている学校の入学手続きが必要なので、我が家ではその手続きを済ませ、制服の予約を済ませました。

その際も名進研生の娘は「これらの備品は南山中学校女子部の繰り上げ合格がでたらどうするの?」と言っていました。そして運命の17日です。夜6時から8時に連絡があると聞いていたものの、実際そんなに遅くはならないだろうと思っていた私は、午後6時頃に電話がなかった時点であきらめていました。そして8時ちょうどに“カチ”っと音がしました。一瞬ビクッとし、その直後能天気な白くまがくるくる回り始めました。あーあ、ダメだったかと思った瞬間、また“カチ”っという音がしました。そうです電話が鳴ったのです。それは南山中学校女子部からの電話で、名進研生の娘が最後まで名進研生である自分を信じあきらめず、夢が現実になった瞬間でした。やっと我が家の受験は終了です。

最後の最後まで名進研生の自分を信じて絶対にあきらめないで頑張ってください。

体を震わせて号泣

 五年生の四月から名進研に入会し、この度、愛知中学校と愛知淑徳中学校から合格通知を頂きました。

当初は名進研の宿題の多さについていけず、文字通り泣きながら名進研に通っていました。名進研の宿題の答えが正解、不正解に関心はなく、ただ終わらせればいい、という姿勢に親としては疑問を持ってのスタートでした。私共は、合格させたいという思いはなく、やってきた積み重ねの結果受かればいいという姿勢だったので、名進研の先生からみれば熱心さに欠ける名進研生の親だったかもしれません。本人が名進研の平日練成で手一杯の様子だったので、名進研テストゼミも六年秋になるまで受けていませんでした。六年名進研夏期講習から名進研の自習室を利用するようになり、成績が伸びたように思います。分からないところを父親に聞くよりも名進研のチューターの先生に聞いた方がよく分かるとも言っておりました。

秋以降も名進研の平日練成のあとに名進研の自習室で9時まで頑張っていました。名進研プレ中学入試では愛知淑徳中学校合格率50%までしか出ませんでしたし、一月に入ってからも特に追い込みをかけるわけでもなく、学校では楽しく家ではノホホンとしていたので、多分愛知淑徳中学校は無理だろうと思っていたのですが、無事合格通知を受け取ることが出来ました。合格通知を見た瞬間、体を震わせ号泣した姿を見て、本人なりにずっと頑張ってきたのだ、ということを改めて知りました。

本人は、名進研の先生には絶対の信頼をおいていました。たとえ不合格の場合でも公立中学校に行き、名進研プレミアクラスに通うつもりでいたようです。六年生になってからは、親は勉強に関しては何もしていず、名進研にお任せの状態でした。合格できたのは、本人の頑張りと名進研のノートにいつもメッセージを書き込み、やる気が出るようサポートしてくださった名進研の先生方のおかげだと思っております。

さみしさ半分とうれしさ半分

家族で話し合い、中学受験をやってみようと決めたのは小学三年生の終わりごろでした。全く何もわからないので、受験をした知り合いに聞いてみると、名進研が一番良いのでは、と言われさっそく名進研へ入会を決めました。

四年生の最初の一~二ヶ月は、名進研の机にすわる事からの練習で、今まで何も勉強らしい事をしてこなかった息子は、名進研の宿題をすべてやり終えるまでにかなり時間がかかっていました。その後はずいぶん慣れてきて、大変だった名進研の宿題も楽にこなせるようになりました。

五年生になると、秋から名進研テストゼミをはじめたのですが、それがとても苦手らしくペースをくずし、名進研Mテストまで成績が下がる程でした。あまり勉強をしないタイプなので、今まで一ヶ月名進研でやってきた事を一週間で定着させる事ができないようでした。ついつい名進研テストゼミの結果を見て叱ってしまう事が、いけないと思いながらも多かったと、今は反省しています。自分の小学時代は部活と遊びばかりで勉強などしなかったのに、名進研生の息子にえらそうな事を言っている自分がとてもイヤでした。

六年生になると、名進研に通う日数が増え名進研にいる時間も長くなるので、とにかく弁当作りと名進研への送迎にと毎日忙しくしていました。名進研生の息子は土・日もなくなり、友達と遊ぶ事も出来ず、それでも名進研が大好きらしく、何があっても名進研をやめたくないと言い、文句一つ言わず頑張っていました。だけど相変わらずマイペースで、名進研の宿題以外の勉強はせず、名進研ゼミもやっぱり苦手で最後までめざしていた名進研の俊秀に上がる事ができませんでしたが、いつも前向きで第一志望の東海中学校に受かるから大丈夫と言って、全くへこたれません。どうしても私はそんなふうに考える事ができず、本当に大丈夫なんだろうかと心配ばかりしていましたが、どうする事もできず本人がどうしても行きたいと思っているその気持ちを信じるしかなく、マイペースで受験当日までいってしまいました。

さすがに東海中学校の算数は難しかったらしく、全部うめるのに精一杯だったようなんですが、みんな出来なかったって言ってたよと言い、ケロッとしていました。通知をいただいた時、あまりにもペラペラだったので、「あーあ」と思って主人と二人であきらめかけていたところ、透けて見えた文字が入学案内と見えたのであわてて開けてみると、「合格」とちゃんと書いてありました。名進研生の息子の泣き顔じゃなく笑顔が見られると思い、ほっとし、私も少し涙がでてしまいました。

三年間親子で一つの目標に向かって進んでいくうちに、息子の気付かなかったいろいろな面がたくさん見えてきました。また成長のスピードにもおどろかされ、さみしさ半分とうれしさ半分の気持ちです。

名進研の先生方の厳しさと、優しさに心より感謝します。三年間ありがとうございました。

名進研 私立中学受験コースJunior high school exam course

ご相談・お問い合わせContact

名進研本部

0120- 9674 クロウナシ - 59 ゴウカク

【通話無料】<受付時間>10:00~18:00(火~土曜日)

メールフォームでのお問い合わせはこちら

mailお問い合わせ・資料請求