名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

かけがえのない時間

 受験することを決めた当初は、息子と私、それぞれで決めた理由が違ったように思います。ただ本人がやる気満々だったこともあり、初日から積極的に取り組んでくれました。

 塾の先生方の授業が毎回楽しいようで、「休みたい。」とは一度も口にしませんでした。

 運動などは苦手だったこともあり、勉強という自信を身につけたことで、小学校のクラスでの役割や存在感も変わっていきました。友達に教えてあげることが自分自身の勉強にもなったようで、とても生き生きとしていました。

 しかし家では、勉強をさせたい私と、家にいる時くらい遊んでいたい息子と、言い合いが絶えませんでした。

 毎日、優しく諭してみたり、一緒に勉強したり、ごほうびを用意したり、部屋の模様替えをしたり、時には子供部屋にあるハンモックや庭でやることを提案したり、あらゆる方法を試しました。

 どうしても合格させたい私と、塾にも行きたいし受かりたいという意志は強いながらも、遊びたい息子。よくぶつかりましたが、目標とするところは同じだったので、最後はお互い「ごめんなさい。」と言い合い、また笑顔に戻るということの繰り返しでした。受験が近づいてきた頃には、さすがにケンカは控えるように心がけました。

 息子は自我が強く、はじめは自分のことで精一杯だったようですが、友達と共に過ごすにつれて、じゃれ合いながら、息子の個性を理解してもらえたこともあり、いつしか息子にとって名進研のクラスメートは大切な友達になっていました。

 先生方にも息子を温かく見守っていただき、育てていただきました。受験前日も、先生や友達に会いに塾へ行きました。きっと安心したかったのだと思います。

 受験が終わった息子の言葉は、「生まれ変わったとしても、僕は中学受験をしていると思うよ。」でした。

 中学受験はとても良い経験になり、私たち親子にとって、良い思い出となりました。

 息子に携わってくださった先生方、いつもそばにいてくれて一緒に頑張った友達、皆さん本当にありがとうございました。

並走から始め、自律・自走から、飛翔へ。

・はじめに
 我が家の中学受験準備は、五年生の名進研の冬期講習を受講し、五年生二月からの名進研入会でした。きっかけは、子供の“受験を頑張ってみたい”の言葉でした。後になってみると仲のよい友達が受験をするから、自身も刺激を受けての開始だったようです。

 これまで中学受験に向けた勉強は皆無で、当時冬期講習で扱われる単元で特に場合の数、モーメントなど触れたことがない内容が多く、二人三脚で歩み始めました。

 最終的には、すべては子供の努力の賜物として第一志望 東海中学、第二志望 滝中学の合格をいただくことができました。

 以下では、参考になればと思い、約一年間の道のりについて書かせていただきました。

・五年冬〜六年春 最初は並走から。
 限られた時間を何に優先して使うべきか、を一緒に考えました。具体的にはコアマスターをどこまで深めるか(例:算数Step1,2,3どこまでやるか)、どこまで網羅して理解するか(例:理科 コアステ+完全制覇プリントの)、試行錯誤を繰り返しました。失敗例ですが、六年生の四月頃、算数のコアマスターのStep3まで勉強していましたが消化不良に加え、算数以外も時間配分のバランスを崩し、結果プレ中学入試では悲惨な結果でした。その反省から、優先順位を自身のレベルと時間に合わせて、“適切に”決める重要性を痛感しました(例:先生に志望校に向けたこの時期の到達レベルを相談)。

 苦手分野の底上げをするために1週間にどの単元のどの問題を解いていくかを一緒に考えました。これを繰り返すことで、夏期講習前には、子供自身で苦手な単元の復習(+日々の予習・復習)を含めた週間計画を立て、進めることができました。同時に塾からも繰り返し言われた「なぜテストでバツになったかの理由」の分析を一緒にしました。分析の気づきは自分の“失敗集”に記載しました。プレ中学入試のたび繰り返すことで、子供自身が弱点や癖に気づき、自発的に積上げ、テスト前に確認を行う習慣ができました。足元の課題を分析し、解決策を見つけていくプロセスを習慣化できました。なおこれが自分で自発的に実行するには、半年はかかりましたが、根気よく見守りながらの成長でした。

 当初は思うような偏差値ではありませんでしたが、六月頃には徐々に安定し65を超える偏差値を推移するようになりました。

 このように、並走から、自分から計画を立て苦手を克服する、自立し自走ができるようになりました。しかし自走をしていても、計画のやり切りについて、ゆるみが出ます。計画がやりきれないことが常態化したこともありましたが、何を諦めるかは子供では判断が難しいためです(例:時間がなければ、奇数番号の問題だけでもやる、等)。無理のない計画を立て、実行できているかをその都度見守ることは親として重要な役目だと思います。

・六年生夏〜秋 自走と自律。
 この時期は計画を立て、課題の分析結果から苦手な単元を宿題と並行して、日々の勉強に加えていくことができました。夏期講習の宿題に加え復習など自分で計画的に実施できる姿をみて、自“律”した自走を痛感しました。

 ただし、プレ中学入試は偏差値や順位は上がることも大きく落ちることもなく、偏差値は60前半を安定して推移していました。振り返ると、ほかの生徒との比較である偏差値に一喜一憂する必要はないと考えます。むしろ、1か月前の子供自身と比較し、何が成長できたか、苦手分野をどう克服できたかを認め褒めてあげることが大事だと思います。

・六年生冬〜受験直前 自律した自走、そして飛翔へ。
 秋から入試問題を解くことが増えました。しかし、撃沈ばかりでした。特に九月末の第1回 東海中プレの算数では10点台と低い点数でした。そのため名進研から難関校向け算数の演習プリントをもらい、苦手分野を絞り対策を始めました。おかげで図形問題のコツがつかめたようで、十一月末の第2回 東海中プレで図形の問題の正答数が増え5割弱まで改善できました。その後は、冬期講習の東海/滝プレの過去問と日曜特訓の演習を通じ、定着を深めていくことができたように思います。正直、一月半ばまで来て東海レベルを6割程度解けるレベルに仕上がったようです。他の子と比較する必要はもはやなく、目標レベルの問題がどれだけ解けるようなったか、過去の子供自身の出来栄えと比べることで成長は明確です。

 年明けの受験シーズンを迎え、名古屋中学の普通合格(非スカラ)は悔しかったようでした。名古屋中学受験後、出来は上々と言っていました。原因は不明ですが、次の週の第一志望では慢心せず、条件設定確認、計算ミス、誤字脱字……、など気を引き締める材料になり、第一志望への集中力を高める良い方向に動きました。結果的には、第一志望の東海中学、第二志望の滝中学の合格をいただくことができました。

・さいごに
 算数の図形、国語の物語文、直前まで不安は尽きませんでしたが、常に苦手分野克服に向けたサポートをいただいた名進研の先生方には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。また保護者会で繰り返し説明受けた親の受験サポートの仕方についても大変参考になりました。

 一年間、二人三脚で中学受験を歩むことができたのは、私にとって素敵な思い出の一つです。新しい六年間は、新たな環境へ羽ばたき、これまで以上に大人の階段を上っていくことは、うれしくもあり少し寂しくもあります。自主活動や部活動を楽しみ、よき学友と夢や目標を磨き上げ、実現する道のりを探求してほしいと思います。

 最後に、お父さんがいろいろと余計なアドバイスしてしまい、逆に混乱させたことも多かったと思います、本当に不甲斐ありません。それでも自律し自走を続け、最後に飛翔したあなたを誇りに思います。ありがとう。

偏差値35からの挑戦

 名進研庄内通校に通い始めたのは、四年生の初夏でした。既に講習が進んでいて、要領が分からず、あたふたしていました。最初の実力テストの時、テスト範囲が分からず、勉強せずに受けたら、偏差値35という結果が出ました。名進研にしばらく通って、一ヵ月授業で習ったことが範囲だと分かり、勉強して、次のテストで偏差値43まで上がり、その後、48まで上がって、JAクラスの一番前の席に座っていましたが、算数が弱く、なかなか偏差値50台に上らなかったです。しかし、国・理・社を頑張っていたら、五年に50台に上がり、JSクラスに入れました。その後は、算数が足を引っ張りJSとJAを行ったり来りでした。

 息子は面倒くさがりで、漢字を何度も書くことや計算をひたすらすることが苦手でした。

 算数は分数、少数の計算が苦手で、出来るようになるまで何度も計算練習しました。

 国語は文章問題は出来る方ですが、漢字問題は丁寧さ(トメハネ)が欠けてボロボロでした。何度も漢字を書く作業は乱雑に書くので、ペン習字で一度だけ丁寧に書く作業をしてトメハネを覚えました。

 社会は地理が苦手でした。コロナ禍で旅行しにくかったので「桃太郎電鉄」で擬似旅行したり「ブラタモリ」を見たりして、少し苦手意識を減らし、プリントの基本問題を何度も解いて理解するまでやりました。歴史は、「ねこねこ日本史」を読んでいて好きでした。漢字の書き間違いが多いので、プリントの基本問題を何度も解いて漢字が書けるようにしました。

 理科は物理が苦手でした。コアマスターとプリントで基本的なことが理解できるまで何度も解きました。

 息子の第一志望校の合格率は50%でした。過去問を何度かやりましたが、算数だけ合格平均点には届きませんでした。国、理、社は合格平均点に届いて、総合的に合計点を超えることもありましたが、算数と物理次第で左右されるので不安がありました。コアマスターや完全制覇で基本と標準を解いたり、計算を毎日やったりと出来る限りやりました。入試が終わった時、息子が算数だけが難しくて出来なかったとがっかりした様子を見て、心痛みました。結果は残念に終わりました。算数が弱いと駄目だなと痛感しました。

 息子の第一志望ではないですが、愛知中学からご縁をいただき、私にとっては名進研に入った時から第一希望でしたので、喜びました。愛知中学の合格率が80%でも、算数と物理次第で結果が逆転する心配はありました。愛知中学の入試が終わった後、苦手だった物理が全部出来た‼算数も解けた‼と笑顔で言う息子を見て、よく頑張ったなあと思いました。

 少しレベルが高めの第一志望校に受かるために勉強してきたから、算数と物理が少し出来るようになったかもしれないと、今は思っています。中学受験を通して、息子の弱い部分がはっきりと分かったことが大きな収穫でした。

 愛知中学校に進学した後、大学受験に向けてゆっくり苦手を克服して、大きく成長して欲しいと願っています。

 これから受験される方に桜が咲くように祈っています。

 名進研庄内通校の先生方、三年間、面倒くさがりの息子を指導していただき、ありがとうございました。

想いも実力のうちか

 私立中学受験に至った理由はふたつ。ひとつは学習習慣定着を目的として通わせたのが名進研であった、ということ。自宅から徒歩1分という好立地にあり、かつ古くから学習指導には定評があるイメージの先行する名門進学塾に通わせたのがそもそもの端緒である。数年じわじわと本人の意識が受験に向き「どうせやるなら高みを目指せ」ということになった。もうひとつは(これは肌感覚でしかないが)地元公立校という学びの場への期待感のあり方が受験志向を加速させた。本命校から場慣れ(滑り止めに使うという意識は親には皆無であるが本人の意識は定かではなかった)も含め、結果的に東海・滝・名古屋・愛知の4校を受験することになる。

 初期の目的であった学習習慣の定着を感じられるようになったのは、おそらく六年生中盤ごろからだろうと憶測している。季節毎の講習の単発受講に始まり、本科コース、五年生からは実力テスト、プレ中学入試、志望校別プレ入試、加えて六年生の志望校別特訓講座、夏期冬期と……日を追うごとに取り組むべき量も時間も増えていくのだが、自宅での学習はほぼ本人の自主性に任せてきた。自発的な思考力や表現力を成長させたい思いも強かったが、共働きで放置状態というのが正しい表現のように思う。日々の計算トレーニングは手を抜き、宿題は答えを写し……という状態も見ればわかる。いまさらながら全てのテスト結果を見並べるが、稀に飛び抜ける教科があるもののいたって平凡。小五からの4教科偏差値はおおむね50半ばであり、かろうじて60にのったことがたった1度あったのみである。

 本来やるべき復習や予習がされていないのを発見した時だけは、烈火の如く厳しくあたっていた。できたときに褒めるのは妻の役割であり父親は寡黙を貫く伝統的スタイル……のつもりであったが、より厳しい叱責もまた妻であったような気がする。本人のフラストレーションも相応であり「いやさ」も滲み出ている。感情の表出対内包、気持ちはよくわかるが親子バトルもいい加減飽きてくる。

 六年生中盤、おそらく夏期講習からであろうか雰囲気が変わる。受講教室が自宅から少し離れた教室になり、早朝から公共交通機関を使って独り通うことになった。帰路も基本的に迎えにはいかない。ちょうど良いバスの時間まで自習室を使え、という暗黙のメッセージである。このせいかわからないが、講習以後は自ら自習室に行くようにもなった。もうひとつ、他教室所属生の存在も刺激になったのだろうと感じる。本人にはどう映っていたかわからないが、仲間やライバルの存在が良い影響をもたらしたと思う。この頃からはストレス発散も含めて本人のやることはほとんど見て見ぬふりをした。ゲームをしていたことだって知っていたし、なんならやりたければやればいいと言い放っていた。1時間を超えるような長風呂もほぼ毎日で「女子か……」と心の中で呟きつつ健康を害さない程度に好きにさせていた。

 どうせ行くなら東海でしょ、と本人の口から飛び出したのもまた六年生になってからのことであった。

 親としてできることはなにか……仕事とのバランスが難しいケースが多々ありながらも、他校舎や模試会場への送迎と本人の性格を考慮し先生方とのコミュニケーションの仲介をメインに据えた。

 ◯◯先生と合わない、▲▲先生が急遽辞めてしまう……など多々アクシデントにも見舞われるのだが、親と子の勝手な言い分に先生方には随分とお付き合いいただいた。「必ず東海に入れる」とまで言っていただいた。自宅で「残念なことになるかもしれないなぁ……」と我が子とニヤつきながら話していたことをこの場で白状し、熱意とコミュニケーションのネタを提供いただいたことに謹んでお礼申し上げたい。

 行くと言いつつもいまいち身の入らない日々を過ごしながら、初回の東海プレで国語の点数に皆が驚き、そこそこの得点を叩き出す。ここでまた本人のスイッチがなんとなく押されたように思っていたが、結局のところ驚愕の数字を見ることは二度となく最後まで停滞し、合格判定は東海も微妙以下のラインに居座り続けた。後日談ではあるが本人いわく、本気モードのスイッチが入れられたのは六年生十二月とのことである。

 愛知には特待、名古屋にはスカラーで合格。というのが本人の目論見であったようだが、もろくも崩れ去り一般合格を得た。親としては、そこそこの努力でそれは流石に無理だろうと当初から悟っていたところではあるが、当人はそれなりに気にしていた。特にこれまで割と得点を稼げていた算数で得点が伸びず本命校に向けては不安が残る結果であったため、たまらず教室長はじめ先生方に相談したものである。本人だけでなく親まで激励していただくことになる。先生方、本人、保護者、さらに言えば父、母のそれぞれの役割分担のようなものが形成されてくるとコミュニケーションもスムーズである。自身の体験としてはここに一番時間を要したように思う。

 東海の本番はこれまでの「プレ」よりも難度が高く、滝は低かったという感覚を本人はもっていた。それぞれの受験教室では、ほかの生徒が発する大きめの物音と教室内に漂う香り(東海のみ)にいささか苦しんだようである。それでも、いずれもそれなりにできた感触を覚えていたようである。本人が「割とできた」という時に限って、そのとおり良い結果をおさめた記憶はないのだが……。

 東海中の合格発表は追加に期待する結果となった。その日の夜、翌日に控えた滝中の発表を待つことなく今後の進路選択を巡って教室長の時間を割いていただき緊急の面談をもった。本人の心は折れかかった状態である。しかし親としては現実と向き合うほかなく、コストと見えない未来を天秤にかけざるを得ない。すでに公立進学も視野に入っている。各校の合格発表や追加連絡、入学金納付手続きの日程を考えると実にタイトであるばかりか、十二歳の決断としてはなかなかに重い。1秒でも早いほうがよかった。明確な結論に至らない中、どストレート発言にさぞ困惑されたことだろう。

 二月八日(水)10時1分
 すべてが杞憂に終わる。強行日程の中で気持ちを奮い立たせて受けた滝中、まさかの合格。職場のデスクで声がでた。隣にいた同僚とともに(ご子息も滝中卒業生であった)。これまでの成績、滝プレ模試の△(合格率20%未満)判定……一瞬の爆発力に賭けていたところは正直ある。努力が結実した瞬間であった。

 思い返せば、こんな出来事があった。

 滝プレ模試の日、自身が江南駅まで同行し学校行きのバスを見送る。自分の時間潰し場所を探そうと駅前を散策しながら、ふと「なんだか、ここをまた一緒に歩く気がする。滝だな。」と逆デジャブのような感覚に包まれた。これは本人にも妻にも話していた。言霊なのか縁なのか、非科学的ではあるが現実の学習とともに「想い」もまた、希望実現のためには重要なのかもしれない。ちなみに、受験会場であった愛知大学車道キャンパスでは、そんな感覚には一切ならなかったからまた不思議である。

 笑い話のように「これで追加連絡でもきたら……」と話してみたが、そんな見え透いた「想い」にはなにも共鳴しなかったようである。

ばあばも一緒に押して

 おばあちゃん子の孫が、東海中学校の数字クラブに入りたいと言いだし、塾の送り迎えくらいならしてあげるから頑張ってね。と軽く始まったのが五年生直前の冬期講習からでした。

 自分で行きたい学校があるのだから、さぞかし一生懸命勉強するのだろう、と思っていましたら、宿題もやっていない‼なぜやらないのか問いましたら、塾さえ行っていれば受かるものだと思っていた、と言うのです。算数と理科は楽しいけれど、社会は覚えることがいっぱいだし、国語は意味がさっぱり分からない。漢字のテストは毎週二問三問できているだけ。書いてある字はきたなくて読めない。

 「えーっ‼」びっくりした私は、国語の問題を、生徒二人となって、よーいどんで一緒に解き、答え合わせをし、検証をしました。社会の暗記も一緒にマーカーを引き、一緒に覚えました。生まれてこのかた、こんなに勉強をしたのは初めてでした。

 六年生になり、やっと暗記力が伸び漢字テストも満点が多くなり、夏期講習が終わる頃には難しくてさっぱり分からないと言っていた長文問題も、半分は解けるようになりました。勉強をしていた椅子も、へたってボロボロになっていました。

 そんなこんなで入試当日、試験を終えて校舎から出てくる子は皆、こわばった顔。でも、親を見つけるとその顔が、ふっと和らぐのです。孫も同じでした。朝、入って行く門の所で、先生方の応援動画を見たあと、ギュー‼としてきたのです。誰はばかることなく、こちらもギュー‼と抱きしめてやります。そして、大きな声で「行ってらっしゃい‼」と言ってやります。それから五時間近くの緊張とストレスとの闘いだったのです。帰ってきた孫を抱きしめてやることしかできない自分が情けない程でした。

 受験最終日の夜、ふとんに入った孫がいきなりおいおいと泣き出しました。自分でも訳がわからないまま泣き続けるのです。小学六年生、まだまだ子どもです。そんな子が、学校・塾・宿題、模試等、大きな山を切り崩していくような勉強量の中、大学受験並みのストレスを抱えるわけですから、保護者のメンタルケアがどれほど大切で大変かということを、今更ながら思い知らされ一緒に泣きました。「頑張ったね。やり遂げたね。」と背中をさすりながら。

 最後になりましたが、入会時、本部の方の電話対応がとてもていねいで、先生方の対応も温かさを感じたことを思い出しました。

 先生方には親身に答えていただきました。一人一人の性格を捉えた上でのやる気になる話、やり直しノートへの的確なコメント。どんな質問にも否定的なことは言わず何度も教えていただきました。

 三位一体となり頑張っていきましょう。と言っていただいた時から、とにかく塾を、先生を信じる‼と決めてきました。

 結果発表のボタンを押す際、孫に、
 「ばあばも一緒に押して」
 と言われた瞬間、全てが報われた気がしました。

 ありがとうございました。

明るかったら受験はうまくいく!

 二歳年上の長男の時から五年間、名進研は我が家の生活の一部でした。最初は自転車で兄の後ろをただついて通っていた娘でしたが、東海中で自由を謳歌している兄を見て、私も南山中女子部に行きたいという気持ちが強くなったようです。

 毎週、真面目に名進研のカリキュラムをこなしていただけの我が家ですが、二人の受験勉強中にこれだけは守ろうという約束があったのでそれを2点書きたいと思います。

 まず、睡眠はしっかりととること。五年生までは21時台でも眠たくなったら寝る。六年生でも22時には就寝し、朝は6時に起床。その日のうちに課題はなるべく終わらせるが無理はしないこと。

 次に、受験生だからと小学校での生活に手を抜かないこと。学校行事も授業も課題の提出も何でも全力で頑張る。五年生の終わりまでは部活もしていました。もちろん塾の成績も大切ですが、小学校での生活を疎かにしては本末転倒だと思っていたからです。南山女子の理科は教科書から出ます。実験なども率先して行い、学校の授業を大切にすることが受験勉強につながると思います。

 二人目なので多少慣れもあり順調だと思っていた受験生活でしたが、夏休みに南山女子中の過去問を解いて出来が良かったのをきっかけに慢心になり、十月末のプレ中学入試で大暴落という経験をしました。親としては「まさかの今この成績とる?」と慌てましたが、本人は至って落ち着いていました。もうこの時期になると完全に自走していたので親としては見守ることしかできませんでした。実は私自身も名進研出身(早稲田予備校ビルの時です‼)なのですが、プレ中学入試の保護者会会場で偶然お会いした恩師の先生が「お母さんがそれだけ明るかったら受験はうまくいくよ」と言ってくださいました。そのお陰で私の肩の力も抜けて何とか成績も持ち直し、受験期を親子安定した気持ちで過ごせたと感謝しています。

 名進研の先生は中村公園校で見ていただいてきた先生をはじめ、どの先生もいつも生徒に寄り添ってくださり、親子で本当に信頼してついていけました。ずっと憧れていた南山中女子部の合格も嬉しかったのですが、最後には滝中学の特待生までいただけて最高の形で二人の受験生活が締めくくれたと思っています。本当にありがとうございました。

大きく成長した一年間

 息子はマイペースで、ゲームも数時間やり、早寝早起きも出来ませんでした。ストレスを発散するかのようにゲームをやっていたので、後期になると半分あきらめていました。それでも冬期講習や志望校別コース、正月特訓等、一日も休むことなく通っている姿を見て誇らしくも感じていました。

 息子なりに「勉強」と「休憩」のメリハリをつけて、「受験」と闘っていたと理解できたのは受験間近の頃でした。もっと早く理解してあげられたら‼と思うこともあります。

 名進研で先生方にも応援していただき、「努力賞」もいただきました。その後の南山中男子部の受験では、十分に実力を発揮できたようです。受験は当日の体調やテストとの相性、ご縁があるかだと感じます。

 どこの中学校に行っても、楽しい三年間が過ごせますように……。大変な一年間でしたが、忘れられない一年間です。ありがとうございました。

まだいける!

 まずは、6KFから私学中学受験に興味があるようだ。と平安通校でご相談をした際に、デメリット、メリットを伝えてくださり、転コースを決めた際には過大なるご配慮をくださりありがとうございました。

 次女は七月でしたでしょうか、一番最初に受けたプレ中学入試は「もう〇点でもいいからね。」と送りだしました。案の定、時間が余って仕方ない‼と大笑いで会場から出てきました。しかし回数を重ねるごとに「時間が足らない‼」「家で足らなかった分をやってみる‼」と言い出し、これに私は手ごたえを感じだしました。授業や模試で一回間違えた問題にはカラーシールを貼り、解答欄をお手製で作り、テキストに再トライする日付付箋を貼る。長女の時と同じスタイルでの勉強にさらに、理科の物理分野、算数は姉に解説を聞いてもらう、という家族ぐるみでの受験勉強でした。超短期決戦。と覚悟があったので解答欄をお手製でつくる、なんてこともできたのだと思います。解き飛ばしがない分、管理はとてもしやすかったです。

 また、理科・社会の先生には毎週のように私から相談のお手紙を入れて、そこに対して丁寧な返信をいただいたことで、面談もありませんでしたが、とても安心して一週間のスケジュール管理ができました。私が見落としている漢字相違にも対応くださり、娘と神だね~‼と何度も話したことが印象的です。

 金城学院中への出願に迷う私(どうせ不合格になるならその時間、椙山女学園中に向けて社会をやらせたいのが本音)に、本人の意思なら受けさせてあげてください‼と背中を押してくださりありがとうございました。そんなに頑張らせなくても……なんて思っていたのですが、娘の勇気を全力でサポートしようと思えたお電話でした。

 娘は何分テスト慣れをしていなかったので、正月特訓はテスト慣れ、時間配分慣れができ参加をさせてよかったと思います。家族の為にも(笑)。帰宅したら、毎晩ご褒美でハーゲンダッツのアイスを嬉しそうに食べていた姿が印象的でした。頑張った分、家はリラックスと復習ね♡と言えたことがこの超短期決戦での金城合格だと思っております。

 まだいける‼といつも心強いメッセージを過去問に書いてくださった先生方には感謝しております。また、とても雰囲気のよいクラスだったようです。仲間も頑張っているのだから。と楽しそうに通塾ができたその雰囲気を作ってくださった塾友や先生方に感謝しております。この度はありがとうございました。

六年生からの受験勉強

 娘が名進研に通い出したのは五年生の冬期講習からです。その前はZ会の中学受験講座を、「算数と理科のみ高度な問題をやりたい」と言う娘の希望で四年生から始めていましたが、私達夫婦は娘に中学受験をさせるつもりはありませんでした。しかし五年生の十月頃、娘から公立中学には通いたくない、受験して入る学校があるみたいだからそこに行きたいと言われ、その時行きたいと言った学校は滝中学校でした。

 中学受験未経験の私達でも難関校だと言う事は知っていましたし、今から受験勉強を始めて受かるとは思えなかったので諦めさせようとしていました。が、知り合いの塾講師の方から『小学生は一年頑張れば伸びる子はすごく伸びる、どこも受からなくても勉強した事、中学受験した経験は無駄にはならない』と言われ、本人も死ぬ気で頑張ると言うので中学受験に挑戦する事にしました。全ての受験が終わった今、高田中学校、愛知中学校、南山中学校女子部、滝中学校から合格をいただき、あの時諦めさせなくて良かったと思っています。

 受験勉強を始めた当初の第一志望は滝中学校でしたが、その後いろいろな学校の説明会等に参加して南山中学校女子部の自由な校風と来年度中には制服がスラックスも選択可能になる事から第一志望校を南山女子部に変更しました。娘はスカートが苦手で各学校の学校説明会では必ずズボンになる予定はあるのか聞いておりましたが、南山が一番早くズボンも選択出来る様になる感じでした。

 娘の勉強場所は、
○授業が終わって家に帰るまでの間に集中力が途切れてまた集中するのが難しい
○スマホやゲームなどの誘惑がない(誘惑に弱いから負けて何時間も遊んでしまうから)
○わからない所があったらすぐ聞ける
と言う理由でもっぱら自習室でした。

 私達親が出来た事は声かけぐらいしかなく、勉強については先生方にお任せ状態でした。それでもさすがにプレ中学入試前や志望校別プレ入試の前は家でも勉強するだろうと思ってましたが、やらない……やらない上にいつもより早く寝てしまうので私が大丈夫なのかと娘に聞くと、『前日に足掻いてもしょうがないから、早く寝て体調を整える方が大事』といつもより数時間も早く寝てしまうそのスタイルも試験本番まで変えませんでした。それでも合格率80%を維持できていたので娘には合った勉強スタイルだったのかもしれません。一度だけ南山中女子部プレ入試の二回目で合格率50%以下を取ってしまった事がありましたが、それでも自習室のみの勉強スタイルは変わらず、家で机に向かう事がなく、不安で仕方がなかった私は言ってはダメだと思いながらも、「そんなに勉強してなくて大丈夫なの」、「そんな事では南女合格できないよ」等々、本人のやる気を削ぐことを言ってしまいました。今考えても親がする事ではなかったと反省しております。今思えば平日は授業後一時間、土曜日もお弁当持参で授業後二、三時間勉強していたので、勉強してない訳ではないのですが、勉強する姿を見ていないのでその時は不安で不安で仕方ありませんでした。南山中女子部プレ入試二回目以降も娘は表面上はいつも通りに見えていましたが、やはり娘自身落ち込んでいたようでその後の愛知淑徳中プレ入試で初めて1位になった事がその後の娘の自信とやる気に繋がったと思います。

 我が家では家族全員で情報を共有するためにスケジュール共有アプリに加えて、学校説明会の期間には学校別に申し込み締め切りなどの予定カレンダー、出願が始まる十二月からの受験が全て終わる二月までの受験校別三ヶ月カレンダーを作りトイレに貼り申し込み等を済ませたら印をつけて全員が確認しあえる様にしました。出願も学校別に何が必要で締め切りがいつまでなのか、ひと目でわかる一覧を作り、私が出願出来ない状態になっても主人が出来る様にしておきました。

 試験当日に関してももし娘が一人で行かなくてはいけない状態になっても良い様に、当日の持ち物、注意事項、会場までの交通手段数パターンと試験開始までに一時間以上余裕を持たせたタイムスケジュールを作成して娘に渡し、同じ時間に会場まで実際に行ってみましたし、雪が降った場合のシミュレーションもしました。コロナ禍での受験で心配事はたくさんありましたが情報を家族で共有し、前もって準備してしおておけば焦る事なく当日を迎える事ができると思います。

 最後に先生方のお蔭で娘は第一志望に合格できました。ありがとうございました。

コロナ禍受験奮闘記

 今年は一月末から二月にかけてコロナウイルス第六波の流行となったため、受験生のいる家はどこのご家庭も対応に苦慮されたことと思います。我が家もそうでした。しかも我が家の場合はなんと家族から陽性を出してしまい、合否以前の、入試を受験できるか否かの瀬戸際まで追い詰められました。この体験が何かの参考になれば、と思い一筆したためようと思います。

 家族で陽性者が出たのは、ちょうど一校目の受験校から合格をいただき、これから第一、第二志望校の受験に向けて盛り上がっていこう、という時でした。予兆はあったのです。受験生の次男の通う小学校でも学級閉鎖がちょこちょこ始まりました。塾の友達も感染予防のため小学校をお休みして塾の自習室に通い詰めている、という話も聞いていました。さすがに受験生本人は感染予防のため小学校を休ませよう、と決めましたが、さて他の兄弟はどうしようか、と名進研の先生と相談していたくらいです(その時は公立中学校に通う兄は学年末試験の直前だったので通学させ、他の小学生と幼稚園の弟妹は自宅待機させよう、と話したりしていました)。

 その翌日です、幼稚園を休ませた妹が急に熱を出したのは。病院に行き、ただの風邪だろうとの診断をもらったのですが、「受験生が家にいるので念のため」と検査をしてもらったところ、まさかの陽性反応。通っている幼稚園ではまだ流行しておらず受験生の家族として「人混みに行かない」「手洗いうがいはマメに」などと、それなりに感染予防はとっていたつもりだったのに、感染。晴天の霹靂でした。お医者様から「この時期はどこも流行していて、受験校は何らかの対策をとっているから、早めに電話した方がいいよ」というアドバイスをもらい、相談してみたところ、第二志望校は日程的に自宅待機期間から外れ、第一志望校も、無症状の濃厚接触者の場合(PCR検査結果が陰性で無くても)、別室受験可能ということがわかりました。家庭内感染を防げれば何とか受験だけはできそうです。かくて自宅待機から即受験、というハードな日程が始まりました。

 十日間の自宅待機で気を使ったのは、家庭内感染の予防と本人の精神面の安定でした。感染予防は、受験生は病人とも他の家族とも別の部屋で(食事も含めて)生活することと、自宅内でのマスク着用、共用のトイレ・洗面台の消毒、換気の徹底といった基本的なことしかできませんでした。特に別室でこもっきりの生活はつらく、本人は「まるで座敷牢のようだ」と言っていましたが、結果的に何とかなったようでよかったです。

 本人の精神面の安定については、毎日決まった時間に元気な家族で運動させました。24時間×10日間も途切れなく自宅にいるので、のんべんだらり過ごしていたら、あっという間に一日が過ぎてしまいます。そこで生活にメリハリをつけるために毎日午前中、元気な子は全員そろって運動することにしたのです。大したことはできませんが、皆で揃って小一時間、体を動かすと少しはストレス発散にもなったようで、受験生も他の兄弟もその前後一時間くらいは、集中して勉強に取り組めました。ただし、それ以外の時間は結局、それ程勉強できませんでした。計算と漢字は今までの習慣で何とか毎日続けていたようですが、それ以外の勉強時間となると、ずっと減りました。親としてはこの大切な直前期にこんなに勉強しなくて良いのだろうか、と不安になります。本人も勉強しなくてはいけない、と重々わかっているものの、他の兄弟がゲームしたり遊んだりの中で、一人だけ勉強する気にもなれなくて、というジレンマでつらそうでした。しかも自宅待機中で名進研の授業にも自習室にも行くことができず、他の子の様子も気になり、不安そうでした。

 ただクヨクヨしても仕方ないので、次の二つだけは約束させました。

 一つは名進研の先生から自宅待機決定後にもらったプリントだけは、受験日までに終わらせること(急なことながら準備して下さってありがとうございました)。

 もう一つは一日に四教科を少しずつでも一回は必ず勉強すること。本番の入試では四教科を半日でやるので、その練習になるからです。これだけはお願いして、後は本人のペースに任せました。

 そして迎えた第一志望校の受験当日。送迎も予定と違って夫が付き添うことになりましたが、幸い受験校の下見は家族で行っていたので、交代してもトラブルなく送迎できました(夫はまさか自分が付き添うとは思っていなかったので、あんまり真面目に見ていなかったと不安そうでしたが)。雪の降る中出発して、ニコニコ顔で帰って来た時はホッとしました。本人曰く「お父さんの送迎は日曜講座の時みたいだったから、リラックスして行けたよ」とのこと。日頃から夫に受験準備を協力してもらっていて、本当に良かったです。

 結果は残念ながら不合格でしたが、翌日受けた第二志望校は見事合格を勝ち取ることができました。受験直前期は全く勉強できなかったけれど、それまでの積み重ね、特に冬期講習と正月特訓で頑張って勉強した成果が出たのでしょうか。事前にこつこつ準備しておくことの大切さを親も子も実感しました。

 名進研の先生方にも五年の頃から、じっと親身に指導していただきありがとうございました。お蔭様でこうして笑顔で受験を終えることができてほっとしています。どうもありがとうございました。

名進研 私立中学受験コースJunior high school exam course

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