名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

夢のまた夢は現実に

 再寄稿の機会をいただいたことを大変感謝しております。
 三年前、娘が南山中学校女子部に合格し、まだその喜びに浸っていた頃、「もうこのリュックを背負って名進研に行くこともないんだね」と話した時です。まだテキストがいっぱい入ったままの重いリュックをよろよろしながら背負い、「これからはぼくが名進研に行くよ」と話したのが、今回中学受験をした息子です。夜遅くまで勉強する娘を見ていたので、通塾は嫌がるのではと思っていましたから、自分から言い出したのは驚きでした。お世辞にも良いと言えない通知表で、名進研に入れるか心配しましたが、入塾テストで先生から「図を描いて答えていました。素晴らしいですね」とお褒めの言葉をいただき、まさかのJSクラスへの入室許可でした。娘が息子を抱き上げて喜んでいたのを思い出します。

 主人と息子が希望したのは、南山中学校男子部でした。雰囲気が息子にぴったりと思ったからです。ただ、私は姉弟揃って南山に通うなんて夢のまた夢としか思っていませんでした。娘と入れ替わりに息子の名進研生活が始まりました。「名進研、楽しい」と、あれほど見ていたテレビも録画で我慢して自分から自習室に通いだし、私の仕事はお弁当作りと送迎だけになり、すべて塾にお任せしました。四年生の間は一度だけ偏差値49.9でJAクラスになりましたが、それ以外はなんとかJSクラスで授業を受けることができました。ただ、座席は後ろから数えたほうが早く五年生のテストゼミはKS1からのスタートでした。後期直前でTN3にあがったものの、実力テストが芳しくなく後期は再びKS1で始まることになりました。

 その頃、面談があり志望校は南山中学校男子部とお伝えすると教室長の先生から「せっかくですから、東海中学校の文化祭を見に行ってください。なかなか面白いですよ」とお話をいただきました。そこで、出かけてみると、趣向をこらした素晴らしい展示や生徒さんたちの機転を利かせた行動に「さすが東海生」とただただ感動して帰りました。
 その数日後です。息子が言いました。「僕、東海中学校に行きたい」主人は息子の人生だからと即賛成しましたが、私は気が変わってくれることを望んでいました。南山の校風が気に入っていましたし、なんと言っても成績的にこれまた夢のまた夢と思わざるを得なかったからです。しかし、息子の決意は固く、私もいつからか応援する気持ちになりました。

 そのまま六年生に突入。テストゼミはTN3から始まりました。五年生の時にトップレベル講座EXを受講するほど得意な算数は、実力テスト時代は計算ミスや字の汚さで20点ほど落とすことが多々ありましたが、条件チェックをするようになると点数は安定していました。理科はもともと得意で、そのままの状態をキープしていました。ただ、社会は不安定、国語はボロボロでした。しかし、夏頃から急に社会が伸びてきたのです。名進研の校舎では社会は満点を取るまでひたすら反復をしていくシステムがあり、この頃にようやくその成果が表れたのでしょう。
 後期のテストゼミはTN2でのスタートになりました。ただ、苦手の国語が足を引っ張り毎回低迷して、年末にはTN3になってしまいました。でも、先生方のフォローのおかげで落ち込むことなく勉強し、最後のプレ中学入試の結果、初めて一列目に座ることができ、そしてテストゼミで白星を取って気分を良くした翌週から入試が始まりました。

 愛知中学校、愛知工業大学名電中学校、名古屋中学校と合格を重ね、ついに第一志望の東海中学校の入試となりました。入試会場に行く途中、東海中学校の生徒さんが「おはようございます」と挨拶してくれました。「受かったら、この制服を着られるの?着たい‼」と話す息子に「絶対に着ようね」と答えながら、必ず着せてあげたい…とどれほど願ったことでしょう。
 東海中学校の入試が終わり、教室を出てくると「今まで受験してきた学校とは比較にならないくらい難しかった。算数もできなかった。落ちたと思う」と分析した息子。「みんな難しかったと言っているよ。みんな一緒だよ」と私はまるで自分に言い聞かせるように話しました。

 午前10時少し前、速達が届きました。受けとったのは…ペラペラの封筒でした。「えっ…あんなに頑張ったのに…」その場に立ち尽くしてしまいました。我に返りリビングに戻ると、はさみを用意した息子がいました。「受かっていると思う?」と尋ねられ「…だと、いいね…」と答えるのが精一杯でした。封筒の上の方にはさみを入れる息子。私は耐えられなくなり、目を閉じてしまいました。どれくらい経ったでしょうか。「ママ、見て」の声に目を開けると、目に入ったのは振込用紙でした。「残念な場合でも寄付金をお願いするのか」と思いながら視線を上にすると目に飛び込んできたのは「合格通知書」の文字でした。「え?え⁈」目をこすってもその文字は変わることはありませんでした。一度覚悟しただけに、合格を知ったときは号泣でした。息子はただおろおろしながら私の涙を拭いてくれていました。

 結果判明後、持ち帰った東海中学校の問題用紙を見てみました。そこにはたくさんの条件チェックの跡、また、今まで見たことがないような、それはそれは丁寧な文字が記されていました。何度も何度も先生方に注意されたことがしっかり実践してありました。ああ、本当に東海中学校に行きたかったんだ…。熱いものがこみ上げてきました。

 これから受験を迎えるお子様を持つ親御様、どうかお子様を信じて応援してあげてください。
 私にとっては二人目の中学受験ということで、今回はどんと構えて、保護者会での先生方のお話をすべて受け入れようと思っていましたが、実際は言ってはいけない言葉を言うことも多々ありました。寝顔を見て、何度申し訳ないと思ったことでしょう。
 私が注意しても聞かないので、些細な事でも先生方にお願いしましたが、先生方は一度も嫌な顔をなさらず、「分かりました」と引き受けてくださいました。
 三年間お世話になった名進研の先生方、また、テストゼミやトップレベル講座EX、速読・速解力講座、能力開発でお世話になった先生方、本当にありがとうございました。ただただお礼の言葉しか見つかりません。
 食事もとらずに送迎を引き受けてくれた主人、入試日には応援の手紙を机に置き、合格をメールで知らせると、学校から泣きながら「おめでとう」と電話をくれた娘、後方支援をしてくれた両親…。家族みんなに支えられての志望校合格だったと思います。
 そして、息子。私たちに最高の結果と感動をありがとう。

 皆様にも素晴らしい桜が咲きますよう、心からお祈りしております。

受験生の親として想ったこと

 息子の第一志望は「滝中学校」でした。理由の一つに、祖父の学校ということもあった様です。受験したのは滝中学校、東海中学校、名古屋中学校の三校、結果として滝中学校と名古屋中学校に合格することが出来ました。

 名進研には小四からお世話になりました。最初は、まず名進研に馴れることと思い、成績は全く気にせず、意識するようになったのは、小五の後半だったと思います。小五当時の偏差値は50台半ばで滝中は厳しい状況でした。

 本人が中学受験に真剣に取組み始めたのは、小六になってからです。大好きだった野球部を辞め、仲のよい友達との遊びも控え、さぞ辛かったと思いますが、名進研には週五日、弱音も吐かず頑張りました。名進研では、日曜を除く火水金土の四日間、ほぼ夜十時まで学んでいました。帰宅後は学校の宿題等をやり、寝るのは十二時を過ぎることも多かったことを覚えています。
 名進研の保護者会は、大体私(父親)が出席しました。私自身四十年前に中学受験の経験があり、息子と当時の自分を重ねていたからと思います。保護者会の説明は、情報に乏しい私にとって大変有用でした。時期に応じた学習方法や家庭での子供との接し方、そして志望校別の傾向と、その対処方法など。保護者会の内容は毎回パソコンで整理し、受験前日まで何度も読み返した程です。
 小六のプレ中学入試は、実際の中学が会場で問題の様式も同じなので、息子も通常のテストと違い、気持ちを昂めて臨みました。

 「プレ中を何度も受けたから本番は思っていたより緊張しなかった」と本人が言っていました。プレ中学入試での滝中合格率は何とか50%以上に入れた位で、余裕のない状況でした。私も昔の経験があったので、何度か息子にこうしろ、ああしろと言いかけましたし、本屋で良さそうな参考書があると買おうと手にとりましたが、その都度保護者会で言われたことを想い出し、余計なことをしないよう戒めました。

 振り返れば、名進研の先生に全面的に委ねたことが合格の最大の要因でした。息子も相当なプレッシャーがあった様で、合格通知を見た時の涙の一線と、「これで中学に行ける」という一言を忘れることが出来ません。父親として何も出来ませんでしたが、受験日の前日まで名進研に通い、個別の指導と最後に先生と生徒の皆様から「明日、頑張って‼」と送り出してもらえたことが支えとなりました。心よりお礼申しあげます。

三人目の中学受験

 小三から名進研で中学受験の勉強に取り組み、二月をもって無事受験を終えました。四校受験し、四校とも合格を頂くことができました。

 三人目の中学受験で慣れたものと思いきや、今回は男の子そして難関校のチャレンジ、とても長く感じた四年間でした。
 彼は成績もわりと安定しほとんど自分で学習を進めていましたので、学習面で口を出したことはほとんどありません。男子のわりに国語で高得点を取ることがありましたので、「男子で国語ができるなんてすごい〜」とか「算数のこんな問題解けるなんてかっこいい〜」とほぼ本気モードでほめていました。本人もクールさを保ちつつ、片頬上げてニヤリといった風情。母としては男子のプライドを傷つけない言動を心がけていました。
 五年生のときに一度Aクラスになり、本人悔しかったのか命の次に大事な(?)DSをひもでグルグル巻きにして封印し、仏壇にお供えしていました。その甲斐あり次テストでSクラスに戻れ、それ以降はMテストへの取り組み方が前向きになりました。DSの封印も解かれました。テストゼミは五年から参加し、五年生はTN2→TN1、六年はTN2→TN1→俊秀→TN1と頑張りました。六年TN1のときに「俊秀のブラックカードが見てみたい〜」と煽ったところ、「別に俺興味ないし」といった素振りでしたが、二回連続白星を取り俊秀へ。「かっこいい〜」と母。本人、ブラックカードを手にして嬉しそうでした。最終目標は合格をいただくことと思い、親も本人もクラスにこだわることはありませんでしたが、学習意欲を高めるために小さな目標(白星やクラス昇格)を持つように声をかけました。
 五年までは国算を中心に理社はサラリと。六年からの一年間の授業のハードさは経験済みでしたので、それまでに、追い込みのきかない国算の基礎力をつけてほしいと思っていました。六年からはトップレベル講座EXからお声がかかり受講しました。難問に向かう機会を与えて頂き良い経験ができたと思います。夏期講習前のプレ中学入試が今ひとつでしたので、本人夏期講習は死ぬ気で頑張ると決意し、講習後は手応えを感じたようです。後期は志望校別特訓講座+トップレベル講座EXの長丁場。これが最もきつかったとのことです。忍耐力が養われたと思います。

 今回の受験で親として心がけた点は、
① 試験日に最高のコンディションで会場に送り届けること。
 まず、風邪やインフルエンザにかからないよう食事、体の保温、睡眠時間に気を配りました。それからピリピリせず、家族共々普段どおりの生活を心がけました。まず当日に会場にいなければお話にならない…と常々思っていました。会場から先は本人が一人で戦う場所。見送るたびに涙ぐんでいた母。「ここまで来れてよかったね。がんばってね。」

② 子供を信じること。
 年末年始の合宿は本人の希望により参加せず、通いで冬期講習に参加。冬期講習中のお休みは初詣やお墓参りなどの年中行事をこなしていました。しかし三が日は全く教科書も開かず、テレビやタブレット端末で動画視聴とマイペースに過ごす姿をみて、母の心はかなりザワザワしました。「それでいいの?」折りよく、一月六日の保護者会で「子供を信じてください」とのお話があり、主人からは「彼が大丈夫といってるんだから大丈夫だ。お母さんは勉強する姿を見て自分が安心したいんでしょ?」と言われ、そうだ、彼を信じようと決意しました。それにしても一月になって推理小説にはまり、明智小五郎シリーズやアガサ・クリスティを読み出す受験生、どう思われますか…?

③ やるときはやる、遊ぶときは遊ぶ、メリハリをつける。
 宿題は塾で大体すませ、あまり家で勉強する姿を(私の前では)見せませんでした。(お母さんはうるさいからだそうです。えっ?何ですって‼)その代わり、塾では「真剣努力」「私語厳禁」を実践し、授業に集中していたとのこと。学生時代、家でも何時間も暗記モノしてたお母さんとは真逆だね。でもテストでは成果を出してたからね、すごいな〜と思ってました。彼はディズニーマニアなので講習が終わるとディズニーリゾートを満喫しました。春・夏と母子二人旅。もうなかなかできないだろうな〜と楽しみました。「SEKAI NO OWARI」にもはまり、これまた母とライブへ行ったり。小六には息抜きが必要です。メリハリのきいた受験生活でした。

 第一志望の東海中にお世話になります。彼が頑張ってきた姿に敬意を表します。これからは自分のためだけでなく、世のため人のために自分の知識や人間性を活かして活躍できるよう、自分磨きをしていってくださいね。素晴らしい青春の日々が送れますよう応援しています。
 最後に、名進研の先生方、愛ある授業で合格に導いてくださり感謝申し上げます。ありがとうございました。

「まさか!」の不登校

まさか、受験がこんなに苦しいものだとは思いませんでした。いよいよ六年になり、授業日数も増え送り迎えやお弁当の手間が増えるのは“徐々に”なのでさほど苦には思いませんでした。けれど我が娘は「まさか!」をやってくれるようなアウトローでした。

 厳しい夏期講習は休まず電車で通いました。ところが夏休み明け、突然の学校の不登校。二〜三週間、行ったり行かなかったり。けれど名進研には通っていたのでそれほど心配はしていませんでした。担任の先生との話し合いもあり学校へ行くようになると、今度は塾に行かなくなりました。このままでは本当に受験できるのか、授業についていけるのかと、毎日不安でした。行かない理由もハッキリしないので親として術がありません。所属校の先生方にもずいぶん心配をかけました。毎日FAXで送られてくるメッセージがとてもありがたかったです。
 自宅では全く勉強することがなくなりましたが、テストゼミやプレ中学入試は受けていたので、受験するという意志は感じられました。友達からのメールに応えて行くこともありましたが、基本、不登校。そんなことをしていたら冬休みになり、正月特訓教室には喜んで参加した娘。けれど通常に戻るとまた行かなくなり、親の心配や不安も受験日が近づくとピークになりました。

 あれだけ保護者会で禁句だと言われたような言葉も、何度言ったことでしょう。でも、受験をやめると一度も言わなかった強さが、そこにはありました。
 最初に受験した愛知中学校から合格をいただき、大きな不安が消えた気がして少し楽になりました。

 けれどもう一つの「まさか!」はインフルエンザ。南山中学校女子部の前日まで熱を出していました。幸い保健室での受験ができたのでよかったですがこれには先生方もハラハラしたことでしょう。当日の朝の激励の言葉は、魔法の言葉になりました。
 『大丈夫‼お前は強い‼思いっきりやってこい‼』
 ふっと娘の表情が明るくなるのがわかりました。
 発表の日、南山中学校女子部の合格通知を受け取った時には「まさか!」と震えました。その後の滝中学校も、インフルエンザも怖くないので落ち着いて受けることができ、合格をいただきました。

 結果オーライで良かったのですが、不登校という問題児を最後まで応援してくださった先生方には、本当に感謝しています。今思うと、夏期講習と正月特訓教室で集中して力をつけていたのでしょうか。TVもダメ、ゲームもダメ‼と言ってた反動だったのでしょうか。本人を信じて、やりたいようにやらせるしかなかった無力な親です。何かアドバイスできる立場ではありませんが、お子さんを信じて見守ってあげてください。

JAブービーからの合格

 東海中学校の入学者説明会で冒頭「君達が今ここに居られる事を支えてくれた全ての人達に感謝出来る人に成ってください」という主旨の一言は当人は兎も角、母親の私には身に染みて響きました。所属校は勿論、他校に転勤後も保護者会や、果ては受験当日の正門での各先生方の応援。このような名進研力に、学生でなくプロにお任せして良かったと本当に思いました。

 私達夫婦は共にオール公立で私立中学受験は全く未知の世界。おまけに当人である長男と夫は徒歩10分以内、内申点を取るのが難しいかもの地元中学で何の異論も無し。わざわざ私立に行く必要があるのかと言う始末。しかし、本が友達で運動も苦手(嫌いと言っても良い…)積極性もなく…、超マイペースで凝る時には身体感覚を忘れて没頭する長男には、公立では逆に落ちこぼれるかもしれない。東海中学校なら合格出来れば、努力次第で個性ある仲間に恵まれ楽しい中高生活が送れるのでは、短所が長所に変わるかもしれない…。
 四年生になり算数が難しくなったと言い出したタイミングに入塾がすんなり決まりました。しかし知らぬはマイペース天然親子。中学受験用に特化した勉強でレベルは高く、長男は知識欲、好奇心旺盛でもチンプンカンプン。JAブービー席。継続が何事も力で、辞めたいと言い出すのを避ける為、母として慣れるまでは宿題だけはきちんとやるのみでリラックスと、練成教室のみの早寝早起きで負担を避けました。
 四年生の一年間で受験塾に何とか慣れてきて、五年生になり時々JSクラスに今月のゲストの様に入る様になり。長男なりに欲が出てきたからだと思います。

 また、就学前からの楽器の習い事は毎土曜にあり。他にも出来るだけ毎日の練習と臨時の合奏会、コンサート等、掛け持ちは大変でしたが、親子で受験に我を失う事がなかったのと、度胸、忍耐、気晴らしは出来た様に思います。しかしそちらを優先した事でテストゼミが受けられず。受験当日まで要領が悪いにも拘わらず対策を親として取ってあげられなかったと悩み、かなり不安にも時にはなりました。

 六年生になり一段とついていくだけの勉強量も増え、びっくりする程の重さの荷物を肩に黙々と弱音を吐かずに通塾する姿に逞しく成長した心身を感じました。時間をやりくりする中で五年生頃より自ら朝5時45分にいつのまにか起きて終わらない宿題や時にはテスト勉強をしていました。心身の健康が一番で夜は遅くとも22時半には就寝。土曜は習い事。日曜は家族との時間や、時には一番好きな図書館(テスト前は別でしたが)。私はどのテストでも成績より努力の有無ではありますが、一言は言ったり怒ってしまう事もありました。しかし夫は時には私に苦言も呈し、かなり客観的な視野で長男にも助言。忙しい中、得意な科目は社会だけで算数が50点前後では危ないと、受験三ケ月前からほぼ毎朝理科のみ夫が我流で補習。教えるより親子で知る楽しみを共有している感じで笑顔ありで微笑ましい姿でした。

 中学受験を通して家族の団結力、絆が強くなり、長男自身も「名進研で勉強して良かった」と本当に感謝しております。本当に有難うございました。

合格体験記

 受験勉強お疲れ様でした。弱音を吐かずに毎日コツコツと努力した結果、合格できたのだと思っています。合格通知を手にした喜びは、一生忘れられないものになるでしょう。

 莫大な量の勉強量や宿題、テスト、解き直し、補習など、過密なスケジュールの上にやるべきことが沢山あり、親の方が参りそうになりました。娘は、黙々とこなし、さらに、音楽部やピアノのレッスンを両立させることで、時間配分をうまくすることができたようです。上手に気分転換でき、伴奏を担当したことにより、自信が持てたようです。受験一色にならず、息抜きも必要だと思います。

 すべてが順調だった訳ではありません。つらい夏期講習を乗り越えた秋以降は、疲れがたまっていたのか、よくかぜをひき、耳の調子がよくない時もありました。体調管理を優先して、10時30分までには、寝かせるようにしました。
 合格した今は、あれほど毎日勉強していたのが嘘のように、毎日遊んでいます。

 娘が言うには
「今は天国、受験勉強は地獄。」
とのことで、
「つらい勉強を乗り越えたから、今があるのかな。」
と思っています。

 これから受験を迎える皆様の健闘を、お祈り申し上げます。

それぞれの戦い

 双子の娘たちは五年生の夏期講習から名進研でお世話になりました。性格・得意科目も全く違う二人の個性を把握してご指導くださった先生方のおかげで、二人とも楽しく通うことが出来ました。うちは朝型の生活でしたので五年生の授業のみでゆったり構えておりました。しかし六年生になりテストゼミを受講すると今までとは一変し夜型生活になり、また、毎週届くテスト結果に私が一喜一憂するようになりました。

 週四日の授業にテストゼミ、六年生後期からの志望校講座・入試実戦講座。夜は十時まで自習し更に理系の娘はトップレベル講座EXも受講していました。テストゼミも回数を重ねる度に私自身葛藤し迷いが出てきました。それは睡眠時間六時間で頑張っている二人に対しテスト結果でしか認められず数字に踊らされている自分。小学生がここまでやらないといけないのか?子供たちは本当に幸せなのか?このまま受験させて良いのか?不安は尽きません。

 そして六年後期、私のストレスも次第に増す中での志望校判定で理系の娘は徐々に順位を上げ、第一志望80%をキープこれならと一安心。しかし文系の娘は20%未満が続き、まだまだ手が届かない状態です。そうこうするうちに冬期講習と正月特訓教室が始まり私の緊張はピークに達し、居ても立っても居られずいつも先生に相談していました。

 入試本番は二人とも鶯谷中学校・金城学院中学校・愛知淑徳中学校と合格を頂き、とうとう理系の娘第一志望校の南山中学校女子部。試験が終わった娘の第一声は「算数いつもと傾向が違って出来なかった。でも理科と社会はなんとか出来た。」その言葉に得点源の算数ができなかった事に私は不安を感じました。やはりその不安が的中、南山中女子部は届きませんでした。憔悴しきっている私に受験は終わっていないことを背中で教えてくれた文系の娘。滝中学校までの残り一週間いつもと変わらない二人。私は滝中学校の試験に向かう途中なぜか楽しみでしたし不安はありませんでした。南山中女子部の時はどうしてあれ程までに力が入りすぎていたのか分かりません。そのプレッシャーが自然と娘に伝わって残念な結果になってしまったのかもしれません。

 そうとはいえ滝中の発表の日は不安でした。もしどちらか一人が駄目だったらどうしよう。封を開ける手が震えハサミが上手に使えず、それでも何とか開けると二人とも「合格」の二文字。それを見たときは声を出して泣きました。理系の娘はトップレベル講座EXの算数が大好きで南山中女子部の試験前日まで授業を受けに行きました。しかし逆に社会は最期まで力が入らず心配の種でした。文系の娘は絶対滝中に合格すると心に誓っていたようで模試の結果が悪くても動揺せず気持ちは一切ぶれることはありませんでした。

 先生方にはいつも支えて頂いて本当にありがとうございました。名進研で勉強する事の楽しさを教えて頂き、更に上を目指して頑張っている二人を見て中学受験を選択した事は間違いなかったと思います。

合格体験記

 長男は東海中学校に進学することになりました。受験準備は小五になる春からです。
 時に親でも驚くような知識をいつの間にか持っているタイプの息子を「私立中学に向いているのでは?」と考え、試しのような気持ちで名進研の入学テストを受けさせたのが始まりでした。しかし結果は不合格。進学塾って難しいんだなと初めて知りました。
 再度の試験で無事合格し、お世話になることになりました。ただ、息子自身は当初はそう乗り気ではなく、私も夫も「絶対私立」とは考えていなかったので、「もし合わなかったら三か月で辞めていい」と約束をしてのスタートでした。そして三か月が経った頃、息子の出した結論は「続ける」ということでした。

 息子はあまり学校での出来事などを積極的に家で話すタイプではないのですが、塾での出来事はよく話してくれました。同じ小学校から同じ塾に通っている友達の存在も刺激になっていたようで、その様子に塾が面白いんだろうなと感じていたので息子の出した結論にも納得でしたし、安心して続けさせることができました。
 受験対策は名進研での授業と宿題のみ。
 親である私は恥ずかしながら名進研での学習内容を知悉している訳ではないのですが、時おり垣間見るテキストやテスト内容から、名進研のカリキュラムで十分受験対策となり得ると安心できました。小学生ですので完璧な自己管理ができるわけではなく、時に寝るような時間になってから宿題を始めて親と衝突したり、難しい問題にイライラして怒りながら課題をこなしていたりと言ったこともありましたが、塾のない日はお友達と遊んだりスイミングに通ったりして過ごしました。

 そしていよいよ受験。まったく初めての体験で何も分からない中、名進研の先生に願書の書き方を教えていただいたりして乗り切りました。受験当日も息子はわざわざ名進研の先生を探して挨拶をしてから会場に。落ち着けたのか、無事合格できました。
 ちなみに第一志望の東海中学の願書で一番困ったのは、頑張っていたことなどを書く(?)欄。特にすごい賞をもらったりなどの経験もないので、この部分を名進研の先生に相談しました。すると「頑張っていたことなら自信を持ってなんでも‼」との力強い言葉をいただき、「六年間皆勤賞を続けている」旨を記載しました。

 このように親子ともども名進研には勉強面、メンタル面でともにお世話になりました。二年にわたるご指導に心から感謝いたします。

入試を終えて

 息子が東海中学校に進学することになりました。これまで長きにわたり、親身になって指導してくださった先生方への心から感謝の気持ちを込めて、体験記を寄稿いたします。

 名進研の門をたたいたのは、息子が小学三年の秋のことでした。志望校については、入会以来ずっと、滝中学校か東海中学校のどちらかに合格できればと思っていました。しかし、東海中学校はより難易度が高いと感じていましたので、親子とも、滝中学校を本命として受験準備を進めてきました。
 本人の学力については、四年生の実力テストではまずまずの成績を修めていたのですが、五年生になりテストゼミが始まると、好成績をあげるのは難しくなりました。六年生ではKS1とTN3を行き来し、十二月にやっとの思いでTN2にはい上がったものの、やり残したことだらけの状態で入試本番に突入しました。

 九月末のプレ中学入試で、初めて志望校の合格可能性が出た時のことです。滝中、東海中とも20%未満というショックな結果でした。
 しかし、直後にお願いした三者面談で、私が「先生、結果は厳しいですが、あきらめる気は全くありません。引き続きよろしくご指導願います。」と伝えたところ、先生から「何を言っているのですか、お父さん。当たり前じゃないですか。一緒に頑張りましょう。」という力強いお言葉をいただいたことは、今でもよく覚えています。

 親の受験へのかかわり方についてですが、五年生の時は、苦手の算数の予習を手伝ったり、週末に一緒にテストゼミの解き直しをしたりしました。しかし、六年生になると、難度の上昇とともに親が教えることは困難になり、息子も、毎日のように夜10時まで塾で勉強するようになったため、親の支援は側面的な内容に移っていきました。具体的には、テストやプリントの整理のほか、夏休み前に、苦手の算数について、前期分のテストゼミで不正解だった問題番号を一覧にして算数の先生にお渡しし、その中から、滝中志望の生徒にはできなくても構わない難問をご指摘いただき、子供の負担を軽減したうえで、残りの問題の解き直しをさせました。
 また、十二月には、残された時間の中で効果的に復習できるよう、六年生のテストゼミについて、各回・各教科ごとに、名進研生全体の中での息子の偏差値を教えていただき、偏差値の低い単元から優先的に解き直しをさせました。そして、入試直前の一月には、国語、社会、理科について、六年生の各種テストで間違えた漢字を一覧にし、入試までに復習させました。そのほか、六年生の秋以降、保護者会で先生よりお話があった学習のポイントを、A4用紙二〜三枚にまとめ、息子に説明しました。あと、もっと早くからやっておけばよかったと思ったことは、返却された答案用紙の確認です。テスト結果が届くと、親はどうしても順位や得点に目が行きますが、是非、親子で採点済の答案用紙をしっかり見てください。きっと、親には思いもよらない形で失点するパターンが見つかることと思います。

 東海中の入試前日(滝中入試の前々日)には、一月の最終保護者会でターミナル校の先生からご提案いただいた通り、子供の緊張を少しでも解きほぐすため、息子に手紙を渡しました。内容は、「これまで本当によく頑張った。最後までやり切ったお前をお父さんは誇りに思う。そりゃ合格通知は見たいけど、入試がどんな結果に終わろうと困ることは何もないのだから、明日は、ただ思いっきりやってこい。」というものです。
 入試終了から合格発表まで、息子はゲーム三昧の時間を過ごしていましたが、私はといえば、わが子にもしもの結果が出たらどう励ますか、そのことばかり考えていました。結果は、本命の滝中が不合格で、特別な対策までは手が回らなかった東海中に合格。「こんなこともあるんだ。」と驚くとともに、東海中に合格できた喜びに親子でひたりました。算数が苦手な息子にとって、滝中が国・算に傾斜配点しているのに対し、東海中は四教科に均等配点していることがプラスに働いたのかもしれません。

 これから入試を迎えるご家庭におかれては、何かと落ち着かない日々をお過ごしのことと思います。親の役割は、子供のハートに火をつけることと言われますが、これがなかなか難しく、私も、息子の志望校突破への気迫が足りないと感じてやきもきしたものです。しかし、相手はまだ小学生です。わが子が自分なりにコツコツと努力しているのなら、テスト結果に一喜一憂せず、いつかは成果が表れるものと信じて、見守ってあげるしかないでしょう。年間を通して好成績を維持できるのは少数派です。先生方が常々おっしゃるように、入試は一発勝負、やってみなければわかりません。

 名進研生が、最後まであきらめずに目標に向かって頑張り、ご家庭に素晴らしい春が訪れることを、心よりお祈り申し上げます。

奇跡は起きた!

 奇跡は起こった。

 JSクラスになったことがなく、ゼミの最終クラスがKS3、そして最後のゼミでは黒星をもらってきたわが子が、第一希望の「愛知淑徳中合格」を手にしました。

 姉とは違いマイペース。悪い点をもらってきてもケロッとしている(ように見える)。上と比べてはいけないと言い聞かし、「寄り添う」ことを心に、繰り返し感情を抑えること約一年。姉の時は、介護という家庭の事情で参加させてあげることができなかった正月特訓教室、下の子にはちゃんと受けさせてあげようと心に決めていたのに、「お部屋がひとりになるかもしれないからヤダ」の一言で却下。「う〜ん。困った」。でも、決めるのは子供。中学受験も親の敷いたレールに乗るか乗らないかは、最終的に子供が決めること。そうとは分かっていてもいろいろ口をだしたくなるのをできるだけ我慢するようにしていました。

 「信じる者は救われる」の言葉を胸に、成績の乱高下があったときは、投げ出したくなる気持ちを抑えて、まずは親である自分の感情をコントロールすることに専念。子供のやる気が維持できれば、あとは何とかやっていくものだと信じて。最初のうちはもらってきたプリントがカバンの中でぐしゃぐしゃ状態、最初は「きちんと整理しなさい‼」といっていたのですが、その状態が続いた時「きっと出来ないんだな」と思い返し、一緒に整理したのを思い出します。寄り添うって結構大変…

 名進研に入り素敵なお友達と切磋琢磨できたことはかけがえのない経験となりました。一緒にいる仲間がいたからこそ、中学受験という大変な経験を頑張れたと思います。三年間お世話になった先生方、いつも温かく、時には叱咤、激励をして子供のやる気を維持するよう働きかけてくださりありがとうございました。試験当日もグッドポジションを確保するために朝早くから来てくださりありがとうございました。緊張する試験当日に、先生方の顔を見ることが出来、子供も安心して試験を受けることが出来ました。

 名進研で学んだことは数多くあり言い尽くせませんが、ものの考え方や勉強の仕方など在校中に学んだことは全てこれからの土台になっていくと思います。上の子も下の子も、この塾に入れてよかったと心から思っています。ありがとうございました。

名進研 中学受験コースJunior high school exam course

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