名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

孫を大変身させた“名進研マジック”

 合格発表日の午後四時、帰宅した孫がポストから手にした薄い封筒。不安そうな表情でゆっくり開封しました。

 「やったぁ」
 合格の二文字。あの時、孫と飛び上がって喜んだ瞬間を思い出しますと今でも胸が熱くなります。

 私立中へ進学させるなら“名進研がいい”という噂を耳にしていましたので、三年生の夏期講習から迷わず入会させました。
 四年生では、D・CたまにBという評価。五年生になってJS2からJS1になることができ、本人の思いの中に「東海中に行きたい」という気持ちが芽生え、次第に強くなったようです。振り返りますと、五年生で手にしたテキストの内容・量・毎週実施されるテストゼミに圧倒され、これらをやり遂げられるだろうかと思ったものです。宿題はやらねばいけないという性格だったものの、いつも「勉強は嫌い」と言っていた孫でしたが、先生方の手厚いサポートで「塾は楽しい」と言うまでになりました。

 しかし、六年生になって思うように成績が伸びず、思わず「第一志望を変更したら?」という声掛けをしたこともありましたが、本人の「東海中に絶対入る」という強い思いは変わりませんでした。口では「東海中に入る」と言うものの、なかなかやる気が出ず、だらだらした生活態度にいらいらさせられる日々が七月まで続きました。
 孫は東海中に合格できる力があるとは思っていませんでしたので、やっぱり東海中は無理だろうと内心思っていた頃、夏期講習に突入しました。夏期講習が始まった途端、孫は大変身したのです。それは今までとは真剣さが違ったのです。私たち家族には、必死に自分と戦い、時間と戦っている姿を目にする日々となりました。これらの勉強に対する意気込み、真剣な努力は入試直前まで継続しました。この姿は周りで見ている者にとって涙の出る程のがんばりでした。もしも不合格だったら、何と言えばいいのだろうと考えると家族一同、合格通知が来ることのみを心の底から祈るばかりでした。

 では、このような孫の大変身は、一体、何がもたらしたのでしょうか。この答えは正に“名進研マジック”だったのです。先生方の言葉かけ・真剣さ・そして全員を必ず合格させるぞという熱意等々を私は“名進研マジック”と名付けさせていただきました。

 本当に“名進研マジック”に感謝しております。また、最後のゼミテスト後の復習ノートに書いてくださった各教科の先生方の温かい言葉に家族も泣けました。入試が終わったその日の夜、東海中に持参した三年半でボロボロになった通塾カバンの中に復習ノートを見つけたとき、先生方の熱い励ましのメッセージを孫は心の支えにして受験に臨んだことが伝わってまいりました。孫は、名進研で“努力は裏切らない・学ぶことの楽しさ”という大きな財産を得たことでしょう。

 所属校でお世話になった先生方、本当にありがとうございました。

娘の小さな背中

 「大きくなったら、私もこの学校に入りたい。」
そう娘が言ったのは、まだ幼稚園児の頃でした。

 習い事に通う電車の中で、金城学院の生徒さんに優しくしてもらい、ずっと憧れていたからです。娘の初めての夢でした。三年の月日と、たくさんの涙を要して、その夢を娘は叶え、憧れの金城学院中学校へ通っています。

 ここまでの道のりは、試練の連続でした。中学受験は大変とは聞いてはいましたが、私達がそれを身を持って知るのに、時間はかかりませんでした。受験勉強が生活の中心になり、娘は、大好きなバレエのレッスンを減らす事、友達と遊べない事、なぜ私だけという気持ちと、毎日のように戦っていました。泣きながら訴える娘を、何でこんなに心が弱いのだろうと情けなくて叱ったり、逆にかわいそうだと思ってしまったり、主人と私も、常に葛藤していました。

 六年生になるとプレ中学入試やテストゼミの結果に、娘は過剰に反応し、不安とも戦うようになりました。そんな頃、塾の席順が下がった事に落ち込み、自分だけが合格できないと言って涙を流した娘に、主人が言った言葉があります。それは、
 「自分に負けるな。」
です。他の人と比べるのではなく、自分がどれだけ努力したのかを見つめて、昨日よりも今日、今日よりも明日の自分に勝つ事を考えろと。その言葉は、娘の心に響いたようでした。しかし、まだまだ幼い娘なので、頭ではわかっていても、なかなか実行は出来ず、順位やテストゼミの黒星で、だめだと思い込む日が度々ありました。最後のテストゼミでは黒星を取ってしまい、受験直前にもかかわらず、家にこもって泣きじゃくり、受験をやめたいとまで言う始末でした。その日、何とか娘をなだめ、二人で泣きながら塾へ向かった時の事は一生忘れないでしょう。

 そんな娘でしたので、金城学院の入試の朝、やっとここまで来たという想いでいっぱいでした。出発の前、家族三人で、合格祈願のお札に手を合わせたのですが、少し震えながら長い間手を合わせる娘の小さな背中を見た時、今まで流したたくさんの涙や、夜遅くまで机に向かう娘の姿が思い出されて、何としてでも夢を叶えさせてあげたいと心から願いました。

 そして、合格発表の日、私はまた娘の背中を見ていました。その手の中には、合格の二文字がありました。その時、なぜかわかりませんが、娘におめでとうではなく、
 「ありがとう。」
と言っている自分がいました。三年間、バレエも辞めずに受験勉強を頑張った事、夢を叶える力を見せてくれた事、まだ十一歳の小さな身体で、大きな感動を与えてくれた娘に対する感謝の気持ちだったのかもしれません。弱くて泣いてばかりだった娘でしたが、金城学院に入りたいという意志は、一度も変わった事はありませんでした。だからこそ、合格を手に出来たのではないかと思います。そして何より、三年間こんな私達を支えてくださった先生方のおかげでもあります。勉強だけではなく、娘の良い所、弱い所をしっかり把握して、精神面でも御指導くださった事、不安でたまらない時に、
 「確実に力はついていますから、大丈夫ですよ。」
と言ってくださった事、全て感謝しております。名進研で頑張れて本当に良かったです。ありがとうございました。

 娘は、これから中学校生活をスタートさせます。また新しい不安や問題に直面して、涙する日もあるでしょう。でも、私達は、娘なら乗り越えてくれると信じています。小さな背中には、名進研で育った大きな自信がついているから…。

宝物をありがとう

 晴れて憧れだった滝中学校に合格した、幸せ者の娘を持つ母です。南山中学校女子部、滝中学校、愛知淑徳中学校、大成中学校、鶯谷中学校を受験し、南山中学校女子部以外すべて合格致しました。

 あれは、小四の夏。塾に入ろうか迷っていた時の事でした。祖母の勧めもあり、入会を名進研に決めました。正職員で勤めていたので、送り迎えも困難でしたが、友人の家族にも支えられなんとか夏期講習から通うことができたのでした。今思えば、この決断がなければ今はないでしょう。

 そして、本人のやる気。それはすさまじいものでした。出された大量の宿題をなんとかこなそうとする姿勢、学年が上がるごとに難しくなる内容。五年生には、復習・宿題指導講座やテストゼミを受講していきました。毎日が時間に追われる日々、10時…11時…終わらない宿題。気づいたら、机で寝ていることはざらでした。こんな調子で、果たして受験することができるのだろうか…六年に入ってからは、ますます不安だらけでした。余裕がない生活、本人まかせの毎日、母がかける言葉は、「はやくやりなさい‼」「いつまでかかるの‼」「何回同じ事言わせるの‼」そんな日々が続きました。

 迎えた最後の年。プレ中学入試が始まり、いよいよ本番が近くなってきました。六年の途中から、クラスが上がるようになり、JAからJSへ。KS2からKS1へ。少しずつ明るい兆しが見え始めました。得意の国語で偏差値を引き上げ、先生も上がってきている、と言ってくださいました。冬には、TN3に上がっていました。

 この頃から、かける言葉は変わっていきました。「いけるいける‼」「すごいやん‼」気持ちを盛り上げていき、母子一心同体でした。今まで自分が子どもに対してかけてきた言葉をとても後悔しました。親が、私が味方になってあげなくてどうする‼ この子は、一人でテストに挑んでいく。分かってあげられるのは親である私たちしかいない。家族一丸となって、受験に向かう、そんな気持ちで本番を迎えていました。

 入試本番前、娘は言いました。「私、絶対受かるから」自信に満ちあふれていました。

 そして、合格発表の郵便が届きました。封筒を開け、合格の二文字を見た瞬間、涙が止まりませんでした。

 親子で乗り越える中学受験は、本当に特別なものです。少なからず、親子の絆は深まることでしょう。こんな経験ができて、本当に名進研には感謝しています。先生方、本当にありがとうございました。

 最後に、娘へ…宝物をありがとう。素敵な時間をありがとう。

根拠のない自信を信じて

 五年生の春期講習から高校受験コース、夏期講習から中学受験コースと二年間大変お世話になりました。
 中学受験の右も左も分からず、学習習慣も身についていない状態ながら、親のただの勘から「この子なら大丈夫」と一年半で東海中学校を目指す、無謀な挑戦をした体験を記させて頂きます。

 母親の私がやったこと
・東海中学を目指す動機づけをする。ある事ない事(‼)を言ってその気にさせる。ただの憧れではなく、強く思うように(これができれば親の仕事は半分終了ですね)。
・あの手この手で勉強をするように仕向ける。人参をぶら下げたり、コメダのメロンクリームソーダで誘い出しそこで勉強したり。時には私が問題を読み、答えさせたりもしました。少しずつ勉強ができるようになると、自分で工夫を始めました。リビングで勉強したり、寝室で勉強したり。ある日は立って勉強をしていました。立ってやれば眠くならないと。そんなこんなで勉強机に向かう習慣が身についていきました(この頃、先生方から、勉強のやり方が身についてきたね、とコメントを頂き、嬉しかったことを覚えています)。
・成績を上げるイメージを共有する。右肩上がりのグラフを描いては見せていました。一教科、二教科と順に上げていくよう、ステップを示しました。
・六年生の初めからはテストゼミの解き直しと間違い直しを徹底。
・勉強机に向かわなくてもできる勉強アイテムを準備する。ゼミの単元に即した、歴史マンガを渡す、「歴史にドキリ」を見れるようにしてスマホを渡す。夏期講習前には地理と気象のマンガを(五年前期でしか習わない単元があることに気づき)慌てて購入。「中学入試まんが攻略BON‼」
・お弁当はできるだけ温かいものを届ける(大変幸運なことに家が近かったので)。
・鉛筆を削る。プリント類を整理する(整理の仕方を教えてもなかなかできないですね)。
・使いやすい消しゴムを色々調べ、試させた。結果、サクラクレパスのFOAMWの小サイズが良いと。
・マスク、カイロも色々試しました。
・新聞の切り抜きをする。一年分でノート五冊(結局これは入試にはあまり役立ちませんでした。入試直前に一年分を私が読み上げ、私の感想を勝手にしゃべってました。聞いていたかどうかは分かりません。時事検定の問題で引用のあった新聞記事を確認することができたのは良かったです)。
・過去問が始まると、ノートに解答のコピーを貼り、横のページで間違い直しができるようにした(これは全く役に立たず。過去問でできなかった問題の深追いは不要なので)。

 一年半、合格させるためには何でもする‼と不退転の決意で臨みました。その為、多少やりすぎの所もあったなと、今になれば思います。
 入試を終えて分かったことは、名進研の先生方の指示の通りで全てが備わっている、ということでした。結局一番大事なのは、「休まず通塾し、その時その時先生方が与えてくださる課題をクリアすることに集中する」です。

 我が家はゲーム禁止などの禁止事項は設けませんでした。反感を買ってまで禁止しなくても、ゲームをする時間はほとんどありませんし、自制もするので大丈夫です。但し、頃合いを見計らって制止をし、勉強するようキャンキャン言ってました。こういったさじ加減が難しいですね。放っておいたらやらないし、無理にやらせても反発されるし。
 ケンカもいっぱいしましたが、お互いだんだんケンカの仕方をマスターしていきます。火に油を注がない。機嫌が悪い時はそっとしておく。私の怒りを明るくいなす。お笑い芸人のセリフを織り交ぜながら怒る。言いたいことがある時は機嫌のいい時を狙う。

 息子の息抜きとして必須だったのが、お笑い番組、好きな音楽、パズドラでした。お笑い番組は息抜きだけでなく、私も怒る際にセリフが使えました。好きな音楽を聴きながら勉強したり、送迎の車中で熱唱したり。入試当日も音楽を聴いてリラックスしていました。パズドラはなかなか遊べない学校の友達と連絡を取ることができ、心の安定に役立ったと思います。本人は頭の体操に役立つと主張しておりました。

 家族の支えも大事ですね。弟は大好きなお兄ちゃんと遊ぶのを我慢。時には一緒に遊び、お兄ちゃんも癒されていたと思います。主人はいつも温和でいてくれ感謝です。
 私の心の支えは、受験(中受に限らず)を経験されたママ友さん達の言葉でした。「子どもは頑張ってるからね、追いこんじゃだめだよ。」「今まで頑張ってきたものがあるから、直前にフワフワしてても大丈夫だよ。」ママ友さんからは他にも、お守り等をはじめ、手作りのアロマオイルで癒してもらったり、受験の年は運気が良いから大丈夫‼と占いをしてくれたり。お陰で精神的に苦しい時も乗り越えることができました。
 そして何と言っても最大の心の支えは、所属校の先生方の存在でした。全ての導きに全幅の信頼を寄せ、必死についていくことができました。先生方からの全てのお言葉に支えられ、無事入試を終えることができ、ただただ感謝するばかりです。
 先生方が自転車の前輪となり引っ張ってくださり、私が後輪でついていく。息子は涼しい顔で自転車を気持ちよくこぎ続ける。時には下り坂を泣きながらこぐ時もありました。

 最後に、自転車をこぎ続けた息子に感謝をします。どんな時も自信を失うことなくいてくれました。その自信はどこからくるのか不思議でしたが、その根拠のない自信を信じ、私も走り続けることができました。受験が終わり、その自信の源は、先生方と息子が過ごした時間だと、確信しました。
 あれこれできないことばかりに目が行き、あれもしなきゃ、これもしなきゃと焦っていたのは私だけだった、のです。不安に押しつぶされそうな時もあるかと思います。そんな時は好きなことをしてリフレッシュ‼ですね。どうかお母様方も健やかにお過ごしくださいませ。
 ご子息ご息女と共に素敵な春が迎えられますようお祈り致しております。

受験の意味を探した日々

 名進研には四年生の三月から通い始めました。初めから中学受験を念頭においての通塾ではありませんでした。一歩進んだ学習をさせたいとの思いで入会テストを受け通いました。具体的に受験を考えるようになったのは、数か月してからでした。
 四年生の秋。中学受験をすると決めてからは、お風呂に社会・理科の教材をコピー、ラミネートし浴槽に浸かりながら学習をしました。リラックスしながら暗記する方が息子には合っていました。
 しかし、将来の夢、進みたい道がハッキリとしていない息子には塾での学習が楽しいと言えるだけで、友達よりも点数を取りたいなどの野望的なものはありませんでした。

 五年生になり、私立中学の説明会やイベントに出掛けるようになると、
 「あの制服カッコいいね。」
 「電車で通学いいなぁ。」
 「学校の設備がキレイだね。」
 など、目にする事で中学受験をすると言う意識は芽生え始めたようでした。

 六年生になると本格的に受験生になるのかと思っていましたが、
 「お母さん、勉強って何のため?点数取れんかったからって何で怒られるの。」
 と、受験生らしからぬ質問をされ続けました。私は、今更何を言っているのだろうと思いましたが、将来何になりたいのか?どんな事を学ぶべきなのかをトコトン子供と話し合う事にしました。

 「電車や飛行機の設計などをするエンジニアになってもみたい。でも、電車の運転手にもなりたい。」
 と、子供なりの将来就きたい職業はありました。そのためには何を身につけ、どんな大学へ通った方が良いのか?学校によっての選択肢に特徴があるのかを夏まで模索しました。
 もっと早くから受験する意味を探し、考えられたら子供も学習に意欲的に取り組めたのかもしれないと、反省する面も多くあります。

 受験を親子で乗り切って思う事は、
 ①勉強に真剣に取り組むことは当たり前の事だと教え、中学や高校・大学は友達を作るところではなく、仕事に取り組むための知識を得に行く場所だと認識すること。
 ②やる価値があると思ったら挑戦してみたらいいと思います。たとえ失敗してもその過程からいろいろと教訓を得られます。
 ③分からない問題を尋ねて教えてくれる人(先生)が名進研にはいます。何度でも同じ質問でも優しい笑顔で答えてくれる方を見つける事。
 受験生の親になるなんて思っていなかった私でしたが、受験という壁を一緒に上り、乗り切った子供を見られた事は大切な思い出となり、数年後に迎える大学受験の糧になると思います。

「緊張なんかしてないよ。」

 桜咲く。桜咲いた。とてもうれしく、ほっとした心持ちで受験を終えることができました。娘は、志望校であった南山中学校女子部に進学できることになりました。息子と娘で合計六年間名進研に通いました。指導していただいた名進研の先生方への感謝の気持ちを表したく、筆をとりました。

 息子が小学校三年生の時に、担任の先生と面談したときのことです。「息子さんはこのまま公立中学校に進学するといじめにあうかもしれません。中学受験を考えてみませんか。」とアドバイスをいただきました。物静かで、夢中になると周りを気にせずにとことん熱中してしまう性格の息子は、学校生活で悩みを抱えていました。親として心配はしておりましたが、公立の学校しか通ったことのない私と主人にとって、中学受験は全く考えていない選択肢でした。息子には名進研が新たな生活の一部となり、学校以外にも友達を作ることができました。三年間、「塾が楽しい。」といって喜んで家を出ていく姿を見て、成長を感じました。よく「先生から面白い話を聞いた。」と教えてくれるようになり、娘にとっても名進研は楽しい場所・いつか私も行ってみたい所になっていたようです。息子は、国語が苦手で、長文問題にずいぶん苦労をしていました。大好きな社会科、特に地理の得点が抜群に良かったため、親としてはその部分を最大限に褒めて、「あなたは大丈夫。社会で稼げるから国語は普通で良いのよ。」と息子と自分に言い聞かせながら受験を乗り切ることができました。

 息子は無事、志望校の東海中学校に入学が決まりました。親としては、長い長い期待と心配の時間から解放され、やっと終わったという気持ちだけでした。そんなとき、今度は娘が自ら「今度は私の番だ。」と言ってきました。あと三年続くのかという気持ちと、自分から言ってくれたことに対する嬉しさが同時に押し寄せてきましたが、親として決意を固められたような気がしています。娘は、学校での課外活動やバレエ・水泳など、やりたいことは無理してでもやってしまう性格でした。受験には興味がないかなと思っていましたが、自分から言ってきたことだから、何とか支援して成長させてあげたいなと思いました。

 娘の受験生活は、順調でしたが、夏期講習・志望校別プレ入試などでは、苦戦していたようです。「どうだった?」と聞いてもはっきり答えません。この時期には、褒めても、叱咤激励しても、気のない返事しかかえってこず、親として非常にストレスを感じていました。成績は悪くありませんでしたが、このまま合格できるのか不安を抱えていたのではないかと今になって感じます。

 受験は、第一志望の南山中学女子部を含め四校に願書を出しました。最初の受験である愛知中学の日、娘の緊張はピークに達しました。受験会場である学校への道で、事前の保護者会で話があった「やってはいけない親子の会話」の状態となってしまいました。とても緊張し、顔面蒼白の状態で門をくぐる事態になったのです。門をくぐると、寒風の中、名進研の先生方が大勢で迎えてくれました。いつも通りの調子で娘に声をかけ、すぐに異変を察知したようです。
 「カチカチじゃないか。ジャンプしろ、体動かせ。」
 と話しかけ、その後、娘の目線に立って声をかけてくださいました。
 娘には笑顔が戻りました。
「緊張なんかしてないよ。」と
 言い残し、普段の模擬テストに向かうように試験会場に消えていきました。

 その後は、南山中学女子部、愛知淑徳中学、滝中学と受験を続け、合格通知を受け取ることができました。結果は全て良しとなりましたが、もし最初の段階でつまずいていたらと思うと、今でも反省の念がこみ上げてきます。そして先生方に助けて頂いたことにとても感謝しております。ここまで読んでくださった御父母の皆様、子供を信じて良かったことをしっかり褒めまくり、前を向いて受験を乗り切ってください。

 長い受験生活でしたが、親子共に苦労し、成長できた貴重な時間であったと感じます。名進研の先生方、六年間の長きにわたり支えていただきありがとうございました。

何があっても動じない

 受験を終えた今、感じたことを一つだけ記したいと思います。
 我が子は、真面目・几帳面とは正反対の自由人。受験勉強にエンジンがかかったのは、正月特訓教室後からで、第一希望は不合格。参考になるような体験ではないので、不安でいっぱいの方は読まないでください。

 つい先日まで、そんな横着な我が子に向かい、保護者会でいただいた先生の「こどもを信じる」とかかれた直筆のサインを待受画面にし、合格体験記にかかれている「キセキ」を期待して、我が子と自分を鼓舞してきました。
 彼も短い期間でしたが激しく追い込みをかけ、第二希望に合格をいただけました(志望校プレで50%以下しか取れてないので、ある意味キセキです)が、第一希望は不合格の通知。「努力は『必ず』報われる」わけではないのだと思い知りました。

 第一希望に合格を決めた友達がほとんどですが、その半面、途中で受験をあきらめた友達や、最後までがんばったのに高校受験でのリベンジを選択した友達、第三希望の私立に進学する友達がいるのも事実。みんながんばったのに。
 体験記を読むと「奇跡を信じてよかった」「努力は報われる」等の内容ばかりなので、「がんばれば100%報われる」と安易に考えすぎていた私は、その結果に愕然としたのでした。
 もちろん、我が家も体験記の内容を信じてがんばれたおかげで学力が飛躍したので、信じることはとても大切です。が、何が起こるか分からない中学受験。親の頭のすみっこには、何があっても動じない心の準備が必要で、決してそれは子供には悟られてはいけないものなのだと感じました。

 そんな中、彼が救われた点は、「第一希望が三つあったこと」かもしれません。
 第三希望の合格はいただけていたので、彼は第二希望がダメなら、迷わずそちらにいくつもりでしたし、第二希望に合格した際の気持ちの切替えは、私より早かったです。
 何が起こるかわからないということは、ある確率でキセキが起こるということだと思います。最後まであきらめず、安全圏でも緩まずに、みなさんの第一希望の合格と名進研のご発展をお祈りしています。

 最後に、こんな我が子を見捨てずにご指導くださった先生方、言葉では言い表すことができないほどお世話になりました。本当にありがとうございました。

「憂鬱なメール」

 娘は第一志望校の滝中学校に無事合格できました。
 振り返って思うと、第一志望の滝中学の入試が終わり、入試結果通知書が届くまでの日にちはとても長かったです。入試結果通知書が届いた日は、学校から戻ってきた娘が、一人部屋に行き結果確認をしました。部屋から「合格」という言葉が聞こえてきた時、家族みんなで拍手して喜ぶ事ができました。このような場面に立ち会えた事、とてもうれしく思います。ここまでくるまでは山あり谷ありで、決して楽ではありませんでした。半分あきらめかけていた時、塾の先生方の励ましの言葉、そして苦手部分の克服カリキュラムを作っていただきアドバイスをしてもらい、親身に相談にのっていただける先生方にめぐり合う事が出来たからだと思います。

 我が家の場合は、普通に公立中学に進むものだと思っていました。五年生に上がる時に娘が受験をしたいといい、友人の勧めもあり五年生にあがる三月から名進研に入会しました。
 家から近い場所に滝中学があり、
 「じゃあ滝中学にしよう。」というような、簡単な決め方で志望校を決め、受験勉強はスタートしました。
 受験を決めたものの私立中学の知識が全くなかったため、いろいろな学校の学校説明会や体験学習に参加しました。六年生になるととても忙しく、学校の見学には行けなくなるため五年生の間にいろいろ参加できた事はよかったと思います。受験を考えている学校は五年生のうちに参加されるといいと思います。

 (五年生の時)
 自宅での学習ですが、学校では解ける算数も名進研の算数は難しく、すぐには理解することができず親子で解き方を考えたりしていました。それでも、例題、類題、基本、練習問題は出来るまで何度も解き直しをしました。
 理科に関しても、てこ・滑車・水溶液の計算は解き方が分からず一つの単元に三週間ぐらいかけて考えたりしていました。結果的に、時間は大変かかりましたが、解き方がしっかり理解できたので、そうそう簡単には忘れることはなく良かったと思っています。
 社会の学習においては、きちんと覚えることが出来ているか確認をしてこなかった事はとても反省すべきでした。六年生に入ってから、歴史が本格的に始まり、日本国憲法・国会とますます覚える事が増えます。五年生の社会は五年生のうちにきちんと定着させておくべきだと思いました。

 (六年生の時)
 六年生になってからはテストゼミを始め、塾に行っている時間のほうが長くなり、五年生の時の様に親子で机に向かう事は少なくなりました。ほとんどすべてを塾の先生にお任せしていました。
 私はというと、毎週火曜日のお昼ごろにくるテストゼミのメールが恐怖でなりませんでした。テスト結果が上がったり、下がったりと変動が激しく、白星を取って喜んだと思えば、黒星を取ってくるという事がざらにあり、本当にこのメールから逃れたく、受験を辞めてほしいと何度思ったことかわかりません。そんな親とは対照的に、娘はテスト結果をみてショックを受けている様子はなく、どのように考えているのか疑問に思ったこともありました。それでも、毎日、一生懸命勉強している姿をみていたらとても怒ることはできませんでした。中学受験をしていない親の私から見たら、本当に尊敬するばかりです。
 夏休みが過ぎたあたりからはテストゼミの成績一覧をつくり、偏差値の低いところの直しを何度も繰り返し解いていました。また、社会の暗記が苦手だったので、毎朝六時に起き、先生に作っていただいた娘専用の社会科の宿題・計算五問・漢字を受験日前日まで欠かさず勉強していました。
 一月に入ってからは、理科・社会の暗記確認・算数のテキストの直しを主に勉強していたようです。娘いわく、一月が精神的にとても辛かったそうです。
 このような感じで二年間を過ごしてきました。

 (受験日当日)
 「入試日、本番っていう感じがしない」なんて言い、ピリピリした感じもなく会場に向かいました。そのように思えたのは、六年生になってから毎週テストゼミやプレ中学入試を行ってきたからでしょう。こんな気楽な気持ちで入試を受けていいものなのか疑問に思ったりしましたが、入試を終え結果がでた限りでは数々のテストを受けてきたおかげで緊張せず、いつも通りテストを受ける事が出来、合格を手にする事ができたと思いました。

 初めて受験をされる方は、“どんな学習をすればいいのか?”ささいな事でも不安になると思います。不安に思うことがあれば、先生方に自分の不安な気持ちを伝えられたらいいと思います。我が家の場合も諦めていた中学に無事入学する事ができました。先生方に相談する事ができたからだと思います。長い間娘を見守っていただきありがとうございました。

諦めない心が生んだもの

 私たちの体験は、他の方々のものとは随分違っているかもしれません。ですが、こんな綱渡りのような体験でも、これから受験をする方々にお役に立てることがあるかもしれないと思い、筆を執りました。

 ほんの一年半前、私の息子が滝中学校に入学するなんて、予想もしませんでした。私たち夫婦は、国公立の学校と私立の専門学校に一年通ったことがあるくらいで、私立中学の受験など考えたこともありませんでした。東海中学校などの難関校に受かるお子さんは、きっと特別高い遺伝子や頭脳を持っていて、「私たち凡人には無理。」と思っていました。また、地域的にも私立中学までは遠く、裕福なご家庭の優秀なご子息でも公立中学に進学するご家庭がほとんどで、中学受験をするということを奇異の目で見られる方もいらっしゃいました。息子たちは、家の周りの自然を楽しみ、魚や虫を捕まえたり、走り回ったりして毎日暗くなるまで遊んでいました。

 そんな中、五年生の夏休み前、息子は「中学受験がしたい」と言い出しました。どこでどう調べたのか「自分の就きたい職業につくためには高い知識や学歴が必要だから」と言うのです。私立中学のことなど全く知らなかった私は、インターネットで調べてみて、最初は名進研、南山中高女子部出身の名古屋大医学部の学生の方に家庭教師として来てもらいました。その家庭教師さんは優秀な方ですし、一生懸命やってくださったのですが、ライバルがない状態ということで息子は怠けてしまい、宿題もこなしきれないまま次の講義を迎える日々が続きました。これでは到底、早くから受験勉強を始めている方々には追いつけないと判断し、距離は遠いのですが六年生四月から名進研に入会しました。入会テストは、入会ラインギリギリの点数でした。また「今から始めても滝中は無理かも」と言われました。それでも息子はやると言いました。今考えると彼は、その後の道のりやゴールが見えていなかったのかもしれません。

 そこからは勉強漬けの毎日でした。名進研の、成績によって席順も決まるシステムは、前に何人いるかが視覚的によくわかり、息子のスイッチがつき、ようやく本気モードに入ったようです。また、保護者会ではいろいろな情報をいただいたので、名進研という大手の塾に入会させたのは正解だったなと思いました。私は勉強についていけなくなったので、勉強は塾にお任せし、健康管理や宿題を終えたかどうかのチェックをするというスタンスでした。

 ただ、息子はやっていない単元も多々ありましたし、通塾して宿題を終えるだけでも精いっぱいで、成績は芳しくありませんでした。夏期講習で全範囲を総復習すると聞いていたので夏期講習の総仕上げテストに息子の本当の実力が出るだろうと思っていました。

 ところが、総仕上げテストもそれまでと変わらない成績でした。私は、ここで諦めたほうが良いのではないかと散々悩みました。友達や弟と遊びたいのもテレビを観るのもゲームをするのも我慢して、ストレスから弟にあたることもありました。体調を崩し、二週間で二回も高熱を出したこともありました。睡眠時間も、ほうっておくと十一時間も眠るような子です。これから本番に向かってプレッシャーがかかってくるのは目に見えていましたし、この成績で滝中を受けると言うのも恥ずかしいと思いました。私は相談相手もなく、孤独にこの感情と戦っていました。そんな時支えになったのが、BUMP OF CHICKENというバンドの「HAPPY」という曲でした。それにはこんなくだりがあります。『終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる』これは人の生死を歌った歌ですが、その時の状況と重ね合わせ、終わらせて淀んだ生ぬるい自由な時間を過ごすなら、最後まで諦めずに挑んで砕け散る方が、より良くその後を過ごせるのではないかと考え直しました。これを読んでいる皆さんも、支えになる言葉や歌があると強くなれると思います。

 私が考え直した後、九月末のプレ中学入試で偏差値が上がりました。私の心の状態がこんなにも子供に影響するのかと驚きました。声や表情に出していないとこちらが思っていても、子供には伝わってしまうのかもしれません。その後も、子供の状態をチェックしながら、私自身のメンタルケアにも気を使いました。成績が思うようにならないと、親もピリピリしてしまいますよね。でも親がピリピリしたところで悪影響しかないのです。それよりもどうしたら子供が気持ちよく勉強できるのか、どのようにしたらやる気・モチベーションを高められる声かけができるのかをネットで調べ、息子の様子を観察して最適なタイミングで良いアドバイスができるよう努力しました。

 結局、九月のプレ中学入試が最高の偏差値となりました。早くから受験勉強をされている方々の追い上げは私たちに迫ってきて、ものすごく恐怖でした。でも、心を整え強く持ったことは間違いではなかったと思います。なぜなら、成績が落ちても、前向きな言葉をかけたことが息子の努力を維持し支えていく最大の要因だったのではないかと思うからです。「きっと受かる」とか「頑張っているね」など、温かい言葉を多くかけるよう意識していました。また、校舎の先生からは、滝中の入試十日ほど前に手書きで息子に応援のメッセージをくださり、四日前にも電話をくださって、その翌日に時間を割いて息子に滝中対策としてのアドバイスをしてくださいました。先生の努力に大変感謝しています。先生の応援が息子に力をくれたことは間違いありません。

 滝中入試の前夜、就寝直前の布団の中で時事問題を確認していた息子。その同じ所が入試に出たそうです。良い成績でなくても、最後まで諦めなかった心が合格を呼び寄せたのかもしれません。

 終わってみて改めて、「無謀なことをしたな。」と思います。でも、充実した日々でした。神様っていると思います。それほどに、祈ってばかりの毎日でした。前述した曲に『続きを進む恐怖の途中 続きがくれる勇気にも出会う』というくだりもあります。恐怖の中進んできましたが、息子の諦めない心という勇気をみることができました。

 最後に、中学受験はやりたくてもできない人がたくさんいると思います。夫が仕事帰りに塾の迎えに行ってくれたこと、悩みを私に話さなかった母親、プレ中学入試や保護者会に連れ回した下の子、みんなが一丸となって迎えた入試であり、周りの人に感謝することを忘れてはならない、と強く思いました。

 こんな平凡な家庭の私たちでもなんとか乗り越えることができました。皆様ならきっと大丈夫だと思います。皆様のご活躍を心からお祈りしています。

初めての一回きりの受験

 三年間通塾し先生方には大変お世話になりました。娘は祖母の出身校でもある椙山女学園中学校を第一志望としておりましたが、先生方はそんな娘にも平等に対応し、きめ細かに見ていただきましたこと、大変感謝しております。

 四年生から通学しておりましたが、最初は塾の雰囲気に慣れず帰ってくるなり泣きだすこともあって心配しました。徐々にその雰囲気にも慣れ夏休み以降は楽しく通うことができ、それ以降塾をやめたいと本人の口からは一度も出ることはありませんでした。
 なかなか娘の宿題や勉強を見てやることのできなかった私達夫婦で、全て塾におまかせでしたが、最後まで親を頼らず頑張って乗り越えてきたこと、あらためて褒めてあげたいと思うと同時に、先生方には感謝の思いでいっぱいです。

 最後のプレ中学入試では偏差値がガクッと落ち、焦りを覚え大変心配をしましたが、先生方は決して不安を煽るようなことはおっしゃらず、受験本番までには調子が戻ってくるから大丈夫ですよ、とお声かけいただいたことにどれほど心強く感じたことでしょう。
 私達親子にとっては初めての一回きりの受験ですが、毎年たくさんの子供たちをみていらっしゃる先生方の言葉には本当に救われました。
 結果としては受験した三校(金城学院中学校、椙山女学園中学校、聖霊中学校)の合格をいただくことができ、名進研を選んで良かったと実感しております。

 そして、こう思える親御さんがこれからもたくさん出てらっしゃることを願っております。娘はまだまだスタート地点でこれからも勉強は続きますが、名進研で学んだことを糧に頑張ってもらいたいと思っております。三年間、本当にありがとうございました。

名進研 私立中学受験コースJunior high school exam course

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