私立中学受験に至った理由はふたつ。ひとつは学習習慣定着を目的として通わせたのが名進研であった、ということ。自宅から徒歩1分という好立地にあり、かつ古くから学習指導には定評があるイメージの先行する名門進学塾に通わせたのがそもそもの端緒である。数年じわじわと本人の意識が受験に向き「どうせやるなら高みを目指せ」ということになった。もうひとつは(これは肌感覚でしかないが)地元公立校という学びの場への期待感のあり方が受験志向を加速させた。本命校から場慣れ(滑り止めに使うという意識は親には皆無であるが本人の意識は定かではなかった)も含め、結果的に東海・滝・名古屋・愛知の4校を受験することになる。

 初期の目的であった学習習慣の定着を感じられるようになったのは、おそらく六年生中盤ごろからだろうと憶測している。季節毎の講習の単発受講に始まり、本科コース、五年生からは実力テスト、プレ中学入試、志望校別プレ入試、加えて六年生の志望校別特訓講座、夏期冬期と……日を追うごとに取り組むべき量も時間も増えていくのだが、自宅での学習はほぼ本人の自主性に任せてきた。自発的な思考力や表現力を成長させたい思いも強かったが、共働きで放置状態というのが正しい表現のように思う。日々の計算トレーニングは手を抜き、宿題は答えを写し……という状態も見ればわかる。いまさらながら全てのテスト結果を見並べるが、稀に飛び抜ける教科があるもののいたって平凡。小五からの4教科偏差値はおおむね50半ばであり、かろうじて60にのったことがたった1度あったのみである。

 本来やるべき復習や予習がされていないのを発見した時だけは、烈火の如く厳しくあたっていた。できたときに褒めるのは妻の役割であり父親は寡黙を貫く伝統的スタイル……のつもりであったが、より厳しい叱責もまた妻であったような気がする。本人のフラストレーションも相応であり「いやさ」も滲み出ている。感情の表出対内包、気持ちはよくわかるが親子バトルもいい加減飽きてくる。

 六年生中盤、おそらく夏期講習からであろうか雰囲気が変わる。受講教室が自宅から少し離れた教室になり、早朝から公共交通機関を使って独り通うことになった。帰路も基本的に迎えにはいかない。ちょうど良いバスの時間まで自習室を使え、という暗黙のメッセージである。このせいかわからないが、講習以後は自ら自習室に行くようにもなった。もうひとつ、他教室所属生の存在も刺激になったのだろうと感じる。本人にはどう映っていたかわからないが、仲間やライバルの存在が良い影響をもたらしたと思う。この頃からはストレス発散も含めて本人のやることはほとんど見て見ぬふりをした。ゲームをしていたことだって知っていたし、なんならやりたければやればいいと言い放っていた。1時間を超えるような長風呂もほぼ毎日で「女子か……」と心の中で呟きつつ健康を害さない程度に好きにさせていた。

 どうせ行くなら東海でしょ、と本人の口から飛び出したのもまた六年生になってからのことであった。

 親としてできることはなにか……仕事とのバランスが難しいケースが多々ありながらも、他校舎や模試会場への送迎と本人の性格を考慮し先生方とのコミュニケーションの仲介をメインに据えた。

 ◯◯先生と合わない、▲▲先生が急遽辞めてしまう……など多々アクシデントにも見舞われるのだが、親と子の勝手な言い分に先生方には随分とお付き合いいただいた。「必ず東海に入れる」とまで言っていただいた。自宅で「残念なことになるかもしれないなぁ……」と我が子とニヤつきながら話していたことをこの場で白状し、熱意とコミュニケーションのネタを提供いただいたことに謹んでお礼申し上げたい。

 行くと言いつつもいまいち身の入らない日々を過ごしながら、初回の東海プレで国語の点数に皆が驚き、そこそこの得点を叩き出す。ここでまた本人のスイッチがなんとなく押されたように思っていたが、結局のところ驚愕の数字を見ることは二度となく最後まで停滞し、合格判定は東海も微妙以下のラインに居座り続けた。後日談ではあるが本人いわく、本気モードのスイッチが入れられたのは六年生十二月とのことである。

 愛知には特待、名古屋にはスカラーで合格。というのが本人の目論見であったようだが、もろくも崩れ去り一般合格を得た。親としては、そこそこの努力でそれは流石に無理だろうと当初から悟っていたところではあるが、当人はそれなりに気にしていた。特にこれまで割と得点を稼げていた算数で得点が伸びず本命校に向けては不安が残る結果であったため、たまらず教室長はじめ先生方に相談したものである。本人だけでなく親まで激励していただくことになる。先生方、本人、保護者、さらに言えば父、母のそれぞれの役割分担のようなものが形成されてくるとコミュニケーションもスムーズである。自身の体験としてはここに一番時間を要したように思う。

 東海の本番はこれまでの「プレ」よりも難度が高く、滝は低かったという感覚を本人はもっていた。それぞれの受験教室では、ほかの生徒が発する大きめの物音と教室内に漂う香り(東海のみ)にいささか苦しんだようである。それでも、いずれもそれなりにできた感触を覚えていたようである。本人が「割とできた」という時に限って、そのとおり良い結果をおさめた記憶はないのだが……。

 東海中の合格発表は追加に期待する結果となった。その日の夜、翌日に控えた滝中の発表を待つことなく今後の進路選択を巡って教室長の時間を割いていただき緊急の面談をもった。本人の心は折れかかった状態である。しかし親としては現実と向き合うほかなく、コストと見えない未来を天秤にかけざるを得ない。すでに公立進学も視野に入っている。各校の合格発表や追加連絡、入学金納付手続きの日程を考えると実にタイトであるばかりか、十二歳の決断としてはなかなかに重い。1秒でも早いほうがよかった。明確な結論に至らない中、どストレート発言にさぞ困惑されたことだろう。

 二月八日(水)10時1分
 すべてが杞憂に終わる。強行日程の中で気持ちを奮い立たせて受けた滝中、まさかの合格。職場のデスクで声がでた。隣にいた同僚とともに(ご子息も滝中卒業生であった)。これまでの成績、滝プレ模試の△(合格率20%未満)判定……一瞬の爆発力に賭けていたところは正直ある。努力が結実した瞬間であった。

 思い返せば、こんな出来事があった。

 滝プレ模試の日、自身が江南駅まで同行し学校行きのバスを見送る。自分の時間潰し場所を探そうと駅前を散策しながら、ふと「なんだか、ここをまた一緒に歩く気がする。滝だな。」と逆デジャブのような感覚に包まれた。これは本人にも妻にも話していた。言霊なのか縁なのか、非科学的ではあるが現実の学習とともに「想い」もまた、希望実現のためには重要なのかもしれない。ちなみに、受験会場であった愛知大学車道キャンパスでは、そんな感覚には一切ならなかったからまた不思議である。

 笑い話のように「これで追加連絡でもきたら……」と話してみたが、そんな見え透いた「想い」にはなにも共鳴しなかったようである。