名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

難関校受験をサポートした父の体験談 ~息子と苦楽を共にした三年~

この度、愛光、ラ・サール、東海、滝と受験校全てに合格をいただきましたが、決して順調な日々ではありませんでした。私もこの合格体験記を大変参考にさせていただきましたので、少しでも皆様の参考になればと振り返ってみたいと思います。

名進研を選んだ理由は、東海圏の受験に実績があることに加え、東海・南女・滝の合格保証をうたったSクラスが新規設定されたことでした。受験をするならぜひ地元の雄である東海中学を目指して、というのが親の希望でしたので、もしSクラスに入れるならこれほど頼もしい環境はないと感じました。

習い事はサッカー・野球・水泳・空手・英語・ピアノとたくさんやっていましたが、勉強と言えば「チャレンジ」をやっているくらいでした。そしてこれら習い事をどう整理していくかは、日々様子を見ながらというような感じで、四年生から名進研に入りましたが、入会時はSクラスの認定には届かずJSクラスでスタートしました。すぐに友達もでき、先生方の授業もおもしろく、楽しんで通塾していました。漢字テストで100点を取ることや、実力テスト毎に変わる席順で、一つでも上に行くことをモチベーションに頑張っていました。また、テスト成績優秀者として名前が掲載されることも、息子のモチベーションとなり、悪くても百番以内を目標としていました。もちろん百番を下回り名前が掲載されなかったこともあり、その時は発狂していましたが、後期からSクラスの認定をいただきました。

私の期待通り、Sクラスは息子にとってさらにモチベーションを上げる環境でした。少人数制であるため先生との距離も近く、優秀なクラスメイトと切磋琢磨でき、何よりも一度いただいた認定を手放したくない、という気持ちを持っていたのが良かったと思います。成績のアップダウンはありましたが、最後までSクラスの環境で勉強させていただいたことは、息子にとって大きな自信・プライドになったかと思います。五年生、六年生共おおむね五十番以内、偏差値も60台半ば~後半といったところでした。

ここまで述べた限りではやはり順調だったと思われるでしょうが、私なりの気苦労も述べたいと思います。

【四年生】
まず、たくさんの習い事をどう整理していくかでした。サッカー・野球は高学年になると休日に試合が組まれ、かぶってしまうことが多くなり、息子の意志でサッカーを選びました。このサッカーも平日一日の通常スクールと土日のクラブチームでの練習・試合があり、勉強時間の確保が大変でした。しかし一番楽しんでいた習い事でしたので、息抜きになるならばとクラブチームは五年冬まで、スクールは六年夏まで続けました。水泳は級の区切りのいいところで四年秋に辞めました。空手・英語・ピアノはあまり本意で習っていたわけではなかったので、空手・英語は四年生いっぱいで辞めました。ピアノは親子共なかなか辞める決断ができず、六年春まで細々と続けました。親としては送り迎え、子供にとっては勉強と習い事の両立に忙殺された四年生でした。

【五年生】
五年生はだいぶ習い事が整理されましたが、宿題を含めこなさなければならない量も増えた上に難度も上がるため、時間に追われる感は変わらなかったかと思います。サッカーで土日がつぶれることも多く(テストは優先しました)、合宿で夏期・冬期講習は断念しました。また、ピアノを続ける限りは練習時間も必要となってきますので、思い通りに勉強が進まない時期はこれがストレスになりました。また、東海中学を目指して受験勉強を開始したはずが、四年生途中から関西の難関校を第一志望として口にするようになり、その想いがどんどん強くなっていったため、それなら他塾の方がいいのではと転塾も検討し、地に足がつかない時期もありました(結局、途中で転塾するよりも名進研を信じるという結論になりました)。国語の成績は不安定で、偏差値
70近く取ることもあれば50くらいに落ち込むこともありました。やみくもに問題をこなしてできる教科でもなく、何度も先生に相談しました。

【六年生】
六年生はテスト範囲も無くなり、いよいよ実力が試されます。五年生までの実力テストは範囲があるので、ある程度出そうな内容をサポートしてやり、それをこなしてくれれば大丈夫という親の安心感があっただけに、一回目のプレ中はどうなるのか不安でした。しかし五年生までと変わらない結果に、今までやってきたことは間違いじゃなかったと思うと同時に、このまま息子と名進研を信じて私はプリント整理などサポートに徹しようと決意しました(五年生途中まではいつも息子の横で勉強をチェックしていました)。
いよいよ勝負の夏という意気込みで夏期講習期間に入りましたが、想像以上に日々の課題が多く、息子はこなしていくことができませんでした。通い慣れた校舎・先生と離れたことも大きかったのかもしれません。親から見て、完全にペースを見失っていました。私も先生方と連絡を取りながら、優先順位をつけてやれるようにサポートしました。気合いが空回りとなった感のある夏でしたが、毎日過酷だったかと思います。講習が終わったら自分の校舎の自習室へ行き、最後まで駆け抜けただけでも立派なことだったと今では思います。
東海に限って言うと、息子の名進研の実力テストやプレ中の成績からすれば合格は大いに希望を持って良かったかと思います。しかしサピックスオープンでは偏差値50を上回ることは一度もなく、ただ名進研のテストと相性がいいだけなのではという思いが最後まで払拭できませんでした。案の定、六年秋に受けた志望校別プレや他塾模試での判定は50%未満というような結果でした。特に算数は過去問でも志望校別プレでも30~40点でした。プレ中では偏差値65前後の点数を取っているので、先生からは決して算数は苦手じゃないとおっしゃっていただいていましたが、算数の難度が高いと言われる東海中学へは苦手意識を持ったまま入試に挑むことになりました。

【受験校】
秋まで関西の難関校と迷っていた第一志望は東海、それの併願校として愛光、ラ・サールを選びました。将来医学部を目指したいという理由から、もし東海がだめでも納得して入学できる学校選びをしました。また、両校共癖のない標準的な問題傾向であることを知り、過去問演習による学習効果は高いと判断しました。愛光の入試が年明け早々にあるため、正月特訓には参加せずその間は愛光対策に当てました。ラ・サールの入試は名古屋中学と同日であるため、愛光の結果次第でどちらを受けるか決めることにしました。ラ・サールはチャレンジ校に位置するため、もし合格できれば東海に向けて大きな弾みになるかと思い出願しました(息子は合格する自信がない上にわざわざ鹿児島まで行くのを渋っていましたが)。
夏期講習期間の空回りがあったので、冬休み期間の過ごし方には慎重になりました。正月特訓に参加しなかったのもそれが理由でした(クラスで参加しなかったのは息子だけだったようです)。しかし、この期間に腰を据えてしっかり愛光対策をすることができ、自信を持って挑むことができました。一月中旬から学校も休み、ラ・サール対策に当てました。過去問を六年分解きましたが、意外と合格点に達することがわかると、こちらも自信を持って挑むことができました。ラ・サールを併願校としたのは、仮想東海という位置付けでもありました。東海と同等レベルの受験層が全国から集まること、やはり算数がポイントになること、その割に算数は東海のような難問ばかりではないので、息子でも勝負ができるのではないかと考えました。
愛光、ラ・サール共に受かる自信を持って挑めたこと、試験が終わって晴れ晴れとした表情で「力は出し切れた。これで落ちたら仕方ない。」と言い切ってくれたので、併願校として選んで良かったと思いました。難関校である両校の合格は東海に向けて大きな自信と弾みになったと思います。息子との二人旅も良い思い出です。

参考までに、私から見た息子の各教科傾向や家族の関わり方を述べておこうと思います。
【国語】 先ほども述べた通り、六年秋まで上昇・下降の激しい科目でした。漢字や言語事項はまずまずできていたかと思います。
読解スピードが遅く最後まで解ききれない、物語文に入り込み自分なりの解釈をしてしまう、記述が苦手などが原因でした。これらを先生と共有させていただき、個別補習で徹底的に御指導いただきました。冬の演習授業の頃には安定した得点を取れるようになってきたのを見て、国語で大コケはしないかな、男子校ならむしろプラス教科になるかな、という算段がついたのが大きく、気持ち的にも楽になりました。

【算数】 これも先ほど述べた通り、標準レベルでは戦える力があったかと思いますが、東海レベルの算数を戦うとなると力不足と言わざるを得ませんでした。ここは欲を出さず、直前は計算・小問、標準的な文章題は丁寧に確実に解くことを心掛けさせました。東海はもちろんラ・サールも難解な図形問題が出ますが、解けたらラッキーな気持ちで問題を一見して難しそうであれば捨てて、他に時間を使うようアドバイスしました。十二月に先生から、「平均点が高くなれば戦えるのでこっちのもの、低ければ皆できないから差をつけられないのでこっちのもの。」とおっしゃっていただきましたが、最後はこの言葉が気持ちを楽にさせてくれました。ちなみに、東海の算数は八問空欄になったと言って出てきました……(笑)。

【社会】 得点源ではないかもしれませんが、一番安定していました。習い事の行き来の車内時間を有効活用しようと歴史のDVDをよく見ていました。名進研からの補助プリントも充実しており、それらを着実にこなしていくというような勉強法でした。私としては直前期に詰め込むイメージを持っていましたが、直前期に他の科目に時間を費やせたことは大きかったかと思います。

【理科】 隠れ苦手科目でした。実力テスト・プレ中で総合偏差値60台後半でも理科は60前後で、得点源になることはありませんでした。先生に相談しても特に苦手分野はなさそうとのことでしたが、何度か個別補習をしていただきました。そこで判明したのがスピードが遅いことでした。そのため、計算問題や読解が必要な文章題を慌てて解いて間違う、という傾向にあったかと思います。私からは試験開始時に時間配分の目安を付けること、算数同様一見難しそうな問題は後回しにすることをアドバイスしました。

【家族】
うちは息子の下に妹・弟がいます。弟はまだ年少ですが、兄が勉強を頑張っていることや邪魔をしてはいけないことは何となく理解していたかと思います。遊び盛りの時期にも関わらず、この一年はあまり楽しくなかったかと思います。毎日遅くまでホームルームに預け、時には祖父母の家で寝泊まりし、小さいながらも協力してくれました。たくさん寂しい思いをさせました。妹は三年生ですが、やはり家族で出かける時間がなく寂しい思いをさせたかと思います。しかし、状況をちゃんと理解してくれ、弟の世話を率先してやってくれたり、自分の習い事は一人で行き来してくれたり、受験直前にはお守りを手作りしてくれたり、一番の理解者であり応援者であったかと思います。
妻は細かいところによく目が行き届くので、漢字の誤字・汚字をチェックしたり、社会で記憶の怪しい知識の整理(家のトイレや洗面所に貼ったり、ノートにまとめたり)やよくわからない時事問題をユーチューブで調べてくれたりしました。なんといっても毎日のお弁当は息子の大きな支えとなりました。自習室を愛用していた息子がそこでめいっぱい時間を過ごせるように、自習室が使える日は毎日お弁当を作っていました。昼夜二回お弁当を届けることも多々あり、本当に頭が下がります。

息子の受験を終えた上での私見ですが、中学受験はやはり親子の受験だと思います。どこまで介入するかはそれぞれだと思いますが、まだ十二歳の小学生の受験ですので親のサポートがあればあるほどそれが反映されるかと思います。勉強面は名進研の先生方にお任せしましたが、子供の特徴・傾向(よくやるミスや苦手な単元など)の把握や体調管理は親が一番効率的にしてやれるかと思います。ぜひ受験を親子のいい時間にしていただければと思います。きっといい思い出になるかと思います。

最後になりますが、息子に手厚く寄り添っていただいた本山校の先生方や別校舎で御指導いただきました先生方、仲良くしてくれたクラスメイトの皆さん、本当にありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。息子は第二の学校のように楽しんで三年間通塾することができました。しんどい時もあったと思いますが、親から見ても本当に通塾を楽しんでいました。同じ中学に進学するお友達もいますが、もう会うこともないお友達もいるかもしれません。しかし、皆さんとの時間があったからこそ乗り切れた三年間だと思います。息子には皆さんのことをいつまでも忘れないでいてほしいと思います。

名進研に通わせて良かった

我が家の受験は、息子の「学校の勉強は面白くない」の一言から始まりました。親としては、学校生活や習い事を通して、自分の好きなことを見つけて欲しいと強く思っていた時期でもあったので、「これはまずい‼」と思いました。学校の授業は息子にとって簡単でわくわくがなかったようです。その時息子は三年生。名進研のピラミッド倶楽部のパズル道場には通わせていただいており、そのご縁もあって、練成教室の説明会に参加しました。我が家は中学受験のことは全く考えておらず、場違いなところに来てしまったというのがその時の本音でした。ただ、中学受験するかしないかはさておいて、先生方の熱意から息子が勉強に取り組む環境づくりを親として用意してあげられるのではないかと思いました。そして勉強に対する息子のわくわくにかけてみようと三年生の二月から入会しました。

ただ、塾の授業についていけるのだろうかという不安もありました。しかし、そんな心配もすぐに吹き飛びました。息子は「授業は楽しい‼」「みんなの意見すごい‼」と名進研に通うのがとても楽しそうでした。そして最後まで塾の宿題やテストに向けての勉強のスケジュールも私達の力を一切借りることなく、自分の力でやり通しました。他の習い事も自分でここまではやると決め、六年生の十月までパズル道場に通いました。六年後期からは宿題の量も過去問題の取り組みもあり、通塾の日は12時を過ぎることもありましたが、弱音を吐くことはありませんでした。「絶対東海中学に入学したい」という強い気持ちが頑張りに繋がったと思います。中学受験を通して、強く、たくましく成長した息子を我が子ながら誇りに思います。

息子は四月から東海中学に通わせていただきます。自分が行きたい学校で自分がやりたいことを思いっきり楽しんでほしいと思います。

名進研本山校の先生方には本当にお世話になりました。先生方、そして同じクラスで頑張ったお友達と過ごした時間は、息子にとって宝物です。名進研に通わせて本当に良かったです。ありがとうございました。

一緒に合格するんだ 

東海中学、名古屋中学、愛知中学の三校を合格した息子の母です。

名進研は四年生から速読、五年生から中学受験コースにお世話になりました。問題を解くうえで、文章を早く読めるということは利点に感じ、塾に通う練習も兼ねて速読に通わせました。この時点では中学受験をぼんやりと考えていて、どこかの私立中学に入学できればいいな、と家族で話していました。

五年生で入会し、三、四年生から入会している子との差を感じましたが、名進研の授業のおもしろさにグイグイ引き込まれ、勉強をしに行くというよりも、先生の漫談を聞きに行っているようでした。特に社会は、帰りの車中で授業内容をドラマのように説明してくれました。

入会するまでは、スイミング、サッカー、ラグビー、ピアノ、英会話と、毎日が習い事の日々で、時間の都合がつかなくなる時点でやめました。入会の際、特にスポーツ系はすぐにやめてほしいと言われましたが、できる限りやりたいという息子の気持ちを優先させました。ピアノ、ラグビーは最後までやめず、入試直前になってお休み状態にしたのが、受験に気持ちを切りかえることができたのかもしれません。

六年生になり、志望校を意識しだしてからは、入会当初の目標、名古屋中学が東海中学に変わっていました。クラスのメンバーがほぼ変わらずで、楽しく勉強し、他の校舎へ電車で遠足のように通えたことも、一緒に合格するんだ、と力になったと思います。

宿題が多いなか、好きな算数はすぐに取り掛かれていましたが、国語となると苦手意識が出て後回しになり悪循環になっていました。しかし、国語の先生の熱意に心を動かされてからは、真剣に国語と向き合い、解きなおしを真剣にやっていました。また、毎日、通塾の車中での語彙力の勉強を続け、コツコツとやったことが、入試直前で結果として出始めていました。

宿題が多く、辛い時期もありましたが、先生、お友達に恵まれ、楽しく勉強できたことが合格につながったと確信しています。

この場をお借りし、本部の方も含め先生方、一緒にがんばったお友達に感謝申し上げます。

受験をするのか、させられるのか

「受験してみようかなと思う。」
「受験させることにした。」

ある日、息子と夫からそう告げられた。休日に父子二人で入塾テストを受けてまわっていたのは知っていたが、知らぬふりをしていた。じっと座ることが苦手で、先生の話も真面目に聞けない、宿題もそこそこにゲームばかりしているような息子である。中学受験だなんて埒外もいいところだ。

そんな私の思惑に反して、息子は名進研に通い続け、気が付けば受験の山場ともいえる六年生の夏を終えていた。とはいえ、息子の態度は相変わらずで、塾の授業中に居眠りをし、宿題の提出はしない、勉強したと嘘をついてゲームをする、分からない問題を誤魔化す、先生に質問をしない等々、とてもトップ校を志望している受験生の態度ではなかった。であるからして当然、成績の方も芳しくなく、プレ中での偏差値は52~56の間を行ったり来たりという有り様。勉強態度への苦言は元より、志望校の変更すら、本人と話し合いたくても、プチ反抗期のせいか、うるさいと吐き捨てるか、全くのだんまりであった。

そんな状況であったため、十一月の東海プレはそもそも受けもせず、一応受けさせた滝中プレの結果はもちろん散々。平均点にも届かず、合格判定は20%未満。いよいよ全落ちも覚悟しておかねばと思い始めた。

息子の態度が急に変わったのは年明けだっただろうか。突然「東海中を受けたい。」と言ってきたのだ。息子から強くはっきりと希望を伝えられたのは初めてのことだったので、ひどく驚いてしまった。慌てて塾の先生に連絡を取り、学校の先生に調査書を依頼し、願書の準備をした。受験日まで残り一ヵ月。息子は何かに取りつかれたかのように勉強をしだし、毎日夜遅くまで塾で自習をしてくるようになった。どこかで「一度火が付くとすごい力を発揮する子もいる」という言葉を耳にしたことがあったが、まさにその通りで、目を疑うばかりの変貌ぶりであった。

その勢いをおとろえさせぬまま本番に突入。幸い、どの試験日も体調は良好。無事に愛工大名電中、名古屋中ともに合格できたので、当初予定していた南山男子ではなく東海中を受験できることに。しかし、結果は東海中、滝中ともに不合格。今まで聞いたことのないような声で泣きわめく息子の姿は、今思い出しても胸が痛む。

泣くだけ泣いた息子は、中学の勉強を始めた。以前の息子ではとてもじゃないが考えられない。自ら机に向かう姿を頼もしく思った。そんな姿を神様は見ていてくれたのだろうか、数日後に東海中から一本の電話が。そう、繰り上げ合格の知らせだった。
名進研の先生からは「大逆転ですね‼」と喜んでいただいた。本当に大逆転だ。受験校リストから外されていたのをひっくり返し、不合格をひっくり返し、まさに大大逆転だ。ギリギリではあったけれど、最後には自分自身で「東海中を受験したい」と心から思えたことが、一番の力になったのだと思う。入学してからがまた大変だとは思うが、今の息子ならきっと大丈夫だろう。自分の心に火をつけるものと、これからたくさん出会っていってほしい。その度に大きく成長していけるにちがいないから。

最後になりましたが、親も半ば諦めの気持ちで一杯だったなか、最後まで息子を鼓舞し、導いて下さった先生方、本当にありがとうございました。

共に学び、歩んだ二年四ヶ月

本日、全ての受験の結果が出揃い長かった親子の中学受験が終了致しました。結果は、見事希望校への合格を手に入れました。息子よ、本当に合格おめでとう。そして、お疲れ様でした。妻よ、息子を支えてくれてありがとう。そしてお疲れ様でした。

私は元々、中学受験には関心がなく、公立中学校へ進むものだと考えていました。もちろん私も中学受験の経験はありません。きっかけは、テレビのCMでやっていた、全国統一小学生テストだと思います。妻が息子に「受けてみたら?」と何気ない会話から始まりました。そこそこテストの成績は良く、偏差値は55ぐらいでした。「塾へ行ってみる?」と妻に促され、自分で体験学習に行きました。他塾にも足を運びましたが、本人はあまり乗り気ではなく、二、三校体験学習に行った結果、今の校舎へお世話になることになりました。これが我が家の中学受験のスタートです。

私は先に話した通り中学受験の経験がありません。手さぐりで資料を集め、受験生の親の心得とは何ぞやと思い書店でいくつもの本を買って読み漁りました。息子も私も勉強しながら中学受験へ向かっていきました。四年生の秋頃に入会した息子は周りから見ると遅い入塾でしたが、喰らい付きながらJSの位置をキープしていました。六年生の中盤あたりから、JAとJSクラスを行ったり来たりし、なかなか成績が安定しない時期がありました。本人もストレスを感じており妻とぶつかることも多々ありました。しかしながら息子は一度も塾を辞めたいと言ったことはなく、通い続けました。

受験も差し迫った最後のプレ中では国語の点数が23点。これにはさすがに私の心は折れかけました。慌てて名進研の先生に連絡を取り、対策を考えていただきました。冬期講習も始まる中、国語の先生が話して下さったのは圧倒的に知識不足。基礎が足りないとの言葉でした。ここへきて基礎が足りないとは、絶望的だなと。そこから国語の特訓が始まりました。おそらくかなりの勉強量を課せられたと思います。それでも息子はこなしていきました。冬期講習も正月特訓も難関校のコースから有名校へシフトしました。基礎に立ち返る為に変更しました。その結果、希望校の入試テストの国語の点数は83点。見事としか言いようがありませんでした。塾の先生も作戦が成功したと喜んでいただきました。息子にはあの時、プライドを捨ててコース変更してよかったねと称え合いました。来春からの中学生活はきっと楽しい事と思います。たくさん学び、中学生活を謳歌して下さい。この努力はこれからの人生で躓くことがあっても必ず乗り越えられると父は信じています。

※最後に、八事校の教室長をはじめ、各教科の先生方、本当にありがとうございました。私自身も受験を通じて貴重な体験ができました。

どんな小さなことでも先生に質問

娘はこの春、第一志望の南山中学校女子部に入学することができました。合格できたのはSクラス(名進研注:現在のαクラス)の先生方のお蔭です。

コロナ前の小二で、南女の文化祭に行き、この学校に行きたいと娘が言ったことがきっかけで、小三の時にピグマクラスを習い事の一つとして受講し始めると塾が楽しいと言って、このまま塾を続けようと思った時、通っている校舎にSクラスが開講されました。娘がSクラスについていけるのか、宿題はこなせるのか、今後もSクラスで継続できるのか、不安なことばかりでした。普段の娘は20時に就寝していましたので、塾が終ってから宿題もこなせなくて、四年生の前半は翌日の朝と夜に宿題をこなしていました。四年生の時は主人と私で、宿題を見ていました。算数で分からないことがあると何度も同じ問題を解かせたりしていましたが、親子共にイライラしてしまいます。親が教えることの難しさを感じていた時、先生は娘の授業の様子がいつもと違うことを感じ、私に電話をくださいました。その時「まだ四年生なので長い目で見てあげて下さい。」と言って下さり、「冬休みはゆっくりして下さい。」と声を掛けていただき、娘も休んでいいという言葉を聞いて、気持ちが楽になったのか冬期講習中もちゃんと宿題をこなして、お正月はゆっくりしました。いつも、名進研の先生方は無理をさせるのではなく、娘の様子や性格を考えてその時々の指導をしてくださいました。六年生の大変な時期は「発破をかけるのは塾でかけるので、家ではしなくても大丈夫ですよ。」とも言われ、親の精神的な部分も楽になりました。

私がしたことは、四年生から授業の漢字テストの為にテキストを二回、書き写して、漢字の勉強をしました。苦手な漢字もこつこつと進めることで、六年生の後期には漢字の苦手意識はなくなっていたと思います。娘は四、五年生の時、一週間ぐらい速読をしました。もともと、本を読む習慣のなかった娘は、速く本が読めるようになったこともあり、普段から本を読むことが好きになりました。算数は塾のある日は、宿題で分からないところを授業前に先生に質問してから、授業を受けていましたし、他の教科もどんな小さなことでも先生に質問をしていました。四年生の時は恥ずかしくて質問できなかったのに、六年生の時はほぼ毎回質問しているぐらいでした。

名進研の先生方は、どんな時でも相談できる、頼りになるなる先生方です。ぜひ、相談してみて下さい。少しでも明るくなれるアドバイスをいただけると思います。

最後になりますが、受験日の体調が一番大切なので、その日までの努力が全て出せるよう、健康にはお気を付け下さい。

見つけた!!第一志望校

小学三年生の二月、息子の中学受験が始まりました。私が公立の中学校に通わせたくない気持ちだけで始めた為、友達と遊ぶこともできずに夜遅くまで塾に通わせる選択が本当に正しいのか悩む日々でした。子供が勉強に集中できず親子喧嘩をする度に、名進研の先生方に相談し、何度も三者面談をして息子のやる気を引き出していただきました。

名進研に入会した時から、漠然と東海中学と滝中学を第一志望にして塾に通っていましたが、六年生になり志望校調査が始まった時に、東海中学と滝中学以外に行きたい学校が見つからず、とても悩みました。先生からも「受験校は四~五校が基本です」とお聞きしていたので、もし東海・滝が不合格となってしまったら、どの中学に進学するか決めかねておりました。

夏休みも終盤となった頃、プレ中の結果を見ていた主人が、学校別の合格判定の右端に書かれていた「西大和学園中学」の名前を見つけて調べたことがきっかけとなり、息子の志望校がガラっと変わりました。

それまで東海地区の学校しか頭になかった私たちは、忘れ物が多く、自分で起きることもできない息子を他県の学校、しかも寮の学校に通わせるなんて考えもしませんでした。しかし、主人の一言がきっかけとなり、息子は西大和に興味を持ち、六年生の秋(十月半ば)に初めて学校説明会に参加する為、西大和学園を訪れました。そこで熱心に学校を語る学園長先生の話に心を動かされ、平日の開催だった為、生徒の生き生きとする姿を目の当たりにした私と息子は、西大和学園を第一志望校に決めました。

本当に行きたい学校を見つけた息子は、自ら「自習室で勉強したい‼」と言い出し、毎日夜遅くまで勉強していました。そして迎えた一月、東海、岡山、沖縄、本校と四会場受験に挑み、二つ目の岡山受験で合格をいただくことができました。

中学受験を終えて思うことは、子供が本当に行きたい学校を見つけることができれば、「その目標に向かって子供は頑張れる‼」ということです。そっと見守ることしかできませんでしたが、受験当日の息子のたくましい姿は胸をこみあげるものがありました。

子供に中学受験をさせるべきか悩まれている方もいらっしゃると思いますが、何かに悩まれた時は名進研の先生に相談されることが一番だと思います。親身に話を聞き、解決法を導いてくださった先生方には本当に感謝しかありません。悩み続けた三年間でしたが、中学入学を前にとても楽しみにしている息子の姿を見ると、中学受験して良かったと思います。三年間お世話になりました。ありがとうございました。

父親の伴走~父親の狂気と恐怖~

まずは、この場をお借りして、名進研一宮校の先生方、本当に有難うございました。モンスターペアレントと呼ばれてもおかしくない保護者(名進研の先生からは熱いお父様とやんわりな表現でした(笑))だったと思いますが、誠心誠意対応していただき感謝しても仕切れない気持ちで一杯です。

では、本題です。我が家の場合、主に受験の併走は、私(父親)でした。五年生の時、いろいろな学校見学に行きましたが、その中でも札幌にある北嶺中学を見学した際、珍しくシャイな息子が「北嶺中学に行きたい」とハッキリと意志表示。そこから我が家は『東海、滝を蹴って、北嶺へ』を合言葉に、五年生秋より本気で受験モードに突入(三年前の長女の中学受験経験から、五年生後期からが本番という認識)。

もし、この文を読んでいる保護者の方へ

「子供を褒めて伸ばす」や「子供の自主性を重んじる」という方針の方は、これより先は読まないように、お願いします。我が家の教育方針は、中学受験に成功したいなら「やるか、やらないか」じゃなくて「やるか、やるか」だ‼です。最後の最後まで、体育会系方式で、タイトル通り、私による狂気と恐怖に満ちた努力と根性によるスポ根顔負けの中学受験でした。
・叱責に近い叱咤の日々
・アメではなく、ほぼ子供に対してムチばかりの日々
・いつになったら自主的に勉強してくれるんだ?と悶々とした日々
・子供の受験方針をめぐって夫婦喧嘩の日々(父親が併走の場合は、母親がオアシスになってあげて下さい)
・息子のやる気スイッチはどこにあるんだと試行錯誤した日々
・ケアレスミスがいつになったら無くなるのかと我が子の学習能力を疑った日々
・何回も中学受験を止めた方がいいのでは?と悩んだ日々
・そもそも我が子は中学受験に向かないのでは?と後悔の日々
・子供を教育虐待しているのでは?と自問自答する日々

私も苦しかったですが、それ以上に子供にとっても辛い日々だったと思います。ただ、どれだけ私に辛辣な言葉を言われようが、息子の北嶺に行きたい‼という気持ちも最後まで変わりませんでした。

そして、月日があっという間に過ぎて、ヤル気スイッチは見つからないまま中学受験シーズン直前の冬休みに突入(プレ中では、全て東海・滝の合格判定は20%未満)。

そして、恐れていたことが現実に……

最初に受けた海陽(特別給付ではなく入試Ⅰ)が不合格、さらに十二月最後のプレ中模試偏差値50ちょい。息子は不合格で泣いてましたが、私のメンタルも崩壊寸前でした。ですが、泣く暇があったら、努力するしかない‼と僅かな可能性を信じて息子を鼓舞し、北嶺入試日まで毎日が「背水の陣」で、机に向かわせる勉強の日々でした。

やったことは、最後まで治らなかったケアレスミスを少しでも減らすように試行錯誤し、再度過去問の間違えた問題のみ解き直し(ただし難易度高い問題は捨て問)に集中、冬期講習の直しもしっかりやらせました。

また、一月上旬の本命校の北嶺中学に関しては、教科ごとに時間配分や注意点を細かく指示して、挑ませました。親としてやれる限りはやったと。本人にもこれだけやったんだから自信を持って戦ってこいと。

その三日後の合格発表(長い三日でした)
三人で祈るようにパソコンの画面をクリック‼
なんと合格の文字が‼妻号泣、本人はほっとした感じ、私は心の中でガッツポーズをしつつ泣いてはいけないと思い、一言だけ「よかったな」と伝えました。

悲観的な私は、万が一、札幌まで行かせられない状況があってもいけないので、喜ぶのは一日だけにして、東海・滝に向けて、中学受験息子に再度闘魂注入‼(ビンタはしてませんよ)過去問の相性と本人の地元の第一志望である滝を中心に猛特訓(理算は過去問十五年分やりました)させました。

そして東海・滝を受験。何と本人からは二校とも手応えがあるとのこと……
期待してはいけないと思いつつ、結果は……
東海…不合格。うん、やっぱり世の中そんな甘くないよな~。また脳裏に十二月の悪夢が……
翌日の滝…不合格だと思い込むようにして、クリックすると何とピンク色の画面に合格の文字が‼
全てをやり尽くした私もとうとう涙腺崩壊の号泣。妻が「よかったね本当に良かったね」と息子に伝えたら、シャイな息子はハニカミ少し泣きながら一言「うん」と。
そして、私は息子を抱きしめながら「厳しいことばかり言う最低最悪な父親だったけど、本当に最後まで頑張ってくれて有難う」と伝えたら、大きく「うん」と。

最後に、結果はどうあれ(三年前に長女で二月の敗者を経験済み)、想像を絶するプレッシャーの中、一生涯に一度しかない中学受験を頑張った勇者たちをどうか最後は思いっ切り褒めてあげてください。

もうこれで、名進研に通わせることはないのかと思うと寂しい気持ちにもなりますが、ここで努力したことは、子供達にとって間違いなくかけがえのない財産になったと思います。

子供達二人を名進研に通わせて本当によかったと思います。

受験を通して

我が子が受験を決めたのは、五年生の二月頃でした。姉も中学受験で、名進研にお世話になりました。姉は二年間勉強し、自分の力で合格を勝ち取りました。二年でも足りないかもしれないと思ったのに、妹の娘は一年。本当に時間との戦いだと思いました。親は焦っているのに、娘はのんびりのんびり。毎日私は苛々していました。

初めてのプレ中。点数を見て、びっくりしました。算数0点。プレ中までに少しは勉強しているはずなのに、本当に信じられない点数でした。ほかの教科も散々な点数でした。本当に受かることができるのだろうか、受験を諦めた方が良いのだろうかと葛藤する日々でした。

夏休みになり、夏期講習に参加。少しずつ娘の言動に変化が見られました。「今日ね、これ習った。」とか、少しずつインプットされたことを話してくれる様になりました。姉とは違うけれども、娘なりに努力しているのだと。テストの点は少しですが、上がりました。先生方と娘の頑張りの成果だと思います。

中々思うように点数が上がらないまま、受験となりました。第一志望校は、聖霊中学校。もしここが駄目なら、厳しい受験になることは間違いない状況でした。数日後、郵送で結果が届きました。そこには『合格』の文字がありました。自分でも驚く程、「よしっ‼」と大きな声をあげました。

一年間という短い間で、本当によく頑張ったと思います。中々点数が上がらず、先生方には迷惑を掛けてしまいました。でも本人の中で、受験を通して何か変われたのではないでしょうか。

中学受験をして、本当に良かったと思います。先生方、本当に有難うございました。

我が家の流行語大賞「時間がない早くしなさい 」

息子が小学校三年生の時、「東海中学に行く‼」と言い出しました。東海中学の文化祭をオンラインで見たのがきっかけです。当時はやっていたTV番組がすっかりそのまま再現されており、演技も撮影も構成、企画もすべて生徒さんだけで制作されたものでした。息子は、僕もここに入って企画をしてやりたい‼と言い出しました。その思いは、受験期一貫して変わらず、東海中が第一志望でした。

受験勉強で、一番大変だったことは、「時間の管理」です。とにかく時間がない。学校に行って、学校の宿題もやって、塾に行って、たくさん出る塾の宿題をやって、ひと月に一度行われるテストのテスト直しをして、苦手科目の強化復習をして……。やることがたくさんあるのに、家にいる時間は限られます。息子は学校も好きだし、学校の行事も、委員会も、クラブ活動も、とに
かくどれも一生懸命やりたいし、学校を休むのもいやでした。親としては、もちろん学校も大切にしてほしいし、ちゃんとご飯も食べてほしいし、睡眠だってしっかりとってほしいし、でも勉強は絶対にきちんとやってほしい‼やりたいこととやらなくてはいけないことが多すぎて、とにかく時間がありませんでした。受験期三年間、我が家の流行語大賞は、「時間がない‼早くしなさい‼」堂々三年連続大賞に選ばれたのではないかと思うくらい、連呼した言葉です。

丁寧に間違えないように落ち着いてやりなさい‼と私から言われたと思ったら、時間がないから、さっさと進めなさい‼と矛盾でしかないことを言われ、泣きながら、できない~‼と勉強が進まない日も多々ありました。なんだか、こんなことを繰り返して、息子も私も心がもたないなと思い、時間管理について考え、二人で三つの計画をたてました。

その1:名進研から出た宿題は、翌日までに終わらせるつもりでやること。
塾から出るたくさんの宿題も、理科、社会などは来週の授業までにすればよかったりしますが、算数や国語と同じように、なるべく次の塾の日(翌々日)までには終わらせることにしました。次の塾のときにはまた宿題が出るので、二倍になってしまうと、本人もうんざりしてあまり好きではない教科がずるずると後回しになってしまいます。出されたら、すぐにやりきることを決まりにしました。

その2:朝活をすること。
その1を遂行するためにも、これは必要不可欠でした。学校に行くすべての準備を終えたら、必ず三十分くらいは机に座って、集中して勉強をします。7時起床(もう少し早いときもあり)、7時30分には机に向かい、自宅を出る8時がタイムリミットです。たった三十分と思っていましたが、思ったよりも効果は絶大でした。本人も頭がすっきりとした状態で、自分から机に座る習慣がつき、一日も欠かしたことがありませんでした。
勉強もはかどっており、苦手だった国語の長文読解も、朝の集中力のお蔭か、家を出なくてはいけないタイムリミットがあるからか、話しかけても一切聞こえないくらいの集中力で、取り組めました。しかも正答率が非常に良い‼
とにかく、出された宿題の中で一番後回しになるものからするようにしていました。なかなか起きられない日でも、二十分程、この宿題だけはする‼と自分で決めて、やり遂げて行くようになり、自分の中でも計画をたてて宿題に取り組み始めました。
前日、寝る前に朝活ですること、学校から帰ってきたらする宿題と、自分でも決めるようになっていきました。

その3:勉強の優先順位を考えて進めること。
朝活をするようになり、「どの宿題をいつする?」「先生への提出期限を考えるといつまでに終えておくべき?」「それはいつの時間にする予定なの?」などと、自分自身で優先順位をつけて取り組むように声をかけ続けました。しばらく言い続けていると、「これは、明日の朝活でするから、ここまでは今日絶対終わらせておく‼」「漢字テストが木曜日だから、月曜には一回して、もう一度水曜日にはして、行く前に復習して……」など、自分で考えて勉強を進めていけるようになりました。さらに続けていくと、朝活の活用も併せて、塾の勉強、宿題が各曜日でルーティン化されるようになりました。
ルーティン化されると、頭の中も整理されるのか、余計なことを考えず、とにかく進めるしかないという感じで、少し余裕が出てくるようになりました。学校から帰ってきてからも、どこまでやれば終わりということが自分でわかるので、好きな本を読んだり、上手に息抜きもできていたと思います。もちろんうまく進めない日もあり、終わらない‼と泣きながら机に向かう時もありました。そんな時は、私も一緒にいつどれをするか、考えて、紙に書いて、このスケジュールなら絶対できるよ‼と明確にしてあげることで、安心するのか、落ち着いて取り組めるようになりました。
五、六年生になると、とにかくたくさんの宿題が出るので、今やること、やっていることの終わりが自分でわかると、集中して進められていたように思います。
振り返れば、たくさん出る宿題を、とにかくきちんとやる‼これに尽きるのかなと思います。宿題に追われて終わったという感じもしますが、きちんと出された宿題をこなしていたので、四教科全体を通して、大きく落としてしまうようなことはなかったのかもしれません。

とにかく3つのことを意識しながらも、日常生活にルーティン化し六年生まできました。秋以降は、受験予定の学校の過去問を解く日々になりました。受験する学校も決め、チャレンジ校を二校受験。前受け校一校、本命の東海中学と第二志望校、全部で五校を受験することになりました。

秋頃からチャレンジ校二校分の過去問を一冊ずつ全てやり切りましたが、今までやってきた問題や宿題、テストとは違い、本当に難しく、塾の宿題の合間に、また学校から帰ってきてから取り組むのが大変でした。難しくてわからないところも多々、間違えたところの直しも時間がかかる、やってもやっても合格できそうにない点数が続く……チャレンジ校を受験するって決めたことも、よかったのかと私が不安になる日々でした。ただ、各テストを先生に提出すると、必ず細かいところまで見てくださり、丁寧なコメントや励ましのメッセージに、息子も私も救われていました。残念ながら、チャレンジ校は合格をいただくことはできませんでしたが、このつらかった過去問漬けの日々が、後半三校の受験に役に立ちました。本当に難しい過去問五~六年分を二冊もやり切った息子は、残りの三校の過去問が簡単に感じる‼と言い出しました。確かに、丸付けをしていても高得点が取れていることもしばしば。息子も自信を持って、絶対に合格する‼と気合が入っていたようです。志望校を含む残りの三校は無事に合格をいただき、そして念願だった東海中学に入学が決まりました。

小学三年生から四年間、本当に長く大変な日々でした。第一志望の東海中学当日、門を入ったところで別れ、受験教室へ向かう息子の背中は、本当に頼もしく、とてもとても大きく見えたのがずっと頭から離れません。静かに、堂々とした足取りで、自信に満ちていたようにも思いました。小学三年生から四年間、とにかくたくさん勉強をしてきました。模試の順位に一喜一憂し、テスト結果次第では、Sクラスにいられなくなってしまうかもしれないプレッシャーにも打ち勝ち、気分が乗らない時も、時間が足りなくて嫌になってしまった時も、泣きながらも、自分を律して、今やるべきことを進めていく。まだ十歳前後の息子の小さな背中にたくさんのものを背負わせてしまっているのではないかと、何度も私が不安になったものでした。ただ、その大きく感じた背中を見たとき、しっかりと全部を受け止めて、余裕で背負うことができるくらい成長していたのだと感じました。ただただ心配で不安に思っていたのは、私ばかりでした。自分から行きたいと言い出した受験ですが、やりたいことを決めて、努力して、それを掴みとることができたこの受験は、本当に息子を成長させてくれました。

これからは時間制限なく、のびのびと学び、学校生活を楽しんでくれるといいなと心から思っています。

名進研 中学受験コースJunior high school exam course

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