名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

最後は子供を信じるしかない

 娘の三年間の受験生活は、どこを切り取っても苦しく辛いものでした。勉強が好きでもなく、塾が楽しいわけでもなく、学ぶことに喜びがあるわけでもない。ゲームや漫画やアニメが好きで、時間さえあればYouTubeを見ている、どこにでもいる普通の小学生だった娘が、南山女子に合格できたことは、本人の努力と名進研の先生方の支えがあったお蔭です。

 「地元の中学には行きたくない」という娘の言葉から我が家の中学受験がスタートしました。四年生から塾に入るなら漠然と勉強するよりも明確に行きたい学校のイメージを持って勉強した方がいいだろうと思い、入会前の三年生の冬休みに南女の学校見学に足を運びました。その後も受験する可能性がありそうな学校見学に足を運びましたが、娘は南女が気に入り、早い段階で南女を目指して勉強をしていました。

 通い始めの頃は、先生が何を言っているのか分からなかったと魂が抜けた顔で帰ってきたり、算数の問題が分からなくて泣きながら宿題をしていたり。そんな娘を見て、世の受験生の親はどういうサポートをしているのか検索をして、スケジュールを立てたり、復習ノートを作ったり、私も受験生の親としての自覚が芽生えた時期でした。

 五年生になると中だるみ期に突入し、宿題をダラダラするだけで時間は過ぎ、復習の時間は持てず、成績は下降し、「勉強したくない」「もうやだ」が口癖のようになりました。一学期の間は様子を見ていましたが、さすがに受験からの撤退をするなら二学期が始まる前にと思い、夏休みに娘と話し合いました。娘の答えは「南女を目指す」でした。二学期からは前向きに勉強に取り組むようになりましたが、一学期の間についた上位層との差は最後の最後まで縮まらなかったように感じます。

 六年生になっても偏差値50~55のあたりをウロウロする中で、苦手な算数に特に時間を割き勉強していました。しかし、六年生の夏休みから調子を崩し、十一月のプレ中で偏差値43まで下降しました。算数にほとんどの時間を割いているにもかかわらず低迷していく結果を前に、娘の心が折れかかっているのを見るのは非常に辛かったです。先生から、「南女対策に絞って必須単元の復習に徹しましょう」と提案いただき、先生を信じてスケジュールを組む一方で、ここが娘の能力の限界なのかも……と、歯を食いしばって頑張っている娘の前では決して言えない言葉を飲み込んでいました。

 十二月ごろから算数の成績が上向き始め、最後のプレ中では、算数の偏差値も57まで上がり、総合偏差値は61になり、いよいよ南女の背中が見えてきました。すべての歯車が嚙み合ったように、上手く回り始めたと思えたのは冬休みに入ってからです。冬休みに入ってからの娘の集中力は素晴らしく、最後の一か月で娘の実力が大幅に向上したように感じました。保護者会で直前まで学力は伸びると先生方が仰っていましたが、まさにその通りだと身をもって感じました。

 一月は入試が終わるまで学校は休みました。それまで学校と塾の両立で時間に追われながら勉強していたのが、受験に集中できるようになり、心の余裕ができて勉強に取り組めていたように感じます。非常にテンションが高く、ワクワクしているような楽しみにしているような、そんなテンションで入試に突入しました。緊張がポジティブな方向に向いていて、見ていて頼もしく失敗する気が全くしない。それでも、たくさんの「大丈夫」を娘に伝え続けました。

 (これまで頑張ってきたから)大丈夫。
 (自分を信じてやれば)大丈夫。
 (落ちるイメージができないから)大丈夫。

 受験生の親として私が行ったことは、名進研の宿題・課題・苦手単元の復習を日々のスケジュールにタスクとして落とし込むこと。子供が自分で考えて自主的に苦手単元などの勉強をすることが理想ではあるけれど、その成長を待っている間に手遅れになるのは最悪だと思い、私は四年生の夏頃からスケジュール作りをしていました。その日できなくても一週間でこなせればいいという緩い取り決めでしたが、六年生にもなると授業のコマ数も増え、宿題も課題も多く、スケジュールを組むのが大変でした。優先順位をつけ、取捨選択し、要領よく効率よく、勉強一色ではなく娘の息抜きの時間も入れつつ、最大の結果を出すにはどうしたらいいのかを常に考えてスケジュールを組んでいました。六年生の後期になってからは過去問・志望校対策・個別課題とさらにやることが増え、残りの限られた時間で苦手単元を得意にするには何をしたらいいのか、あと10点取るには何をしたらいいのかを先生方にも相談していました。子供と大人では時間の流れる感覚が違うのでじれったく思う時もありましたが、大人だからこそ先のことを見据えて志望校に間に合うように仕上げていく計画が立てられると思います。

 親が最後にできることは、神様に祈ることと、子供を信じることの二つに尽きます。こんなにお守りつけて神様が喧嘩しない?
と言われるくらい娘の通塾カバンには合格守がついていました。神様は喧嘩しません(笑)。運も実力の内です。子供に最大の運
気を持たせて送り出してください。

「自分を信じて」~満開の桜咲け~

 「南山中学校男子部へ行きたい」という子どもの言葉から、我が家の中学受験が本格的に始まりました。第一志望校が決まったのは六年生の四月頃でした。子どもが目をキラキラ輝かせて言ったこの気持ちを応援したいと思いました。

 ここからは、中学受験について我が家でやってきたことなどを書きます。今後の参考になれば幸いです。

 さて、志望校が決まって気になるのは子どもの成績です。受験当日まで一年を切っているのに、合格圏内に入れるのか正直不安でした。この時点で偏差値43~46ぐらいで、教科によって差がありました。子どもはというと、目標が決まったので南山中学校男子部についていろいろと調べ始めました。説明会や体験授業など参加できるものは全て行くようにして、モチベーションを上げていきました。当然、成績が足りていないことを本人も気づいていましたが、「行きたい」という強い気持ちがあったので行動を起こすことができたのだと思います。日が経つにつれ、生活リズムが変わり、受験生らしくなってきました。

 合格するために子どもが決めたのは、受験とバスケの両立は難しいから一旦バスケを辞める、小学校と名進研に毎日通う、名進研では自習室を活用するということでした。家ではホッと一息つける時間も必要だと思い、隙間時間を上手に活用する工夫をしました。学校へ行く前やちょっとした空き時間(10~15分ぐらい)に、計算トレーニングや漢字テスト、monoxerをやりました。隙間時間なので、「もう少しやりたいなぁ」と思うところでやめました。この方法は私にとって子どもとのコミュニケーションの一つとなったので、皆さんにもおすすめします。計算と漢字の間違えたところはノートにまとめ、週末に解きました。習慣化することができ、入試直前までやり続けることができました。このノートは子どもの苦手な分野を見つけ、克服することにつながりました。
小さな積み重ねが大きな力になったと思います。

 しかし、このように取り組んできましたが、プレ中では思うように結果が出ませんでした。偏差値45~48をウロウロ……。成績が伸びず、子どもも悔しさのあまり涙を見せることがありました。そこで、先生に相談したところ、「最後の一ヶ月で成績が伸びる子もいます。今まで勉強に時間をかけてやってきました。南山中学校に合格できるように塾でも声をかけていきます。」と言ってくださいました。子どもには先生方がついているから、最後まで信じようと思えた瞬間でした。四月からを振り返り、子どもは一度も弱音を吐きませんでした。成績が悪くて涙が溢れてしまうことがあっても、マイナスになる言葉は言いませんでした。「絶対に合格したる‼」が口癖でした。小学生なら、友達と遊んだり、ゲームをしたり、テレビを観たりしたいだろうと想像ができますが、全てを我慢してきました。私は子どもが自ら決めたこととはいえ、ここまでしなくてはいけないのかと葛藤する日もありました。学校の友達には中学受験をすることを話していませんでした。遊びに誘われても自分で断って塾に行きました。子どもは「南山中学校男子部に合格したい」という思いで、モチベーションを上げ、ただただ勉強に励んでいました。その姿を見て中学受験とは、勉強をすることだけでなく、精神的にも大きく成長するものだと知りました。

 入試直前十二月のプレ中では、目標としていた偏差値50を超えました。残り一ヶ月のところで成績がぐんぐん伸び、JSクラスに上がることができました。先生が言われたように奇跡が起こり、合格圏内に入ることができました。油断はできませんが、子どもも嬉しかったようで、また一段と気合いが入りました。

 入試前日は近くのホテルに泊まりました。子どもとの時間を大切にしながら、「いよいよ明日だね」とこの一年の生活を思い出しました。「やることはやった、悔いはない、頑張ってくる」という子どもの言葉を聞いて早めに寝ました。

 当日はいつもと同じような朝食を食べ、余裕をもって南山中学校男子部へ行きました。頑張ってきた子どもにかける言葉は、「入試、頑張ってね」ではなく、「行ってらっしゃい、待ってるから。」でした。入試会場でハイタッチをして送り出した我が子の姿は、逞しく、自信に満ち溢れていました。「よし、きっと大丈夫」と私は心の中で自分に言い聞かせていました。

 合格発表の日、速達で届いた封筒を目の前にドキドキが止まりませんでした。子どもと封筒を開けた瞬間、「やったー‼」の声が家中に響き渡りました。「南山中学校男子部合格」の文字。満開の桜が咲いたような子どもの笑顔をみて、思わず涙がこぼれました。最大のライバルである自分に勝った子どもをギュッと抱きしめました。

 名進研新岐阜校の先生方、六年間本当にお世話になりました。子どもが勉強することを諦めず、投げ出さず、夢に向かって突き進むことができたのは、他でもない先生方のお蔭です。先生方の温かい言葉は、私たち親子の支えとなりました。ありがとうございました。

 最後に、これから中学受験に挑戦されるご家族の皆様、子どものやる気は「無限大」です。お子様を信じて応援してあげてください。お子様が、合格切符を手にされる日を願っています。

名進研に任せれば大丈夫!

 息子は名進研に約二年ほどお世話になり、志望校に合格することができました。本当にありがとうございました。

 中学受験をしようするきっかけは、親が中学受験経験者で志望校出身であったことが大きく、高校受験をせずに六年間じっくりと学校生活を送ることができるという点が魅力であったことから、息子にも紹介し、受験してみる?と聞いてみたところ、やりたいとの返事でした。塾選びもいろいろ考えましたが、同僚に勧められたこともあり、小学四年生の終わりごろに、名進研の体験授業をうけました。本人もとても気に入り、また、丁寧に先生からもお電話をいただき、名進研に入ることを決めました。

 塾は五年生の時は週三回、六年生になると週四回ありました。子供は火曜日に幼稚園から習っていた体操教室があり、それには行きたい、という希望がありましたので、名進研の先生と相談して、火曜日は体操教室を優先して、体操教室が終了してから塾に行きました。先生もそれを応援してくれて、子供ものびのびと体操教室と名進研の勉強に励むことができました。受講できなかった授業の分は、M︲neTというサイトでいつでも動画視聴ができたので、それを見てフォローすることができました。体操教室や、体調不良などで、塾に行けなかった時に動画視聴できるサービスは非常に助かりました。六年生になっても体操教室は続けました。ただ、九月以降は時には体操教室を休んで塾に行く回数を増やしました。なぜかというと、ちょうど火曜日の最初の授業が算数だったからです。少し点数に伸び悩んでいたのが算数だったので、子供と相談して、塾に最初から行く時と、体操教室へ行ってから塾へ行く時を交互にすることにしました。

 日曜日のサンデー名進研は実は六年生の前半までは行きませんでした。本人の希望もあり、金曜日と日曜日は休みたい、とのことで、本人の意向を尊重しました。そのかわり、火・水・木・土の四日は集中して授業を受けることを約束しました。受験が近づいてきた六年生の途中から、日曜日の講座も受けました。東海・滝などの難関コースの講座を受け、志望校を中心とした演習を徹底的に行うことで力がつきました。

 最後まで名進研の先生のアドバイスに耳を傾け、しっかりと授業を受けたことで、名古屋中学校スカラー合格、東海中学校・滝中学校に合格することができました。

 受験生の皆さんへのアドバイスとしては、すべて名進研の先生が、その時々に最適な勉強の仕方を教えてくれますので、それを信じてやっていくことが一番の合格の近道です。

 保護者の方へのアドバイスとしては、もし塾に入る前にやっていた習い事は、本人が希望すれば直前期を除いて両立してあげると、本人もメリハリをつけて集中できるので、いいと思います。ただ、その点は本人の希望が大きいかと思います。よく聞いてあげていただけるといいと思います。また保護者対象に、一ヶ月に一度ほどある保護者会で、どのように勉強すべきか、どのように家庭で接するべきか、というノウハウを教えてくださるので、そのアドバイスをしっかりと聞くことで親としても安心して受験を迎えることができます。

 受験生の皆さん、保護者の皆さん、名進研の先生方のご指導を信じて、ぜひ志望校合格を勝ち取ってください‼
 

明和中学を受検した子供の親より

 あまり参考にならないかもしれませんが、今後の皆様の参考になればと思い、記載します。

1.中学受検を決めた理由
 保育園の頃から、数字、算数が得意で、国語は少し苦手だった我が子。
 特に塾などには行くことなく、過ごしていましたが、学校のテストで、全く理解していない訳ではないがケアレスミスが多く、それを何とかしたい、と思い、小四の四月から家が近いという理由で、大手私立中学受験対策をメインにしておられる、他の塾に通い始めました。その塾で「中学受験は考えていません」とはっきり言いましたが、「問題ありません」と言われ、通っていました。
 我が家は、両親共に私立受験はしたことがありません。私立受験向けの塾では、宿題の量も多く、授業も長く、問題も非常に難度が高く、子供には厳しいと思い始めました。その時、私立以外の選択肢として、チャンスの一つとして、明和中受検を意識するようになりました。そこで、名進研の明和対策コースを拝見し、小五の一月から転塾しました。明和中学が八十人の定員で、初年度のため10倍以上の倍率が予測されることは分かっていましたが、チャレンジできるのであれば、しよう、と子供と決めました。
 転塾した際には、明和か、名大附を考えており、小六の夏に受けた模試で、よい成績であったこと。名大附には小論文があることから、国語が苦手な子供には不利と考え、夏から、明和一本で受検することを決めました。それ以外は対策も受験もせず、明和中が残念だったら、地元の中学に通い高校受験をしよう、と考えておりました。

2.生活に関して
 習い事はプログラミングを最後まで続けています(今も継続中)。適性試験にプログラミング関連の問題が出たので、本当にラッキーだったと思っています。極力、普段と同じ、普段通りを意識し、両親が共働きであることもあり、十二月、一月も普通に小学校に行きました。

3.学習について
 毎日の小学校の宿題、名進研の宿題、テキスト、模試だけに集中して取り組みました。たくさんやるよりも、同じテキストを繰り返しやることにしました。他の書店で売っている問題集などは、やっていません。小四から通っていた塾に比べると、宿題が明らかに少なく、差にびっくりしましたが、子供にとって適切な量だったのかもしれません。
 母が今日はここをやろう、と勉強する範囲を決め、取り組みました。小六の秋くらいまでは、できた、と言われた後、母が答え合わせをし、解説を母がしていましたが、成績が伸び悩んだため、名進研に相談のお電話をしました。そこで、「お子さんに、どうして間違ったのか、自分でノートに書いてもらうとよい」というアドバイスを受け、小六の冬くらいから、自分で答え合わせをし、間違えたところはノートに赤字で、どうして間違えたか、書きました。

4.直前アドバイス
 一月に入ってからの十日間は、ひたすら名進研の模試、直前講習、冬期講習の選択式になっている問題のみを取り組みました。
全てを通しで五回程度。間違えた問題は十回以上、繰り返して取り組んだ問題もあります。名進研から直前に配付された緑色の紙に書かれた内容を信じて、頑張りました。
 一次が終わってから、本格的な二次対策をしました。AIなども使って、面接での想定質問を作り、子供に答えさせました。親が試験官となり、十五分、面接し、その様子を動画で撮影。それを見ながら、振り返りをし、改良を重ねました。ドアの開け閉めの練習もしました。
 練習した内容は、あまり聞かれなかったようですが、面接後には「答えることが出来た」と帰って来ました。

5.受検を終えて
 小四で塾に通い始めた時には考えてもいませんでしたが、結果から、子供もすごく自信をつけた様子で、頼もしく思っています。
勉強習慣がつけばいいな、将来の選択肢をたくさん残してあげたい、という思いで取り組んで来た中学受検でした。
 よく言われることで恐縮ですが、「チャレンジしないことには、結果は出ない」
「やると決めたのであれば、最後まであきらめない」は大切だなと思います。

 私の子供達、皆様のお子様達の幸せな未来を願いながら、この文章を終えたいと思います。長文を御拝読いただき、ありがとうございました。

長い人生の糧になる

 この春から次男が愛知工業大学名電中学校に進学します。

 中学受験をするきっかけや家庭の状況・環境は一人一人違って、それぞれのストーリーがあるかと思います。これから受験をされる方に、「こんな受験生もいるんだ」と、少しでも参考になればと思い、寄稿いたします。

 次男は低学年から競技テニスに励み、週五日の練習と週末は岐阜・愛知・大阪・東京・神奈川の試合を転戦する生活をしていました。高学年になると、「強豪がそろう愛知県のランキングに挑戦したいから硬式テニス部のある私立中学を受験する」と言うようになりました。二歳上の兄も名古屋の私立男子校に通っていますが、私達夫婦は元々は中学受験をさせようとは考えていませんでした。夫婦共に国公立出身で、私(母)が東京の私立中高一貫校で教員をしていた経験があるため、公立・私立の正負の面を知っていたからです。十三~十八歳という多感な時期に、どのような環境で成長していくかは、その先の人生を左右する大きな選択です。それまでは公立中に通いながらテニス留学をさせようかと考えていましたが、中学受験の経験もこれからの長い人生の糧になると思い、本人の意思を尊重し、受験することにしました。

 小六の夏期講習から入会し、十一月まではテニスと受験勉強を両立していました。周りの受験生と比べると大変遅いスタートで、短い受験生活でしたが、テニスから離れ、塾の友達と切磋琢磨しながら志望校を目指した時間は、次男にとってかけがえのないものとなりました。夏に入会した当初はJAクラスの一番後ろの席でしたが、先生方の熱心なご指導により、最後はJSクラスに上がることができました。第一志望の名古屋中の入試では、国理社は六割取れ、合格まであと10点でした。問題を解き直してみると、算数の計算ミスが多く、本人も相当悔しがっていました。

 中学受験を通じて、がむしゃらな努力で目標に近づいていける喜びと、本番で力を出せなければ努力は報われないという挫折を経験し、慎重・謙虚であることの大切さを学びました。これは、親や周りの大人が口で教え諭すことはできないものです。十二歳という年齢で、こうした経験ができたことは、中学受験で得た大きな成果でした。この先、テニスや大学受験、社会人として身を立てる時に、きっと息子の強みとなり大きな支えになると思います。

 新岐阜校の先生方には、長男の受験時から大変お世話になりました。勉強に縁のなかった次男が、学ぶことに夢中になり、学力面でも精神面でも大きく成長できたのは、先生方が常に最大限の熱量で励まし、指導して下さったお蔭です。

 また、一緒に受験を乗り越えて来た新岐阜校の友達にも大変恵まれました。受験後、テニスで各地を転戦する生活に戻りましたが、「友達と名進研の春期講座(英語)に通いたかった」と残念がっています。

 末筆ではございますが、心から御礼を申し上げると共に、先生方、これから受験される皆さまのご多幸をお祈り申し上げます。

名進研に通わせてよかった

 金城学院中学、椙山女学園中学、名古屋葵大学中学校の三校を合格した娘の母です。

 名進研は四年生より中学受験コースにお世話になりました。母親の私が私立中学出身で中高充実した六年間を過ごしたため、娘にも同じよう充実した日々を過ごしてもらえたらという気持ちで、「中学受験をしてみない?」と勧めたのが中学受験をするきっかけです。

 四年生の夏ごろから学校見学、体験授業などに参加し、大体の志望校を一緒に考えていきました。 

 四年生の夏期講習(後期)から入会し、宿題も多く、前期から入会している子との差を感じましたが、名進研の授業はとてもおもしろいと嫌がることなく、楽しく通っていました。特に国語は一番好きな授業で、「今日の文章題とても面白かったから、ママも読んでみて」と、嬉しそうに話す姿見て、私も嬉しく思いました。逆に苦手な算数や、社会は一緒に考えたり、覚えたりしよう、とフォローをしていました。

 五年生になり、四年生の時より宿題が増え、土曜ゼミ、実力テストと隔週でテストがあるため、四年生の時のペースでは全然追いつかず、慣れるまで時間がかかりました。実力テストのテスト勉強、土曜テストのためのテスト勉強ではなく、その週の宿題をしっかりこなすことで、娘なりに自分のペースが掴めてきた気がします。

 六年生では、第一志望の椙山女学園中学に向け、「絶対に合格するぞ‼」という気持ちを持って毎日を過ごしました。先生が作ってくださった志望校別の問題リスト、理科のコアプラス、漢字の要、サーパスを繰り返し解いていました。自習室もよく利用していたのですが、正月特訓後は毎日通い、志望校に近い問題を何度も繰り返すことで、自信が出たと言っています。

 プレ入試の結果に一喜一憂しながら、大変な時期もありましたが、先生方、一緒の目標に向かって頑張るお友達に恵まれ、最後までめげることなく勉強できたことが合格につながったと確信しています。

 この場をお借りし、本部の方も含め先生方、一緒に頑張ったお友達に感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

思いがけない追加合格

 金城学院中学、葵大中、他二校を受験しました。金城は少し偏差値高めのチャレンジ校でしたが、家から比較的近く、部活体験が楽しかったことで、金城を第一志望にしました。六年生後半のプレ中では、金城はいつも合格率20%以下でした。厳しい現実でしたが、そのまま志望校を変えず、毎日夜9時頃まで自習室にも行き、土日も学校の友達と遊ばずに勉強を頑張りました。本人も、先生もあきらめずに指導して下さいました。六年生の十月頃、最後の個人面談では、お子さんはここからは算数で点を取るより、短期集中で理科・社会の記憶問題に力を入れて、総合点をアップさせた方がいいとアドバイスをいただき、理科・社会に重点を置いていきました。

 一般入試結果四校中、葵大中とA中は合格、金城とB中は不合格の連絡。

 本人は、葵大中に行くとのことでした。部活や学校体験は受験するところはすべて行った方がいいと思います。子どもの選ぶ基準は部活が楽しいかどうかでした。

 金城の、もし追加合格なら連絡がある予定の日に、金城からの連絡は来ず。追加合格の期待も消えて、葵大中に入学金も納め、制服も購入しに行きました。内心、こんなに大変な思いをしてプレ中や冬期講習や正月特訓などしなくてもよかったのでは…というもやもやした想いにもなりました。でも子供は、とても前向きで葵大中の入学を楽しみにしていましたので、私も前向きになろうと努めました。

 金城の追加合格の連絡予定日から十二日後、思いがけず夕方6時頃、金城から追加合格の電話がありました。運転中でしたが、たまたま赤信号で、スピーカーでこの電話に出られて本当に良かったです。子どもも一緒に聞いていたので、本当に涙が出るほどうれしくて、本人も第一志望だった金城に行きたいとのことでした。葵大中の入学金は納めてしまいましたが、金城は家から比較的近いので、六年分の通学定期券の差額が入学金くらいになるという話を家族としまして、金城に入学を決めました。制服は購入してしまいましたが、幸い数日しかたっていなく、全額返金してくれました。

 四年生の冬期講習から二年間、本当に親も子も頑張りました。日曜特訓、夏期講習、プレ中、通常授業、運動系習い事を週二回月と金に二時間習っていて、それは気分転換でずっと続けていました。子どもは友達と遊ぶのが好きで、何とか時間を見つけて遊んでいましたが、六年生後期には、全然遊ぶ時間がなくなりました。それでも塾の友達と楽しくワイワイしてたようです。子どもは宿題が終わらない時は、夜12時近くまで宿題をする日もあり、私も近くにいてほしいというので、うとうとしながら子どもの近くにいました。次の日の仕事に、眠さで支障がでそうなこともありました。講習時の他校への送迎、プレ中の裏で保護者会三時間待機など、私も職場の人に頭を下げて工面して取り組みました。お風呂場には、算数、理科、歴史の中学受験の暗記ポスターを全面に貼ったり、寝る前やお風呂前に中学受験一問一答というネットの問題を私が出して数問答えるということもしました。

 最初の受験校の三日前、子どもは塾で嘔吐して、着替えをもって塾に走りました。学校の昼ご飯をおかわりして食べ過ぎたと言ってましたが、今まで嘔吐することは全くなく、やはり受験前のストレスもあったと思います。インフルエンザ予防接種、風邪対策のマスクは家族も皆取り組みました。

 受験を終えて思うことは、友達との遊びなど犠牲にするものもあったけれど、学力と勉強する習慣、困難に立ち向かう精神力がついたかと思います。名進研の先生方は、本気で親身になって子どもの受験に寄り添ってくださり、感謝しかありません。

 これからの中高六年間、またその先も伸び伸びと過ごしてほしいと思います。

小六になって始めた中学受験

 息子は、愛知中学、中部大学春日丘中学、名古屋経済大学高蔵中学に合格し、愛知中学に進学を決めました。

 中学受験を始めたきっかけは、小五までサッカーのクラブチームに入っており、サッカー部が強い私立中学に入ってサッカーがしたいと言い出したことでした。

 入会当初の二月から五月は予想以上に学習内容の難度の高さに苦戦し、復習少しと大半は宿題を終えるのに時間がかかっていました。プレ中の偏差値は40台前半でした。六月から八月の夏期講習を終える頃は、宿題とようやく復習をする時間が確保でき、夏休み期間は一日十時間くらい勉強していたので偏差値も上がるかもと期待しましたが、下がってしまいました。このことで、九月にもう中学受験をやめようかと思い、面談の際に教室長にお話ししましたが「中学受験を途中で諦めたら今度、高校受験をする時も諦めたことを思い出すし、これまで学習してきたので最後までやり遂げましょう。」とお言葉をいただき、また、勉強しているけれど成績が上がらないのは勉強方法を見直した方が良い、とアドバイスをいただき、授業内容の復習を重視し、問題も解いたら終わりという惰性的なことにならないように、九月以降は国語と算数は徹底的に復習と思考力を高めることと、理科と社会は欠落している知識の補充をする「インプットする勉強方法」に変えて取り組みました。

 取り組みを変えたので最終プレ中の結果で偏差値が上がるかと思っていましたが、やはり40台のままでした。第一志望の名古屋中学は厳しいかと思い、最後まで第一志望は変えませんでしたが、十二月から年末年始含め入試直前まで、小幡校の先生方とご相談し、愛知中学と中部大学春日丘中学の入試対策問題演習を進めることにしました。息子は、過去問六年分と沢山いただいた対策プリントを全てやり遂げ、悔いが残らないようにと一日十二時間くらい勉強をしていました。

 その甲斐あって三校から合格をいただきました。第一志望には届きませんでしたが、途中で諦めずに受験して良かったと悔いはないと言っておりました。一年という期間でしたが、過酷な勉強のスケジュールでよく頑張ったなと思っております。

 至らない息子に色々と細やかにご指導下さった小幡校の先生方には感謝しかありません。ありがとうございました。

勉強嫌いの息子

 私立中学を受験するほどの金銭的余裕もなく、当然、近所の公立中学校に行くもんだと思っていた、二〇二三年夏。公立中高一貫校の説明会の案内を受けとりました。何気なく息子に、「中高一貫校受験する?」と聞いてみたところ、「中高一貫って何?」とのこと。「中学に入る試験を受けて入学したら、高校入学の試験を受ける必要がないんだよ」と説明したところ、「テニスに集中したいから中高一貫を受験したい」とのこと。テニススクールの選手コースでテニスを頑張っている息子を応援すべく、塾を探しはじめました。すでに四月から開講されていた公立中高一貫校コース、完全に出遅れていました。もともと学校の成績も中の中。全県模試などの少し難度の高い問題には手も足も出ない、ただただ、スポーツ万能なだけの小学五年男子。その時点で、合格は厳しいだろうとは思ってましたが、これほどまでに、勉強をさせるのがむずかしいとは考えてもいませんでした。

 適性検査の模試は、最後まで成果が表れることはありませんでしたが、全県模試や、塾の学力テストは少しずつ上がっているようでした。が、息子が勉強するのは「学校の宿題」と「塾の宿題」だけ。いわゆる、「テスト勉強」などの自習をするのは大嫌い。
最初のうちは、本人がやる気になるまで見守ろうと思っていましたが、一向にやる気になる気配がないまま、六年生の一学期が終了しました。塾のお蔭か、一学期の通知表が驚くほど良かったせいで、安心してしまったのか、夏休みから、宿題すら滞り始めてしまいました。今、思えば、この時に、主人の手を借り、少し無理矢理にでも学習する習慣をつけさせるべきでした。二学期になり、塾やテニスで忙しいことを理由に、学校の宿題がおろそかになり始め、さらには塾の宿題も当日慌ててやるようになりました。
せめて宿題だけでも、と思い、「宿題した?」と声かけするようにしましたが、「宿題したよ」と嘘をつくように。嘘に気付いた私が、「じゃあ見せて」と言うと、キレる。正直、もうお手上げでした。

 そんな時、模試の会場への送迎を主人がする機会があり、そこで、入試直前の学習のアドバイスを聞いてきたとかで、主人が息子に「今日はこのテストをやりなさい」「今日はこの課題をやりなさい」と指示するように。すると、主人が怖い息子は、嫌々ながらも、キレることなく、指示通りに勉強するではありませんか‼もっと早くに、主人に協力してもらっていれば、適性検査にも成果が表れていたのかもしれません。

 「時すでに遅し」で一次試験を通過することができませんでしたが、塾で難度の高い問題を問くようになり、全体的に、成績は上がっています。親の言うことは聞いてはくれませんが先生の言うことは素直に聞きます。先生と連携して高校受験に向けて息子を上手に学習させていきたいと思います。何しろ、まだまだ自分から積極的に勉強してくれないので、その日が来るまで根気よく続けたいと思います。時々、主人の手も借りて……。

努力した結果を発揮するために全力を尽くす

1 動機付け
 普段の学習は名進研の宿題程度です。必要な学力は名進研の普段の授業と宿題を理解できれば十分と思います。学校の授業より名進研の授業のほうが生徒みんなが集中しており、また気付きがあって好きだったようです。受検にチャレンジすることを最終的に決めたのは子供でしたから、その気持ちを忘れないように、と声をかけていました。
 説明会にいき、在校生の研究成果の発表は子供なりに興味を持ったようで、それも自身のモチベーションになっていたように思います。半田中学校に行けば、自分は何ができるのかを考えさせることも勉強意欲を維持するのに大事かと思います。

2 生活に関して
 普段から生活リズムは維持できていたため、受検のために特別に生活を改めることはありませんでした。やったことといえば勉強時間を1コマ45分と決めて試験時間を身体に覚えさせることくらいです。むしろ普段どおりの生活に終始したのは結果的によかったのかもしれません。説明会の段階から倍率が相当高いことはわかっていたことと、適性試験という問題の性質上、どこまで学習しても合格水準に達したと言えないこと、これらのことから、あまり合格へのプレッシャーをかけないように心がけました。
 ただ、子供には受検に向かう心構えとして、努力した結果を発揮するために全力を尽くすように、と伝えてきました。

3 学習について
 適性検査の問題は大人でも解くことが困難です。その代わり、思考力が鍛えられ、頭の体操になります。個人的に非常に興味深い内容が多かったため、子供の模試の問題を自分が解くことはよくありました。そのため子供も難しい問題などは自分に質問に来てくれることがあり、解説も自分なりに工夫したりして、考える楽しさなどを共有できました。
 また、名進研のクラス内の順位がよくなればお祝いをしていました。お祝いを目標に試験前は身を入れて勉強していましたから、中学校合格の目標はもちろん最終的にはそうなんでしょうが、目先の目標の設定も、受検という長丁場のステージには必要なのかもしれません。

4 直前アドバイス
 年末年始にも特別に学習時間を取らず、冬期講習とそれの宿題等のみ、あとは自由な時間を多くとりました。一次試験前でも学校は休まずに通いました。過度に合格への期待を持つことのないように努めました。「合格は基本的に難しい、だけどこれまでの努力を無駄にしないように頑張ろう」というようなことを伝えていました。
 一次試験当日はとにかく各時間配分を考えるように伝え、シンプルなアドバイスに努めました。名進研に通い、模試を何度も受けたことがあったため、緊張はしていましたが、それほどではなかったように見受けられました。むしろ初めての模試の方が緊張していたくらいです。一次試験後、自己採点をすると得点率は七割弱でしたので、相当厳しいな、というのが正直な感想でした。
これまで模試でももっと得点が取れていた印象でしたので。どの塾も点数に関して何も発表はなかったこともあって、正直面接の練習をする気持ちにはなりませんでした。
 一次試験で合格していたことを知り、喜び、驚きながらも、一次試験の点数が低いことを想定した面接の練習をすることにしました。正直これまで特別に面接の練習をしたことが無かったことから、志願理由書の内容をもとに想定問答を自分が作成し、それを子供に答えさせ、頭にインプットさせました。想定問答では、子供が夏休みにやった自由研究を、自身が経験した探究学習としてアピールしようと考えたので、これまでやってきた自由研究をすべて子供に読み直しさせました。小学生のときに学んだことを振り返り、自分の言葉で説明できるように練習を重ねました。想定問答の回答部分を丸暗記するのでは想定外の質問がきたときに答えられなくなるので、子供自身が伝えたいことがきちんと説明できるように練習を重ねました。最後に前日夜20時過ぎから名進研の先生に無理言って面接練習をお願いして、「すごくいい」とほめていただいて本人も面接に自信をもって臨むことができました。このことが合格につながったのは間違いありません。

名進研 私立中学受験コースJunior high school exam course

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