名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

ピンチをいかにチャンスに変えるか

息子は、名進研に三年生の冬期からお世話になっておりました。この度、東海中、滝中、名古屋中、愛工大名電中、大成中に合格をいただき、春より東海中学校へ進学する息子の母です。危機的状況は何度もありましたが、今があるのは名進研の先生、共走してくださった素敵なお友達と出逢えたからです。この場をお借りしてお礼申し上げます。同じように中学受験を伴走する親御様の参考になればと思い、筆を執りました。

「ママと一緒に中学校に通いたい‼」
私の職場近くに私立中高一貫校(当時の第一志望校)があり、その魅力に引き込まれていった当時小学三年生の次男。立派な校舎、広いグラウンドで楽しそうに行う体育祭などを目の当たりにし、通学への強い憧れを抱いていったことが中学受験の始まりでした。主人も私も中学受験未経験。支えられるか不安はありましたが、自主性を重んじる子育て方針でしたので、本人の想いを尊重し、中学受験を決意しました。

三年生の冬に入会。国語は偏差値51・0、算数は偏差値57・1よりスタート。四年生の面談で、先生から受験の厳しさを告げられ、とんでもないところに足を踏み入れてしまった……そんな気持ちが強かったのを覚えています。四年生の間は授業の進度もまだ緩やかですので、今のうちにつけておきたい習慣づけを自宅ではサポートしていきました。特に途中式、図を書くといった「手を動かすこと」について、口酸っぱく言い続けました。理算の先生とも連携し、定着に至りました。まだ癖がなく素直なこの時期につけておいてよかった習慣でした(息子は六年生から反抗期でしたので)。

五年生で大切にしたのは、間違い直しの徹底と復習項目一覧表のフル活用です。五年生になるとテスト回数が増えるとともに、テスト直しも増えていきます。テスト前に復習を怠ればテストの点数が下がりテスト直しも増える、という悪循環に陥ります。当時まだ野球クラブに在籍していたものですから、週末は基本朝から晩まで野球三昧。テスト直しをする時間確保に苦戦しました。結局同じ時間を費やすなら、テスト前の復習に時間を割くほうが効率的だと本人も気づいたのでしょう。テスト直しの量を減らすために、必死にテスト前の復習を頑張っていました。それがよい循環になり、習慣となりました。

そんな中、自習室でこっそりYouTubeを視聴するという前代未聞の大失態が発覚!しかし先生は頭ごなしに叱るのではなく、「ここで踏みとどまれるかどうかが分かれ道だ」と静かに諭し、免罪符を与えてくださいました。その日を境に、息子の目の色が変わりました。復習への向き合い方が一変し、次のテストでは偏差値が一気に+10超えの66・1に‼まさに大ピンチが大きな転機となった瞬間でした。

テスト範囲がなくなり、どこに着目して復習に取り組めばよいか迷走しながら駆け出した六年生。平均点もガクッと下がり、直しもたんまり。授業数も増え課題もたんまり。私もフルタイムで仕事をしていたため、私が担当していた書類整理、マルつけが追い付かず、足を引っ張ることもありました。このままではまずい……何か捨てなければ……。見返すことがほとんどなかった国語と社会のプリント整理はやめました。理科は先生のまとめプリントはとても見やすかったのでファイリング。特に算数は先生のご助言通り、息子と一緒に間違いを三種類に分類(ケアレスミス、途中まで解けた問題、手も足もでない問題)し、直しの優先順位をつけました。九月以降の校舎授業以外の算数に関して、復習環境は私が整えました。ターミナル校での日曜特訓講座と、六年生前期テキスト「コアマスター」のコアステップ3に関して、誤答問題のみをノート見開き左側にコピーして貼り付け、右側には解答、解説を折り曲げ貼付。解答を探す時間を削減する工夫をしていきました。第一回東海中プレ入試の算数がなんと18点しかとれず、絶望感に苛まれていましたが、類題を何度も何度も解き直すうちに、できるようになっていき、少しずつ自信を取り戻していった姿が印象的でした。すべての教科に対して「間違いは宝‼」を合言葉に、誤答に対してポジティブにとらえていけるよう声掛けをしていきました。

一月に入ってからはとにかく得点源としたい理科と社会を徹底的に反復学習。飽きるくらいにこれでもかと基礎問題、過去問をやり続けていました。年号は全く覚えることができなかった社会。そこは捨てると本人の潔さがありました。その代替として、時代の並び替えはできるよう、単語カードを使い、中三の長男と一緒にゲーム感覚で取り組みました。もともと一番足を引っ張っていた国語は、九月から先生のご助言通りの解き方に変えたことと、名進研のカリキュラムを信じ、それだけをひたすらこなしていたことが息子にはピッタリとはまりました‼

最後のプレ中入試では、国語偏差値59・9‼六年の前期まで空欄だらけだった解答用紙が、埋まるようになったとき、それだけで涙があふれました。それと同時に、東海中学への憧れは、憧れでは終わらない予感がしました。息子の根拠のない自信はどこからくるんだと、正直あきれ返っていたこともありましたが、謝罪します。ごめんなさい。これだけやってきたことが自信につながったのでしょう。結局はご縁ですが、ご縁も努力したからこそいただけるものだと思います。暗黒時代もありましたが、だからこそ今がある、ピンチをいかにチャンスに変えるか、その積み重ねが第一志望合格につながったのだと感じています。ピンチの時にいつも寄り添ってくれたのが校舎の先生でした。理科の先生からいただいたリバースポエム、四科の先生のメッセージ付きお写真は宝物のようです。「絶対剥がさないで」と息子に念押され、今もリビング特等席に飾ってあります。

最後に、これから中学受験に挑戦されるご家族の皆様、不安は尽きないと思います。でも大丈夫です。「ピンチ」を「チャンス」と捉え、その都度、試行錯誤して練り上げた戦術を実施していけば、必ず大逆転は起こります。名進研のカリキュラム、磨き上げられた教材、そして何よりも先生方のご指導を信じて、お子様の底力を信じて、最後の最後まで伴走していってください‼

志望校とのご縁がありますよう、心より応援しています。長文にお付き合いくださりありがとうございました。

最後まであきらめない!  

小学一年生から名進研に通い、六年間お世話になりました。低学年の時から受験が終わるまで、娘は名進研が大好きで、授業も先生方のことも、日々、様子を話してくれました。
将来の夢があり、その目標に向かって勉強する日々。一番、精神的にしんどかった時期は、親子共、五年生の時でした。毎週新しい課題に追われ、復習をくり返す。定着できるまで何度も何度も家庭内で課題を与えて、こなす日もあれば、できない日もあり、全教科、目まぐるしい単元の数々に対応していくことが大変な一年でした。反抗的な態度がひどいのも、五年生。本当に、毎日がいろいろな面でつらく、苦しかったです。
六年生になると、本人のやる気スイッチとギアが一気に上がりました。
四年、五年時は親が計画を立て、ほぼそれを元に勉強していましたが、六年生になると自分で学習計画を立てるようになり、夏休み前には、その計画をその日に全部こなすことを決めていたようです。完全自走をした六年生。親が勉強を教えることは一切ありませんでしたが、わからないことは先生に質問に行き、自分で納得するまでくり返し解いていたようです。一番の苦手教科は国語。好きな算数は自らすすんで勉強するにも関わらず、国語はただ課題をこなすだけ。夏が過ぎ、秋になり、受験目前で先生に相談しました。
国語については手つかずだったこれまでの学習習慣を変え、足しげく先生に質問に行くことにし、コツコツ努力していました。これまで、他教科で点を取っていたお蔭で成績を保っていましたが、秋以降、国語の勉強を先生と続けてきたことで、志望校別プレも成績も良く、最後のプレ中で国語の成績が一位になり、その時点で娘の頑張りが報われたと実感しました。正月特訓以降も入試を楽しみにしている様子で第一志望校の南山女子。あれだけ毎日自習室に残って勉強し、あれだけ準備して臨んだ入試でしたが結果、不合格。娘は毎日不合格通知を見て、翌週の滝中学入試に気持ちを切り替えていました。焦ることも全くなく、淡々と先生からの課題と復習、苦手単元の克服に注力し、ずっと自習室で勉強を続けるスタイルを崩すことなく、帰宅後も寝る直前まで勉強していました。滝中学入試当日、いつも通り淡々と入試会場へ。終わってからはじめてホッとした顔と、「まだまだ受験勉強を続けたかった」と言っていました。
大きく成長した六年生の一年間とラストスパート、成績が日を追うごとに上向き、娘の自信をつけて励まし続けてくれた先生方に、感謝の一言では言えない位、親子共に沢山お世話になりました。本当に本当にありがとうございました。

短期集中で勝ち取った合格

娘が通塾を始めたのは、五年生の十二月からで、かなり遅いスタートでした。小学校の担任の先生と相性が悪く、学校の宿題もろくにやらなくなり、成績が落ちる一方でした。反抗期に入ってきたのか親が言うと余計に逆効果で話もしなくなっており、何か変わればいいと思って、名進研の門をたたきました。
最初は嫌がったり勉強についていけるのか心配しましたが、親の気持ちとは裏腹に幼稚園時代の顔なじみの子や話しかけてくれる友人がいたりして、楽しく通塾するようになりました。学校から帰ったらすぐ塾に行って、自習したいと言うようになり、今日習ったところや小テストの結果を見せてくれるようになり、生活は忙しくなったのに、会話は増えました。
六年生になると、小学校の担任の先生も変わり、学校の宿題が塾の復習のように取り組めるようになりました。本人の意識も変わってきたのか自分から私立中学校の説明会に参加して、(五年生の時は誘っても「受験するかわからない。遠くまで行きたくない」と断られていました)志望校を二校に絞った上で、自宅からの距離と校風を家族で話し合って、金城学院中学校を目指すことに決めました。
勉強に関しては、苦手な部分の大幅アップを狙うより、得意教科を伸ばす勉強法がいいと先生よりアドバイスいただきました。国語は本人も得意と言っていたので、名進研の漢字テストで間違えたところをしっかり直す学習をしました。苦手な理科は、満点を目指さず、好きな単元を中心に復習をしました。プレ中学入試の結果もその日によって、成績にムラもありましたが、あまり結果は気にせず、算数に関しては、最初の10問~13問くらいまでの問題を確実に解いて、点を落とさないようにしようと目標を立てていました。
最終的に、名古屋葵大学中学校、椙山女学園中学校、金城学院中学校を受験し、全て合格をいただき、思考力入試で合格した金城学院中学校への入学を決めました。
本人に受験勉強の感想を聞くと「私は、五年生十二月からの一年しか頑張れなかったと思う。この一年は、志望校合格という同じ目標の塾の子たちと勉強できて、学校より塾のほうが楽しかった。四月の入学式が待ち遠しいな。」と言っているので、人それぞれのタイミングがある中で、私たち家族の選択は間違っていなかったように思います。
一年間、全力でサポートしてくださった名進研刈谷校の先生方には、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

中高一貫校受験を振り返って

我が家が中高一貫校の受験を考え始めたきっかけは、本人が強く希望したことからではありませんでした。息子は学校のテストでも大きく成績を崩すことはなく、学力的には比較的安定していました。どうせ塾に通うのであれば、五年後の高校受験を目標にするよりも、より近くに明確な目標があった方が取り組みやすいのではないか、また六年間同じ環境で学べる中高一貫校は、成長期の子どもにとって良い選択肢ではないかと考え、親である私から受験を勧めました。本人も何となくとなくではありましたが、興味を持ち県立中高一貫校を目指すことになりました。塾には約二年間通い、受験前の家庭学習ではカレンダーに復習する単元を書き込み、学習の見通しを立てることを大切にしていました。
息子はもともと自分のことは自分で進める性格で、人に相談することを少し恥ずかしいと感じるところがありました。志願理由書についても、塾の先生からアドバイスはいただいていたものの、最終的には自分の力で書き上げていました。納得いくまで何度も書き直しながら志願理由書に向き合う姿から、受験に対する本気度と強い意志を感じ、親として胸を打たれました。
精神面で最も変化を感じたのは、入試が近づいてきた頃です。不安からだったのか、本気度が一段と増したからなのかは分かりませんが、「今までやった問題の書き込みを消してほしい」と息子から頼まれたことがありました。これまで一人で抱え込んでいた息子が、頼ってきてくれたことが、親としてとても嬉しく、成長を感じた瞬間でした。
一方で、あと一歩という状況から「この一問がもったいない」と結果を意識した声かけをしてしまったことは反省点です。ある時、「もっと褒めてほしい」と言われ、努力の過程を十分に認められていなかった自分に気づかされました。
受験当日、試験後に私を見つけて安堵したように笑みを浮かべた息子の姿から、精一杯やり切ったことが伝わってきました。希望していた結果には届きませんでしたが、計画を立てて努力すること、思うようにいかない中でも最後まで向き合う姿勢、準備の大切さを学んだこの経験は、今後の大きな糧になると信じています。悩みながらも親子で向き合ったこの時間は、今振り返ると何にも代えがたい経験となりました。

頑張りを認めてくれる名進研

息子は小学二年生の二月から名進研でお世話になりました。きっかけは同じマンションに住む友人の娘さんが名進研当知校に通っており、「塾の先生の授業が分かりやすく、塾が楽しいって言ってるんだよね」という友人の言葉からでした。自分としては、まだ二年生だし……という気持ちもありましたが、息子に声をかけてみると、「行ってみたい」という思いがけない返事。それから六年生まで名進研には大変お世話になりました。
小さいころから何かしら習い事はしてきました。しかしなかなか長続きせず、行き渋りをすることもあり、本人にも辛い思いをさせたことがあります。そのことから、本人が名進研に通うのが辛そうになったらいつでも退会しようと心に決めていました。学年が上がるにつれて週に一回から二回、三回から四回と増え、共働きの影響で送迎ができず、電車と徒歩で通う日々。宿題も多くなり、何とかやりこなすことが精いっぱいでした。しかし、本人から「塾をやめたい」という言葉は一切出ませんでした。むしろ友人の言葉通り、楽しく通っている。毎日大変そうなのに、よくやってるなと感心しました。息子が最後までやり通し、第一志望校に合格できたのは、名進研の先生方の熱心なご指導のお蔭だと思っています。そして頑張った分だけ結果として表れ、認めてもらえることの嬉しさ、学ぶことの楽しさを体感したのだと考えています。
そんな息子ですが、全て順風満帆に志望校合格までたどり着いたわけではありません。ゲームや動画視聴の魅力からは抜けられず、よく私とも衝突しました。しかも高学年になるにつれてだんだん言うことを聞かない。私も「宿題やったの」「そんなに遊んでていいの」という、そのたびに喧嘩をする……悪循環の日々もありました。親はそういう時とても焦ると思います。しかし、息子を信じるしかない。幼かった息子も、高学年になると自分の考えをしっかりもつようになる、志望校が決まった今、本人もどうするべきなのか考えているはずと自分に言い聞かせ、とにかく待つことにしました。そうしたら、六年生の夏期講習後に「宿題が終わるまでゲーム機を隠してほしい」と伝えてきました。ホッとしたのと同時に、本人も表には出さないけれど志望校に合格するにどうすれば良いか考えていたのだと実感しました。まだまだ小学六年生、甘えているところはあり親が助言することはとても大切だと思います。しかし、勉強の楽しさ、大変さは、名進研に通い続けた本人がよくわかっています。時には本人を信じて待つことも親には大切な行動なのだと感じました。
最後になりましたが、名進研の先生方には大変お世話になりありがとうございました。第一志望校に合格できたのも先生方の熱心な心温まる御指導があったからだと思います。四年間ありがとうございました。

ここがいい!

小五の夏に、自ら「中学受験」をしたいと言い出した娘。地元の中学の教育方針に疑問を感じていたため、軽い思いだったかもしれまんせんが、急いで周りの中学受験をした方から情報収集し、名進研にお世話になることにしました。スタートが遅かったので、当然授業や宿題の内容に全くついていけず、偏差値は30点台を蛇行していました。宿題もなかなかやりきれず、先生方にはご迷惑をおかけしました。朝が弱い娘なので、朝学習の計算トレーニングを嫌がり、算数が苦手なままでしたが、先生に励まされ、私も一緒に計算問題を解くことにしました。最初は私も解き方がわからず、夫に説明を求めたり、一緒に考えていくうちに、娘も楽しくなってきたのか、六年生の秋以降、朝学習が定着してきました。志望校は、オープンスクールでいくつかの中学を見て、娘が「ここがいい‼」と即決した聖霊中学にしました。VAP試験でいこうと決めていましたが、不合格だった場合に備え、名進研には最後までお世話になりました。VAP試験は当日作文があるため、国語の学習で培った文章力や、漢字の知識が大きく生かされたと思います。結果は、無事「合格」をいただき、大喜びでお友達にLINEで報告する娘を見て、今までの努力が報われたなぁと胸が熱くなりました。
難関中学に挑む他のお友達と比べて、偏差値も伸びず、家ではゲームやスマホについ手が伸びてしまう娘を見て、やきもきさせられ続け、親子で何度も衝突しました。「やる気がないならもう中学受験やめる?」と何度も口にしました。しかし、そんな娘でも、名進研の先生達のことが大好きで、先生方からかけられた言葉に励まされ、感動し、毎回、「今日先生が声かけてくれた」と報告してくれていました。お蔭様で、娘の方から「辞めたい」ということは一度もなく、最後まで続けることができました。志望校に合格できたのも、名進研に通っていたお蔭だと思います。本当にありがとうございました。

母親の関わり方

三年生から名進研に通塾しておりました。人一倍、負けず嫌いのくせに、自分一人では勉強しないので、五年生までは母親である私が全面的に勉強のサポートをしていました。具体的には毎日やることリストを作成し、彼が解いた答え合わせを夜中にし、間違えていた問題を翌朝息子に伝えていました。というのも、両親ともにフルタイム勤務で、二人の未就学児がいるものですから、帰宅後に彼の勉強を一緒に見てあげることは不可能でした。その代わり、週末一緒に勉強する時間を作り、理科や社会のコアマスターは一緒に読んで暗記したりしていました。漢字プリントは一回では覚えられないので、週に三回以上は消しゴムで消してやらせていました。
解いた問題は自分で丸つけまでするように話していたのですが、やっていないことも多々あり、また丸つけがしてあったとしても、小学生はかなり間違いが多いので、夜中にもう一度私が答え合わせをしていました。そして、間違えたところを翌朝、息子にアナウンスすると同時に、自作の間違えノートに書き出し、試験前に一緒に復習したりしました。
彼の成長とともに、徐々に手が離れていきましたが、六年生の夏までは、毎日やることリストを作っていました。東海中のしっぽ先生の問題集を八月末までに一通り解こうと目標をたて、六月より一日1〜2問のペースで解きました。当初は本人のやる気がなく、また問題も難しいものですから、下の子を寝かしつけてから、私も一緒に解いて、何とかやらせていました。
息子と二人三脚でやってきた勉強ですが、六年生の九月に入ってから、やることリストを書いてもやってくれないことが多くなり、反対に自分で計画を立ててやる姿が見られるようになりました。勉強量が一気に多くなり、私がついていけなくなったこともあるかもしれませんが、完全に私が勉強内容に関わる必要がなくなり、自分で弱いところを見つけて勉強するようになりました。そうなった時に、彼は合格するだろうと確信しました。その後はすべて彼に任せて、私は大量のプリントを夜中に整理することだけに徹しました。
受験の最終日、試験が終わって教室から出てくると、「テストが終わった後にやり切った感で涙が出た」と話してくれて、彼にとって中学受験を経験したことは人生の糧になったのではないかと思います。また私にとっても、中学受験を通して息子と深く関わることができ、また息子の成長を感じることができて、とても良い思い出になったと思います。

受験のレール

受験が終わり、「優秀なお子さんですね」と何度も言われました。そのたびに胸が締め付けられる思いをしています。中学受験を完走するまでにどれほどの犠牲を払ったか、どれほど心を削ったか、家族でどれほどの衝突があったのか、何度受験をあきらめたか、それを一言で済ますだけの心の余裕が私にはありません。
六年生のスタート時点に親子で決めた目標は東海中学校に合格するというものでした。ありふれた目標かもしれませんが、それには並大抵ではない覚悟と決意が必要でした。なぜなら息子は典型的な勉強をしない子だからです。これから先に苦難が待ち構えていることは容易に予想ができたからです。
六年生が始まりました。息子にとって六年生の春・夏は受験本番までは遥かに遠いものです。家での学習は机に向かうことも難しく、教材を吟味して、説明を工夫してようやく十分持つかどうかです。塾の先生からの辛辣な言葉も、下がり続ける偏差値も、ノートに繰り返される先生からのダメ出しのコメントも、塾や小学校の宿題ができないことも歯を食いしばって耐えるしかありませんでした。この子にはこれ以上負荷をかけることができないからです。これ以上を要求しても学力にはならないことを知っているからです。秋になっても状況はそれほど変わらず、むしろ悪化します。少し前に中学受験を題材としたドラマがはやりましたがそれを下回っていました。唯一の救いはたった十分でも毎日受験と向き合ってくれていたことです。そのお蔭で、全方位からの苦情・非難・クレームを何とか耐えることができ、息子に寄り添うことができました。
十月の第五回プレ中でわずかに偏差値が上昇して、ここが軌道修正のチャンスと判断しました。残り三ヶ月となってようやく息子は受験を直視することができたようです。十分の学習時間を十五分に変更し、次のプレ中に臨みます。偏差値は4ポイント上昇で残り二ヶ月。学習時間を三十分に変更し、最後のプレ中で偏差値は3ポイント上昇で残り一ヶ月。冬休み中の学習時間は一時間に変更、一月中の学習時間は二時間でした。
息子は勉強をしない子です。適切な課題を与えなければ、逃げ出すか中身のない学習になります。その細いレールの上を走らなければ目標に向かって進むことができません。そんな曲芸とも言える状況に付き合っていただいた名進研の先生方に感謝を申しあげます。そして、多大な迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。中学受験を通して息子の学習のレールは少し太くなりました。これが最大の報酬です。
最後に、目標を達成した息子へ。おめでとう。極太のレールになればあなたは最強。東海でも頑張れ。

とてもシンプルなこと

元々、中学受験する予定はなかったのですが、公立中高一貫校ができるということに興味を持ち、名進研の話を聞き入会しました。通塾するうちに本人が私立中学の方に興味を持ち始め、学校説明会や学校の見学に足を運ぶうちに、私立中学の良さを目の当たりにして、子供の目標をサポートすることにしました。
我が家はフルタイム共働きです。中学受験は親の伴走が必要、という情報が多かったので、うちでは中学受験は難しいかもと思っていました。でも名進研のお蔭で最後まで完走することができました。何度か受験をやめようという話は出ました。その都度、名進研の先生と本人と親がよく話し合いました。先生は無理強いすることなく息子の思いを上手に引き出してくれました。プロの先生はやはりすごいな、と思いました。
息子はスポーツが好きで一年生からずっと続けているスポーツがありました。土日は試合も多くスケジュール管理が大変でした。結局六年の十二月まで続けましたが息抜きにもなり、塾ではその分集中できたようです。授業を休んだら動画や先生からのフォローでカバーでき、日曜日の実力テストやプレ中も欠席したら、後から一人ででも校舎で受けさせてもらえたのでありがたかったです。
親として意識したことは子どもの栄養・睡眠・安全をしっかり確保すること、スケジュール管理、親は応援団でいることでした。中学受験する子は本当に知識豊富です。今学習している事について親からどんどん質問しました。喜んで教えてくれるので「すごいね、良く知っているね」と心からほめていました。このアウトプットで知識が定着していたのかな、と思います。
名進研で習うこと、保護者会で聞く内容、親も子も素直に受け入れていました。とてもシンプルなことですが、それが合格につながったのかなと思います。ありがとうございました。

スキップしながら名進研へ

 息子は幼少期から育てにくい子でした。こだわりが強い、切り替えが苦手、おしゃべりが止まらないときがあるなど、子育てにこつやサポートが必要でした。その反面、好奇心旺盛、発想力豊か、知識に貪欲、好きなことには没頭できるなどの長所がありました。そのため授業態度や提出物等が評価される公立中学校では合わないと思い、はっきりとした志望校はありませんでしたが、中学受験を決めました。

 四、五年生は自宅での宿題の対応が大変でした。五年生後期から自習室を利用することにより改善したものの、六年生はさらに大変でした。六年生は本人の希望でαクラスに移ったこともあり(当初は全国最難関中学校の受験を考えていた訳ではなく、本人がただ行きたいとのことで移りました)、週三日の授業、週二日の自習室利用、プレ中学入試、サピックスオープン、開成灘特別講座(六年生前期)、全国最難関突破コース(六年生後期)、さらに本人の希望で続けたスイミング(月曜)と、ほぼ全ての日で予定が入り、スケジュール管理をして送迎するだけでも一苦労でした。他にも日々の荷物の準備や鉛筆削り(学校も)、丸付け、プリント整理(六年生途中から断念)、ノートのストック管理(六年生後期は鉛筆(ユニやハイユニの2Bを使用)も)、お弁当作り(日曜)、本人の睡眠時間の確保、それ以外にも塾以外の予定や家族の予定との調整などやることは多岐に渡りました。これらを夫婦で分担していたものの、共働きで弟(未就学児)もおり手が回りきらず、必要なテキストをこちらが入れ忘れて届けることが何度もありました。余裕がなくなりテストのミスを叱ったこともありましたし、自分のことを棚に上げた本人が無自覚に弟に手厳しく当たるため、事件が起きるのではないかと思う程、私がイライラすることもありました。そのような中で、定期的な先生との個別面談において、家では不真面目でサボっていることに悩んでいたときには「余裕があったほうが力を発揮できるタイプなのでは。」と、また本人について「算数の解き方をアレンジせず、まずは教えたとおりにやっている。素直なところがいい。」と褒められ、親が気付いていない面を知ることができ、励みになりました。面談を何度か重ねるうちに、思うところは多々ありましたが、余計なことは言わないよう努めました。

 親としてはとにかく大変でしたが、六年生になってからは成長に伴い体力がついてきたこともあり、ハードスケジュールにもかかわらず本人はとても楽しんでいました。六年生からαクラスに移行したことは結果的に本人に合っており、四年生当初の実力テストで59程度だった偏差値は、五年生後期で安定して65以上となり(Jクラスでのびのびと基礎を固めたことも良かったと思います)、六年生前期のプレ中ではついに70台となりました。得意の算数で難しい問題を解くこと、苦手な国語で少しでも点数を取ること、理科で日常の現象の仕組みを考えること、社会で新しい知識を得ること、先生方や各々自由に発言し合うクラスメイトとの関わりを楽しみ、六年生の四月頃にはあれほど執着していたゲームをしなくなりました。そして夏休みに入ったころ、「僕、志望校、灘にする。」と言い始めました。とはいえ六年生六月の志望校判定サピックスオープンでは四科目計の偏差値54・7、灘中学校の合格可能性は一番低い20%で、かなり高い目標でした。しかしその後、六年生十二月の合格力判定サピックスオープンでは四科目計の偏差値66・6と過去最高となり、十校書いた志望校のうち灘、西大和、海陽特給を含め九校が合格可能性80%となり(開成のみ70%)、灘は難しくても他は受かるのではないかと安易に考えていました。

 しかし、そのサピックスオープンの翌週、十二月の最初の入試である海陽特給が不合格でした。翌日にあった最後のプレ中でも六年生で二番目に低い成績でした。翌週の海陽Ⅰで合格し、本人はいつも通りの様子に戻ってはいたものの、親の方が落ち込む気持ちを引きずりました。冬期講習の後、年末年始の八日間が山場でした。頼みの綱の自習室がやっていなかったため、一緒に無人カフェに行き、朝から晩まで先生に立ててもらったスケジュールに従いながら、ひたすら過去問に取り組みました。苦しい中での取り組みでしたが、じわじわと合格最低点を超えることも出てきました。

 一月十八、十九日の灘中学の入試は、前泊から二泊三日で臨みました。ホテルの前に応援に来ていた他塾の先生、キラキラとした目で入試会場に向かう半ズボンの子ども達、「あなたの好きにして」という様子のお母さん、入試問題を購入し(保護者の待合室となっていた体育館で販売していました)学校の石垣の上で解く現役生など、他では見ない光景を目にすることができました。そのような中、本人はとても自然体で、算数を武器に軽やかに戦っていました。結果は合格最低点295点のところ、316点で合格しました。各科目の点数まで開示されたことはとても励みになりました(西大和学園中学校も同様)。

 最終的には六校八回受けた中で、合格は六回あったものの(海陽Ⅰ、西大和(東海、岡山会場)、灘、東海、滝)、不合格が二回あり(海陽特給、聖光学院)、学校によって傾向が違うこと、その傾向と対策を十分に行うことが重要であることを実感し、十分できなかった部分については悔やまれました。

 四月からは、管理教育のほうが合っているという理由で西大和学園中学校に進学します。なかなか現実の志望校を考える余裕がありませんでしたが、名進研のような学校に行かせたいと思う中で急遽六年生の十一月に見学に行き、徐々に気持ちを固めていきました。寮に入ることは四、五年生のうちは選択肢として考えもしませんでしたが、学校の敷地内にある寮、寮での学習時間、手厚い学習・生活面へのフォロー、全国から来る寮生、勉強だけでない教育方針などを見学し、西大和に行かせたいと思ってからは寮であることは気にならなくなりました。名進研での学習や全国最難関中学校の受験は親としては大変だったものの、振り返ると
とても貴重で楽しい時間でした。本当にありがとうございました。

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