名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

20%未満からの合格奪取

 第一志望の滝中学校に合格。プレ中判定は20%未満でしたので、最後の最後まで学力は伸びるのだなと、子の成長に感動しました。

 これから受験を迎える方は、たとえ手が届きそうにないと思う時があっても、途中でひどい点数を取って落ち込むことがあっても、最後まで諦めないことが大切です。また、共働きで平日送迎ができなくても、中学受験対策ができることをお伝えしたいです。

 好奇心が旺盛で、なんでもやってみたいタイプの我が子は、ドラマ「ドラゴン桜2」の放送を見て「ぼくも受験してみようかな‼」と、五年生の六月に受験を決断しました。共働きで平日の送迎ができないため、土曜のみの通塾で対策ができる名駅校「Dクラス」に入りました。

 七時間ぶっ続けで、受験対策の授業を受ける……スピードも早く、授業が終わると車の後部座席で倒れ込み、「無理~」と呟いていましたが、次第に長時間の授業も当たり前になり、難しいことを面白く教えてくれる先生や、同じ年の勉強熱心なクラスメートの存在を刺激的に感じているようでした。

 通い始めた頃は算数の解法など全然分からず、映像授業の「Miruva」を見ながら、親子共に解き方を考えて教え合いをしました。半年もすると一人で自習できるようになりましたが、一緒に宿題に取り組んだ時間は、大切な思い出となりました。

 名進研の宿題以外に、食事の時にNHKオンデマンドでの「歴史にドキリ」YouTubeの「野良猫勉強会」を見たり、寝る前はベッドに入りYouTubeで「カズレーザーの日本史一問一答」を家族で答え合うなど、生活の隙間に家族ぐるみで基礎暗記をしたので、弟も歴史などに関心を持つ良いきっかけになりました。

 六年の最初の授業で、受験生のスケジュールの参考プリントをいただき、平日四時間、日曜は十時間と書いてあり、「こんなに⁈無理‼」と驚きました。しかし、夏期講習が始まると自習室で残り一日十時間以上勉強するようになりました。この自習室通いでぐんと実力が伸び、プレ中での偏差値も60まであと少しというところまで高まりました。

 九月に人気ゲームの新作が出て、平日は友達との遊びに気を取られ、偏差値が上がり気が緩んでいたこともあり、勉強時間が大幅に減少してしまいました。九月の東海中学校志望校別プレ入試を受けた際は、まさかの算数が「6点」……衝撃です。

 先生に相談すると、「問題が分かるだけの実力はついているはず。難しい問題に取り組む前に、A問題をやり直して型をマスターして」と言われ、集中して六年の単元A問題を全て解き直しました。結果、急速に苦手だった図形も分かるようになりました。この時の体験で、子は失った自信と緊張感を取り戻したように感じます。

 滝中学校の部活「先進技術研究部」について知った後は、プログラミングやロボット、DTM、ドローン操縦など、やりたいことが全て揃っている‼ということで、滝中学校を第一志望に決めました。本人のモチベーションがぐんと高まり、頑張り方に本気度が増しました。

 さらに、志望校別特訓に参加することで、難問に対する理解が高まり、周りのお友達が頑張っているから、自分も負けていられないと、スイッチが入ったようで、十二月以降は息子と話し合い完全にゲームを完全封印しました。しかし、周りも頑張っているため、最後のプレ中滝合格判定では20%未満。受験を辞めようかと一瞬頭をよぎりましたが、「子供は最後の最後まで成長します。特に正月明けの一ケ月でも、まだまだ伸びますから‼」と、名進研の先生におっしゃっていただいたこともあり、「あともう少しだよ‼きっと限界突破できるよ‼」と、足りない偏差値に挫けそうになりながらも、本気で取り組む子を見守る日々が続きました。

 受験本番……愛知中学、名古屋中学と合格をいただき、受験を繰り返すたびに徐々に力が上がっていくのを感じ、そして、念願の滝中学合格‼

 本当に驚きました。20%未満からの合格獲得。本当に最後の最後まで結果は分からない。諦めずに頑張った息子を誇らしく思っています。

 明るく声掛けしてくれる校舎の先生方や志の高いお友達に恵まれて、楽しそうに名進研に通った時間は、息子の心に大きな影響を与えてくれました。

 第一志望の滝中学にもし合格できていなかったとしても、大きな成長を成果として感じていたと思いますが、夢見ていた先進技術研究部に入るのを楽しみにしている息子を見るたび、最後まで諦めなかったこと、本当に良かったなと思っています。お世話になった先生方、本当にありがとうございました。

「そこまでやるか」というレベルまで

 小学三年生の二月、4つ上の兄と同じように、娘は名進研の門を叩いた。

 親としては2回目の中学受験であり、私の母校を志望する兄のときよりは、気持ち的にはだいぶ楽に臨めると思っていた。しかし、甘い予測は、徐々に増えていく苦痛、緊張感に置き変わっていく。

 見えない敵、新型コロナウイルスとの戦いも大きかった。致死率が高かった前半はもちろん、風邪化してきた後半戦でも、必要以上に気を遣った。家族間で感染が横行すると、最大で1ヶ月程度、通塾できなくなる。授業動画は見られると言っても、モチベーションの維持は困難であったであろう。また、プレ中学入試を受験できなくなることも懸念であった。席が後ろに行くだけならまだしも、下のクラスに落ちることは、プライドの高い娘が受け入れられたであろうか。実際に、兄が濃厚接触者となり、受験が危うかったプレ中もあったが、ギリギリ受験できることが判明した時は、親子で涙したのを今でも覚えている。

 娘は成績は優秀で、周りからは、いわゆる「絶対受かる子」と思われていたのであろう。

 ただ、そんなことを自慢したいわけではなく、その地位を守るには、親子ともに並々ならない努力が必要であったことを伝えたい。勉強面、生活面ともに、世間から「そこまでやるか」と思われるほどのことを娘にはやらせたし、親自身も取り組んだ。私の意見としては、上位の家庭ほど、「そこまでやるか」のレベルが高いのだと思う。「そこまでやるか」のごく一部は合格のお礼時に所属校にお渡ししたが、全部詳細はとてもこの原稿内では収まらず、本が一冊書けるくらいであり、中学受験コンサルタントを名乗ろうかと自負しているくらいでもある(笑)。東海、滝、南山女子を本気で目指すご家庭に、とにかく、申し送りたいことは、「そこまでやるか」をやらないと受からない学校であるということ。そして、そこまで頑張って行く価値の学校であるということ。

 中途半端な気持ちで臨んで、残念な結果を得るならば、それは子供が傷つくだけである。

 本気で覚悟を決めて、親子で臨んでいただきたい。

 何度も何度も衝突し、もがいて、崩れて、少しだけ立ち直り、壊れて、それでもめげずに……。

 こうして築いた親子の絆は、合格の暁に鋼の様に強固なものになっているであろう。

 最後に、名進研との関わり方について。

 この塾はオーダーを出せば出すほど、話し合えば合うほど、円熟味の出る塾であると思う。

 些細なことでも密に連絡を取り、情報共有することをお勧めしたい。

 個性豊かで人情味あふれる、所属校の先生方には感謝の気持ちしかない。

 この体験記に恨み辛みを書いてやろうかと思うくらい衝突したこともあったが、全てが終わった今は心から言える。本当にありがとうございました。

ありがとう!名進研

 三年生の春から名進研に入会し、四年間お世話になりました。

 もともと、教育熱心な父親の意向で入会したのですが、母としては、睡眠時間の問題や勉強ばかりさせることが、小学生に本当に良いことなのだろうかと迷っていました。勉強は父親が中心となってサポートしていましたが、都合で、六年生からは私がサポートをすることになり、果たして、何も分かっていない私にできるのだろうかととても不安でした。合格することを第一優先に考えることができない私は、子どもとどれだけ向き合えるか、深く関われるかを目標に、そして、その先にきっと合格があるだろうと考え、全力でサポートすることに決めました。勉強することは孤独との戦いかもしれませんが、小学生なので子どもが少しでも楽しくできるように、そして結果が出るようにと日々作戦を考え、いろいろと試してみました。

 なかなか結果が出なかったり、子どものやる気が持続しなかったりした時は、よく戸田先生に相談をさせていただきました。ほんの些細なことでも、丁寧に聴いて下さり、さらに、適切なアドバイスと、私が思いつかない素晴らしい解決方法を提示して下さいました。いつも戸田先生の言葉に勇気付けられ、本当に助けていただきました。また、子どもの学習面だけでなく精神面もよく見てくださり、声をかけてくださった先生方に感謝しています。大好きな先生がいっぱいできたことも子どもにとって、とても良い経験であると思います。

 希望していた滝中学校に合格することもでき、これから再スタートです。名進研で育まれた学習への取り組み方や精神力を生かして、子どもが自分らしく今後も頑張っていけるよう見守っていきたいです。私自身、迷いながらのスタートでしたが、中学受験を親子で戦った今、子とともに苦楽を乗り越え、貴重な経験ができたと心から感じています。このように思えるのも先生方のサポートのおかげです。本当にありがとうございました。

誇りをもって学び、誇りをもって育つために

 「試合中に勝ち負けのことは気にしなくていい。試合運び、つまり、試合中も時間を常に気にすること、試合終了のホイッスルが鳴るまで、試合を捨てないこと。前半で思わぬ失点をしても、ちゃんと後半で取り返せばよい。前半で得点を取れても、守りに入らずに、攻め続けよう」

 これは、サッカーの話ではありません。父として、私が子どもを試験会場に送り出す時に、最後にかけた言葉です。入試本番に臨むことは、ただ、試験でその日の出来栄えを試される場であるだけではなく、あたかも、さまざまな試練を乗り越えて、国歌の鳴り響く満場のスタジアムに入場する代表選手が誇りを背負って臨むような、「晴れ舞台」であると思います。ですから、親として試験当日に必要なことは、「心配すること」ではなく、「子が、胸を張って、頑張ってきたことに誇りをもって臨めるように」空気を作ってあげることがいちばんのサポーターとしての仕事だと考えます。そのために、わが家では、記憶に新しい感動を与えてくれた、サッカー日本代表をイメージしてもらうために、冒頭のような話をし、試合前のハイタッチをして、試験に送り出しました。

 この「誇り」ですが、当日だけネタを仕込んでも効果はありません。私は、受験を通して「子供の成長」を期待する際に、いつも〈わが子自身が、一年間の努力の末に『自分の今に誇りを持てるか』〉を意識しました。

 日々の学習は、小さな積み重ねですし、伸び盛りな時も、伸び悩む時もあります。親も、つい日々のことに一喜一憂してしまいそうになります。ぜひ、そんなときに、「今のわが子の様子で、入試当日に一年間を振り返ったとして、胸を張れる状態かな」と考えてみていただければと思いますし、「入試当日に誇りを持てるように」日々、少しづつ、動機づけを積み重ねていただければと思います。

 むろん、これから頑張る皆さまに、第一志望校への合格をお祈りしながらですが、併せて、「夢に向かって取り組む楽しさ」「自分の頑張りに誇りを持てる喜び」を、ぜひに味わっていただければ嬉しく思います。これは、真剣に勝負に臨もうとする環境があってはじめて得られるもので、受験勉強は、この環境を得るための絶好の機会だったと思いました。また、大切なこととしては、この心の成長は、周囲からのポジティブなサポートの声掛けで、何倍にも膨らみ、そして、膨らんだ子どもの気持ちがさらなる成長を促してくれます。学力の成長と共に、心の成長は、何物にも代えがたい財産となることかと存じます。

 さて、心の成長と学力の成長を達成するためには、親子でのコミュニケーションは欠かせません。名進研では、日々の授業にもテストにも、各回にかならず「狙い」が丁寧に張り巡らされています。わが家では、具体的な各問題の内容は親が理解できなくても、今日はどんなことをやってきたのか、具体例を出して、子どもに説明をしてもらいました。子どもに話してもらう内容は5分から10分程度です。3分だと、ほぼタイトルで終わってしまうし、長すぎると、各問の説明になってしまうので、要約としておすすめの時間です。自分で説明できるときは、だいたい理解できているし、説明が巧くできないときは、子ども自身が、説明の途中で、自分が理解できていないことに気づいてくれる点がおすすめです。併せて、毎日これを習慣にするうちに、「まとめる力、説明する力」が身につきます。うまく説明できないときは、親の役割としては、説明が引っかかっているところだけ明確にしてあげて、先生に「自ら質問してもらう」ことを続けました。いまひとつ、心の持ち方の面で効果としてあったのは、日々、親や先生とコミュニケーションを取り続けることで、「今の自分に素直になれる」ことが挙げられます。特に、「①伸び悩んでいるときに、親や先生のふとした一言で、きっかけをつかめる効果」、もうひとつは、「②できないことを恥ずかしがらない、隠さないことで、悩みを抱え込まない効果」がありました。

 また、補足ながら、小学校の授業を簡単に感じることはあるかもしれません。しかし決して疎かにしない、まして学習内容を見下すようなことだけはあってはいけないことだと考えます。「スポーツや芸術、そのほかみんなそれぞれに精一杯頑張っていることがあって、その中で君は勉強に取り組んでいる」ということは、毎日言い続けました。それぞれに得意なことを尊敬しあえる友達関係を築き、もし、わが子が算数を得意とするなら、友達に親切に丁寧に教え、「不得意な子がどう説明すれば楽しく分かってもらえるか」を工夫する努力をしてもらうことで、小学校の友人関係もより良くなり、自分の説明力も鍛えられます。力がつくほどに、一層、謙虚さについては強く諭し続けるようにしました。志望する中学合格は、子供にとって、通過点にすぎません。ゴールではありません。志望校合格への努力と、多感な時期の心の成長は、車の両輪であることは、親子ともに常に心に留めたいものです。

 受験勉強は、合格だけでなく、非常に大きな心の成長を我が子にもたらしてくれます。但し、これは、親や周囲で応援してくれる人々が、「子どもの心の成長」を意図していないと得られないと思われます。日々、授業を受け、課題を克服しながら、心への動機づけを続けていただければ、きっと、入試本番の日、お子さまが誇らしげな姿で入試会場に向かわれる後ろ姿を、ご両親様は輝かしい気持ちで見送ることができるでしょう。そして、結果として、志望される道へ皆さまが進まれることを、応援しています。

 子どもたちの明るい未来に「ブラボー」な人生を‼

母娘の葛藤を乗り越えた先に得られたもの

〈はじめに〉
 娘との約一年半の中学受験に取り組む日々は壮絶なものでした。あまり多くの方の参考にはならないかもしれませんが、一つの記録として記させていただきたいと思います。

【ご参考】 娘の受験校は以下の6校でした(☆:合格校)
 ☆滝中学校(四月からの進学先)、☆南山中学校女子部、☆愛知淑徳中学校、☆中部大学春日丘中学校(特奨A)、☆金城学院中学校(スカラーB)、☆名古屋女子大学中学校(特奨)

〈入塾のきっかけ〉
 入塾のきっかけは、コロナ禍で様々な活動が制限される中、充実した過ごし方ができなかった五年生の夏休みでした。夏休みの宿題に意欲的に取り組むこともなく、また部活動の練習もなく、放課後、児童クラブで人と接することもなく、ただ毎日、家で任天堂スイッチ、タブレットゲーム、YouTube、漫画、テレビ……の無限ループ。特にゲームへの執着心は強く、約30分/日という時間制限に対し、「時間が短い、みんなもっとやっている、なぜ自分だけできないのだ」と暴れて泣き叫び、母親の私自身も感情を抑えきれず怒鳴り散らす毎日で、母娘関係は最悪な状態でした。

 また、思春期に入り学校の友達関係に悩んでいたようで、低学年の時のような積極的な姿勢は見られなくなっていました。2学期の運動会や林間学校についても「中止になればいいのに」などと後ろ向きな言葉を発するようになり、「小学校で一番楽しいはずのイベントも楽しみにできないほどの状態にあるのか」と、親としては非常にショックを受けました。

 「コロナがなければ、せめて部活動があれば、人と接する時間や活動があれば……」とやるせない思いが募る一方、「娘ならもっと力を発揮できるはず、もっと自信をつけられるはず」という思いで、この苦しい日々から抜け出す方法はないかと悶々と悩む時を過ごしていました。

 夏休み終盤に入ったある日、娘の祖母(私の実母)から「名進研に通ってみるのはどうか、塾の友達から刺激を受けて何か変わるきっかけになるかもしれないし、中学受験をして中学校から環境を変えるのもいいかもしれない」と提案を受けました。もともと私としては、娘は公立中学校に進学するものと思っており、中学受験は正直全く頭にありませんでした。私自身がフルタイム勤務で残業もある中、塾の送り迎えや勉強のサポートにかける時間的余裕はなかったため、選択肢から無意識に除外していました。ですが、「もし挑戦するなら自分も手伝うから」という実母の言葉に背中を押され、母娘のこの苦しい状況を打開できるのなら、とすがるような思いで名進研の入会説明会に申込みをしました。

 入会にあたり3つの目的を意識しました。①やることを作って目標をもって過ごす。②前向きさ・積極性を取り戻す。③ポストコロナ(となるであろう)中学・高校生活を生き生きと過ごす。あくまでも①②を目指し、結果として③のためには私立中学がベストな選択と判断すればそのまま進み、そうでなければ方向転換して高校受験コースに切り替えてもいい。まずは中学受験の切符だけは持たせておこうという思いで、名進研生活をスタートさせました。

〈五年生・後期(九~一月)〉
 入会当初は娘も緊張して集中して授業に臨んでいたのでしょう、また、公文式で約6年間、毎日、計算と文章読解に取り組んでいたためでしょうか、十月の初めての実力テストの偏差値は60という結果でした。先生方は驚かれていましたが、母も娘もその数字の意味をよく理解していない状態でした。

 娘は塾での勉強は特に嫌いでもなく、かといって夢中になって取り組むこともなく、なんとなく塾に出席し、宿題をやっているだけのように見えました(力の発揮度:30%程度)。次第に、娘としては「学校の友達は自由にゲームをしているのに自分だけなぜ…」という思いが膨らんできて、暴れては泣き叫ぶことも増えてきました。また、塾の宿題がやり切れず、先生に怒られることを恐れて塾に行き渋り、欠席することも多々ありました。その度に、先生方には電話で状況をお伝えし、出席しやすい雰囲気を作っていただくようなご配慮をいただきました。

 そのような調子で、その後の実力テストでは初回ほどの成績が出ることはなく、偏差値は55前後で推移しましたが、目的①については、目の前にゲーム以外のやることができ、少し充実した時間を過ごせるようになってきました。学校の先生からも、塾に通うことでいい変化があったという言葉をいただき、この道で間違っていなかったのかもしれないと、少しホッとしたことを記憶しています。

 この時期はまた、様々な学校説明会に母娘で参加し、情報収集をしました。母親としては私立中学校の環境の素晴らしさを初めて知り感銘を受けましたが、娘はさほど強い関心を示しませんでした。説明会の行き帰りでもゲームの話ばかりで、あえて中学受験から話をそらすような様子も感じられました。それでも、家では時々、学校パンフレットを開いては、「ここの制服はかわいい」「部活がたくさんある」などと、少しずつ興味を広げているような様子もありました。

〈六年生・前期(二~六月)〉
 六年生前期がスタートすると、娘も少し気持ちが切り替わり集中して取り組んだためでしょうか、三月の最初のプレ中では再び偏差値60を超えました(力の発揮度:40%程度)。

 五月のGW特訓では、名駅校への行き帰りを通して同じ所属校の友達との交流が深まり、非常にうれしそうでした。講義の内容もよく理解できたようで、娘としては自信がついたようでした。

 しかし、連休明けからは、学校のクラスの友達に恵まれたこともあって、「もっと一緒にゲームがしたい」という気持ちがより強くなり、次第に「塾がだるい」「受験はもうやめる」と言うことが増えました。プレ中に行く度に、「これが最後のプレ中か……」などと言うようにもなり、親としては本気で受け止めてここで中学受験をやめるべきか、もう少し様子を見て続けるべきか、非常に判断に迷いました。

 六月には、中学受験をやめる場合を想定し、地元の公立中学校に直接お願いをし、娘と一緒に学校見学をさせていただきました。また、もともと娘が興味のあった競技かるたの団体への参加を決めたのもこの時期でした。競技かるた部のある私立中学校も多くあるため、中学受験への興味・関心が深まることを期待したためです。本人にとっていい道を見つけるために、やれることはとにかく何でもやってみようとあがいていました。

〈六年生・夏期講習(七~八月)〉
 中学受験をやめるか続けるか……判断ができないまま時が過ぎ、夏期講習の申込み締め切りギリギリのタイミングで娘と以下の約束をしました。
 ・とりあえず夏期講習には行く(五年生の夏休みのようにダラダラと過ごされては困る‼)
 ・ただし、重点志向で、できていない単元の講義に絞ってがんばり、できている単元の日は休んでもいい
 ・夏期講習が終わった後、自習室へ行かなくてもいい
 ・中学受験をするかしないか、夏休み中の学校見学を参考にしてよく考えて、八月末までに結論を出す

 結局、夏期講習を休むことはほとんどありませんでしたが、夏期講習の後に自習室へ行くことは、約束通り一切ありませんでした。家に帰ってきたら必ずゲームをし、宿題もただやるだけか、まじめにやっていない部分もあったようです(力の発揮度:30%程度)。一番大事な夏休みに……と不安に思う気持ちもありましたが、「最後の追い上げが効くタイプですよ」という所属校の先生のお言葉を信じて、我慢して見守りました。夏休みの総仕上げテストの結果としては、案の定、偏差値は53まで低下しました。

 夏休み終盤には中学受験をやめる寸前まで来ていました。高校受験に切り替えるなら、本人にとって名進研がいいか他の塾がいいか、本気で情報収集しました。内申点の比重が高い公立高校の受験では、運動も苦手で手先も不器用で、また地道な努力をするよりも楽な方に進みがちな性格の娘は不利になることは目に見えていましたが、そのような事情も本人によく伝えていたので、もうここまで来たら本人が決断した道に進めばいいと覚悟を決めていました。

〈六年生・後期(九~十二月)〉
 夏休みの終わり、娘は中学受験をすることを決断しました。ところが、頑張ろうとしていたその矢先、娘は運悪くコロナにかかって療養することになりました。出鼻をくじかれ、塾に出席できず、もうダメだと思ったのでしょうか、療養中、娘は「もう受験はやめる」と再び暴れました。親としてはもう疲れ、呆れ、動揺するばかりでした。

 コロナ療養終了の直後に第1回南女プレを受け、その直後には修学旅行に行き、怒涛の九月を過ごした後、ついに娘のエンジンはかかり始めました。きっかけはおそらく第1回南女プレで合格判定20%以上、十月初めのプレ中で愛知淑徳の合格判定80%以上という数字を目にしたことだったのではないかと思います。「これは勝機がある」と娘自身が確信し、やる気が出たのではないかと思われます。

 十月からは、あれだけ執着していたゲームも本人自らパタリとやめました。親としても、あと4か月の過ごし方をサポートするため、毎週のTODOリストと1週間の予定表を娘と作り、毎日一緒に進捗をチェックするようにしました。小さな丸いキラキラシールをTODOリストに貼って視える化することにも取り組みました。幼い子へのご褒美シールのようなやり方ですが、娘にとっては意外と効果があったようです。

 力の発揮度は十月に約60%、十一月に約70%、十二月に約80%、冬期講習・正月特訓で90%と、どんどん集中度合いを高めて向き合うようになっていきました。とはいえ、次の行動への気持ちの切り替えがうまくできず、ちょっと休憩と言っては10分のつもりが30分以上過ぎてしまうことも多々ありました。また、例えば漢字の間違い直しなど、できないところを自ら丁寧に何度も繰り返してできるようにするような緻密な作業は見られませんでした。出された宿題をただこなしているだけでしたが、それでも、以前に比べれば集中力が高まっているため、吸収・定着する知識量は格段に増えたようでした。結果、最後3か月のプレ中の偏差値は59前後まで回復しました。

〈六年生・入試直前/本番(一~二月)〉
 最後の入試日程が終わるまでの約3週間、娘は学校を休んで追い込みをかけました。丁寧に何度も繰り返し書いて覚えるというような緻密な作業も、この時期はさすがにするようになっていました。それでも、家では相変わらず集中しきれず、気持ちが入らない場面も多くありました。親としては、本番直前にもかかわらず目標に向かって集中していないように見え、イライラが募り、言ってはいけない言葉を投げかけたり、感情を抑えきれ切れず爆発したりする場面も多くありました。思えばまだ十二歳の子どもで、大きなプレッシャーや恐怖に立ち向かって一生懸命頑張っていたのだと思います。母親としてそのような態度を示したことは本当に情けなく、娘には申し訳ないことをしたと悔やんでいます。

 南山女子の合格発表の日、娘は朝から勉強も手につかない状態で郵便を待っていました。手にした結果は無情にも不合格。娘はしばらく悲しみをこらえ我慢していたものの、抑えきれず大泣きしました。受かるかどうかは五分五分の感触だった本人としては相当ショックだったのでしょう、半日立ち直ることができませんでした。その2日後、愛知淑徳の合格通知をいただき少し自信を取り戻し、そこから滝中学の入試までの3日間ここだけは約95%の力を発揮して最後の試験に立ち向かいました。結果は見事合格。本人は本当にホッとした様子で、滝中学に行けることを喜んでいました。

 滝中学の合格発表の翌日は南山女子の繰り上げ合格通知の予定だったため、万が一に備え娘と話し合いましたが、本人は滝中学に行きたいとのことでしたので、もし電話をいただいても辞退させていただくことにしました。繰り上げ合格通知の当日、いつもの夕食中、電話が鳴る可能性すら忘れかけていた時、突然電話が鳴りました。まさかの繰り上げ合格の連絡でした。あまりにも動揺したため、即答で辞退を伝えることはできず、「今すぐお返事しなければならないでしょうか?」と咄嗟にお聞きしました。すると、20分間の猶予をいただけることになりました。その20分間は究極の選択の時間でした。「このような機会はなかなかないから南山女子に行った方がいい‼」「通学時間が短い‼」「繰り上げ合格も合格と同じ‼」「もう1回別の内容で試験をやったら結果は違っていたかもしれない、力の差は紙一重だったんだ‼」などとあの手この手で説得しましたが、娘の意志は固く揺らぐことはありませんでした。「滝中学に行きたい」、娘はそう言い、20分間は終了しました。親としては、何とも言えない喪失感・脱力感と、娘自身が選びきったという頼もしく喜ばしい気持ちに包まれました。

〈最後に〉
 結果として全勝合格を勝ち取り、所属校の先生方も大変喜んでくださいました。中でも室長先生からは、「よく頑張りましたね‼でも、まだまだいけますよ‼」というお言葉をいただきました。先生は娘があと5%の余力を残していることを決して見逃してはいませんでした。娘をよく見ていてくださり、その先につながる絶妙な声掛けをしてくださり、本当にありがとうございました。

 「受験が終わったら遊びまくる‼」と言っていた娘ですが、ゲームだけに熱中することもなく、適度なバランスを保ちながら、友達と楽しく遊んだり、中学の宿題をこなしたりして過ごしています。五年生の夏休みの沈んだ表情は嘘のように明るく変わり、当初の目的であった②前向きさ・積極性を取り戻すこともできました。また、3つ目の目的である③ポストコロナ(となるであろう)中学・高校生活を生き生きと過ごす、についても、ちょうどよいタイミングでその時を迎え、四月からの中学校生活が娘にとって最高に楽しく過ごせる準備が整ったように思い、大変うれしく思っています。

 中学受験に向かう一連の取り組みで、私たち母娘は得難いものを得られたように思います。目標に向かって一生懸命取り組むこと・自分の心の弱さを知ること・仲間と一緒に切磋琢磨すること・我慢すること・時間には限りがあるということ・あらゆる最善の策を尽くすこと・思うようにはいかないこと・心が折れてもまた気持ちを整えて立ち向かうこと・やればできるということ・自分自身で選び決断すること。この先、生きていく上で大切なことを母娘で身をもって学ぶことができた、そんな中学受験だったように思います。この母娘の経験が中学受験に挑むどなたかにとって、小さなきっかけや支えとなりますよう、健闘をお祈りしています。

六年生九月スタートからの合格

 この春から長男が南山中学校男子部に通います。これから受験をされる方に少しでも参考になればと思い、私達の体験を書かせていただきます。

〈受験のきっかけ〉
 息子が受験を考え始めたのは、六年生の夏です。それまでは、週五日サッカーとフットサルをやっていて、勉強とは無縁の生活をしていました。送迎の都合により、中学ではクラブチームではなく、部活に入ることになりましたが、「それならサッカー部の強い中学校に行きたい」と言ったのが、受験をするきっかけでした。

 他の受験生は何年もかけて勉強をしている中、九月に入会した時の息子は、小春日和を「こしゅんにちわ」と読み、「つるかめ算って何?」というレベルでした。

〈勉強法〉
 始めは授業について行くのもやっとでした。そこで、塾の授業+宿題を一とすると、家庭学習はその二倍やるようにしました。これで他の受験生の三倍勉強することになります。スタートが遅い分、冬期講習までにはクラスの皆に追いつけるように、家庭学習では名進研のテキストをひたすら復習していました。

 初めて受けた十月のプレ中の偏差値は、算数39、国語48、理科46、社会43でした。とにかく算数を伸ばそうと、テキストの基本・A問題をできるまで何度も解き直しました。速さは特に苦手だったので、六回転しました。

 漢字・プレ・過去問(志望校五校×四~六年分)の直しノートを作り、間違えたところを二回以上解き直しました。

 苦手な理科は、塾で貰った一問一答を朝食時に私(母)が口頭で出題しました。たった五分でも五ケ月間毎日続ければ、理科だけで十二時間以上できます。

〈伸び悩み期〉
 十二月下旬の最後のプレ中では、目標としていたレベルまでは成績が伸びませんでした。偏差値が50を超えたのは、社会だけでした。

 息子も焦りを感じていたので、『未来の合格体験記』を書かせました。合格後の視点から、苦手な算数をどう克服したか、点数が伸びない国語の記述を、どう得点源にしたか等を具体的に書かせました。

 すると、「基本問題を解きまくる」「構成を丁寧に考える」と、息子自身で何をしたら良いか気付いたようでした。

〈直前期〉
 サッカーもフットサルも十二月まで続けていたので、受験勉強に専念できたのは冬期講習からでした。

 冬休み中は、冬期講習・正月特訓+家庭学習で、毎日十二時間以上は勉強していました。

 大人から見れば、十二歳の子が勉強漬けで可哀想だと思いますが、この時期の受験生のやる気と集中力は驚異的です。

 塾に行けば共に志望校を目指す仲間がいて、先生方がものすごい熱量で合格に向けて指導して下さいます。独学では決して得られない経験ができました。

〈受験期〉
 三学期が始まると、勉強時間の確保と体調管理に苦心しました。コロナやインフルエンザが流行り始め、正直、学校を休んでくれた方が親としては安心でした。

 息子は六年間皆勤賞を狙っていたため、毎日登校していましたが、学校は気分転換になり、かえって良かったのかも知れません。

 親の私が一番辛かったのは、第一志望の名古屋中に10点届かず不合格となり、落ち込む息子を見た時です。

 どんな結果になっても息子の人生なので、受験中サッカーを続けるか否かも、併願校も全て本人に決めさせてきましたが、もっと口出しすれば良かった……と後悔もしました。

 しかし、三日後には第二志望の南山男子の入試が控えています。部屋にこもって落ち込む息子に「しっかりしなさい、まだ何も終わってない。第二志望が第一志望に繰り上がっただけだよ‼」と檄を飛ばしました。

 その日だけは大好きな塾を休み、家でひたすら過去問を解きました。入試当日は「合格する力は十分あるから、自信を持って行っておいで」と大きい気持ちで送り出しました。

〈最後に〉
 こうして合格体験記に寄稿できるのも、ひとえに新岐阜校の先生方の熱心なご指導のお陰です。

 九月からの入会を許可して下さった教室長の後藤先生。算数の楽しさを教えて下さった井亦先生(名古屋中は算数の点数が一番良かったです)。記述対策や家庭学習のアドバイスをして下さった国語の丸山先生。何度も小テストの追試をして社会を得点源にして下さった古田先生。苦手だった水溶液やばねの計算問題を得意にして下さった理科の内倉先生。入試後に遅れて出席した特別講座で励ましの言葉をかけて下さった先生方。

 この場をお借りして、心より御礼申し上げます。

今は昔中学受験記

 今年の入試で息子は東海中学・名古屋中学・愛知中学とそれぞれ合格をいただき、四月から東海中学校に進学することになりました。

 夫婦共々中学受験を何十年前に体験し、それぞれの母校での経験をぜひ息子にもと考え、小四冬期講習から自宅に一番近い名進研に通うことにしました。

 今振り返ると、両親が中学受験経験者であるばかりに、息子には嫌な思いをさせてしまっただろうなと反省しています。息子が名進研に入って、分からない問題を聞かれた時、最初のうちは、「あー、この単元のこの問題、よく出るよね。」と上から目線で話し、解答集を横目で見ながら教えていましたが、学年が進んでくるにつれ、解答集を見ても全く分からなくなり、最後は息子に「ここが分からない。」と聞かれたときは、「難しい問題だね。」としか答えられませんでした。昔の自分の中学受験の経験は全く役に立たず、むしろ有害でした。今の中学受験の学習量は増加し、学習内容や出題方法も多様化していました。

 ということで、学習面は名進研の先生方にお任せでした。名進研で配られる大量のプリントの整頓ぐらいは母の出番かな?と思いましたが、息子の方がプリントの整頓をするのが息抜きになっていたようで、私の出番はありませんでした。唯一私ができたのが、「どこを復習したらいいか分からない」という息子の声に答えて、復習箇所を表にし、終わったら好きなスタンプを押すことができるように「スタンプ表」を作ったことです。壁にスタンプ表を貼り、学習箇所を終えたら少しずつスタンプを押して達成感を味わっていたようです。

 十二月のプレ中学入試で成績が下がり、夫婦で名進研の先生と面談をしていただきました。その際に感じたのは、先生方がお忙しい中でも本当に一人一人の生徒のことをみていてくださる、ということです。そしていつもアドバイスは根性論ではなく各科目具体的でした。テスト復習ノートの先生方のコメントに親子でどれだけ励まされたか分かりません。

 最後に、名進研で培った「学ぶことの楽しさ」を、息子が中高6年間でさらに机の上以外の世界にも生かしていってほしいなと思います。そして中学受験を通して、親にも「学び」の経験を与えてくださった名進研に感謝しかありません。ありがとうございました。

名進研でよかった

 息子が中学の入学時に東京に帰る予定でした。他の塾も見学しましたが、東京の私立中の合格実績や詳しい情報をお持ちの先生がいらして、面談のときに面倒見が良さそうだな、と感じたので名進研に入りました。

 息子は四年生の春期講習からお世話になりました。算数の計算問題を夜11時すぎまで私と頑張ったことを、今では懐かしく思います。名進研の話を毎日楽しそうに話していました。

 うちは四年生から算数が難しく感じていたようで、宿題は主人のサポートを受けながらやっていました。六年生の七月まで日曜日は野球もしていたこともあり、算数の復習に時間があまり取れなく不安でした。

 五年生になりコアママスターのテキストに変わり、ますます算数が難しく感じたようです。最初の算数の実力テストでは44点、偏差値52で本人もかなり落ち込んでいましたが、すぐに取り戻す気持ちで頑張って二回目の実力テストは、70点に上がり偏差値も60に上がりました。

 五年生のときは成績も上がり下がりを繰り返しましたが、志望校を考え始めました。先生からお電話をいただいたときのアドバイスをできるだけ出来るようにしました。

 五年の後半から六年の前半に算数がかなり難しくなってきて、プレ中学入試の成績も下がりました。息子は一人で確認問題を解くことも出来ないことが続き、泣いて怒り、名進研を辞めようか悩みました。

 オンラインの配信をみても分からず、親または先生のサポートなしでは出来ません。その頃、主人と息子が喧嘩したこともあり、一人でやると言い出し、それが少しずつ算数をやるきっかけになり、分からなければ質問カードを出しました。八事校で作ってくださった小問集合プリントをとにかく出来るようにして、分からなければ質問カードを出して教えていただき助かりました。

 夏期講習もどうにかこなすも総仕上げテストでは点数が取れず、九月中旬になりこれでは志望校には入れないと思い、算数、理科、国語の面談を申込みました。算数はどのへんが出来ていないか教えてほしいとお伝えしたところ、お世辞だと思いますが、○○君なら出来ます(涙)とおっしゃって下さり、とにかくその言葉を信じてやるしかないと思い、何をやれば良いかアドバイスをいただきました。

 それからもあまり偏差値は伸びませんでしたが、最後のプレ中で算数は偏差値60を越え嬉しかったです。

 どのあたりを復習すればよいかを質問して教えていただき、とにかく出来るだけやれるまでやり、分からなければ質問カードを出して教えていただき有難かったです。本当にありがとうございました。

 九月から過去問を解き始めましたが点数が悪く落ち込んだり怒ったり大変でしたが、出来るよ‼先生もそう言ってくれたよね、と励まし続けました。

 SAPIXオープンの結果も第一志望にははいつも20%から40%で、第二、第三志望校は三回目あたりまでは80%でしたが、四回目は60%で焦り不安でした。

 息子も受かるかわからないと言い出しましたが、大丈夫だよ‼出来るよと言い続けました。

 冬期講習は過去問のやり直しがほとんど出来ていなかったので受講を迷いましたが、先生方と相談して受けました。その結果、実践形式の問題演習、難しい問題を解き、かえって志望校の問題が易しく感じたようです。

 入試当日、午前終わり午後テストを受けて夕方には午前の結果が車の移動中にわかりました。息子の合格をみた瞬間に涙がたくさん出て家族で頑張った甲斐があったなとつくづく思いました。

 手のかかる息子ですが、八事校の先生方の的確なご指導とサポートのお陰で志望校に合格することができました。分かるまで質問対応してくださった中嶌先生、効率のよい問題の解き方を教えてくださった浅岡先生、受験勉強をせずに合格点数を取る授業をしてくださった神谷先生、沢山の質問対応をして下さった中村先生、本当にありがとうございました。

 名進研は名古屋の思い出になりました。

本当に最後の最後まで子供の成績は上がります

 娘は五年生から中学受験の勉強を開始し、夏に名進研入会。六年生ではSクラスに在籍、南山中学女子部を目指して頑張りました。少しでも参考になる方がいればと受験生活の様子と、意識して行ったサポートについてお伝えさせていただきます。

 五年生の五月に娘が「私、中学受験をしてみたい。」と言い出し、我が家の怒涛の中学受験生活が始まりました。

 中学受験を考えていなかった我々は、近所の自習型の学習塾へ入塾。父娘で一緒に四年単元の復習をしながら夏まで過ごしましたが、父娘の衝突も避けられず、自習型の塾の限界を感じ、五年生の夏期講習で転塾を決意。名進研への入会にあたり、名進研からは速さと割合の復習だけはしておかないと厳しいと言われ、五年生の夏休みの前半は父娘で速さと割合の単元学習を徹底。八月からJAクラスで入会しました。入会してすぐ勉強の楽しさを知り、モチベーションが一気に上がった娘は、毎日9時過ぎまで自習室に残って勉強をしていました。成績も急激に伸びて、六年生からのSクラス入室許可を獲得。

 娘は「Sクラスも挑戦してみたい」ととても前向きだったので、勢いそのまま校舎を変えてSクラスへ行くことを応援し、南山中女子部を本格的に意識するようになりました。

 正直六年生前期は授業についていくのが精一杯で、与えられた課題に追われる毎日でしたが、優秀なクラスの中で学べていること、毎日楽しそうに塾へ通って遅くまで自習をしていました。秋からの過去問演習も初めは散々なものでしたが、十月・十一月と続けていくと試験問題に対応できるようになっていき、娘の成長を感じることができました。南山中女子部の過去問の合格最低点を初めて超えたのは年の明けた一月初めでした。

 娘を見ていると試験の前日まで成績が上がり続けていたように感じます。南山中学女子部の試験が終わったとき、娘は手ごたえがあったようで笑顔でした。

 勉強開始の遅かった我が家の受験ですが、最後まであきらめず楽しく学び続けた娘の努力が、合格という最高の結果につながったのだと思います。

 以下は親として意識したサポートです。

【五年生】
 とにかく勉強スケジュールの作成に時間を割きました。1週間単位で具体的にその日にやる範囲を示して、土曜テストゼミ・実力テストに向けて、授業内容を復習し定着させることを意識しました。テスト範囲は最低でも2周。わからない問題は先生に質問し、わからない問題を無くす努力を継続しました。範囲のわかっている復習テストなので、勉強をすれば必ずよい成績が取れます。正直、親の頑張り時は五年生までだと思います。

【六年生前期】
 問題の難易度が上がったため、勉強に関しては塾に完全に任せました。学校の特色などもあまり把握できていなかったのでこの頃に学校見学や説明会も参加。どう転ぶかわからない中学受験なので、受験予定の学校すべて魅力的であることを知ってもらいました。

【六年生後期】
 基本勉強は塾へ任せていましたが、週末に行う過去問スケジュールを組んで、一緒に解いたりしました。過去問を一緒に解くことで、娘の弱点も把握できましたし、さらに問題の意図を一緒に考えたり、難問を娘に解説してもらうことで、娘も十分に理解できていない部分を塾で確認するなどしていました。

 この時期になると模試の結果などで親の気持ちも穏やかではいられませんが、塾でしっかりと勉強してきているので、自宅では小言は言わず、気持ちよく勉強できるよう心掛けていました。塾を信じて頑張る子供を、親は信じて見守るしかないのかなと思います。

 最後に、娘にとって塾でもらったハチマキは宝であり大きなモチベーションにもなっていました。この名進研の伝統を継続してもらいたいと切に願います。

教室長の一言と不合格が息子を成長させてくれた

 小三の夏から小六の夏までを海外で過ごした息子。小学校の転校も多く、中高は同じ環境で同じ友達と過ごさせてあげたいという両親の意向で中学受験をすることになりました。

 小四の二月から大手海外提携塾に通うも、通塾回数は少なく、宿題はやらない、友達と遊ぶ日々、勉強イヤ、塾やめたい、「日本に帰ったらテレビもゲームもやめて勉強するから。」の繰り返し。小六の夏に帰国、いくつか塾を検討しました。先生と子供、保護者とも距離の近い名進研に私が好印象で、体験授業が楽しかったと息子が名進研を選びました。何とか入会テストをパスして、大型校での夏期講習が名進研デビューでした。それまで長時間勉強をしたことのない息子にとって、夏期講習はまさに苦行のような日々でしたが、初日に算数のH先生がご自身の頭皮と等比数列をかけて面白い授業をしてくださったり、国語のI先生も毎日大きな体のすべらないエピソードを話してくださり、辛い勉強も楽しいと思えていたようでした。そして夏期講習総仕上げテスト、息子は所属校舎で1位の成績をとりました。次のプレ中学入試も、その次も……。意外にも1位がとれてしまったことで、家に帰ってきてもダラダラしながらテレビにゲーム、やっと勉強するかと思ったら「塾で集中して疲れているんだ。」と早々に寝てしまい、宿題をやらない。何とか塾に行くまでの時間や夜、休みの日に宿題をやるよう促し、やらせてはいましたが、宿題が完璧に終わった週は一度もありませんでした。分からない問題があっても捨て問だと解説は読まない、面倒だからと質問にも行かない。室長に相談すると、「確かに授業には集中しています。彼に必要なのは必死さだけです。」と。

 そして十二月中旬、息子を変える事件が起きます。十一月から日曜志望校特訓をやめたがっていた息子。その理由はいくつもあり、時間が長いこと、日曜日に早起きして大型校まで行くのが嫌なこと、毎週終わらない宿題も日曜日が休みになればできる、ということでした。「ずっとやめたいって言っているのに、やめさせてくれないのはお母さんじゃん。もう来週から行かない、やめる。」と息子。どう言い聞かせても聞かないので室長に電話しました。「面談しましょう。絶対に怒らないので連れて来てください。」と室長。だけど息子は「絶対怒るから行かない。N先生とお母さん、二人がかりでつめるから嫌。」と言って聞きません。平謝りの私に室長はこう言いました。「本当に怒るつもりはなかったのですけどね。ただ受験をどう考えてる?と聞きたかっただけです。JSクラス1位の席に座っている子が毎週宿題ができないというのはどうかと思いまして。皆必死で宿題をやっています。」と。さらに受験初戦校に選んだ函館ラ・サール中学校への受験理由が、名前がかっこいいから、というのも室長には引っかかっており、それも含め、受験をどう考えてるのか聞きたかったそうです。

 その後、室長との電話の内容を伝えたところ、息子は黙って何か考えている様子でした。それから数日後、受験初戦校を函館ラ・サールから、西大和学園の東海受験に変更したいと言い出しました。息子の中で何かが変わったようでした。西大和学園に向けた対策を始めました。それまではお風呂上がりにゲームをしていた息子が、お風呂上がりにも西大和学園の過去問に取り組むようになりました。真剣に解説を読むようになりました。求めていた必死な姿でした。しかし結果は不合格。落ち込む息子。初戦校不合格、受験校選択が間違っていたのかもと私は後悔しましたが、息子はすぐに吹っ切れて、翌週行われる西大和学園の本校受験にリベンジしたいと言いました。もし合格しても進学するつもりはない学校に、こんなに必死になっている息子に私は驚きました。しかし西大和学園本校受験も結果は不合格。同じ学校からの2回目の不合格通知、また落ち込んでしまうかと、室長も私も息子のメンタルを心配しましたが、息子から返ってきたのは意外な言葉でした。「悔しい。努力が足りなかった。こうなったら残りの3校(名古屋、東海、滝)すべて合格しないと気が済まない。」その後も勉強への必死な姿勢は変わりませんでした。

 息子は宣言通り、名古屋スカラー、東海、滝に合格することができました。東海の受験会場から出てきた息子は晴れやかな表情でこう言いました。「今年は簡単だったのかもしれないけど、問題が簡単に感じた。西大和学園が難しかったからかな。西大和学園受けて本当によかった。」二度の不合格通知をもらい、挫折を味わった西大和学園に対して、そんな前向きな言葉を聞けたことが私は嬉しかった。息子の成長を感じ、中学受験をしてよかったと心から思えた瞬間でした。愛知県の学校だけを受験してすべて合格していたら、きっと息子は天狗になっていたと思います。誰も勧めていないのに、自分から西大和学園を受験したいと言って挑戦して、不合格だった悔しさがより息子を成長させてくれました。今、プレ中などで東海、南山女子、滝に偏差値が届いている後輩の方には、どんどん県外へ飛び出して、より上の学校に挑戦してほしいです。上には上がいます。

 名進研でお世話になった先生方、本当にありがとうございました。長文を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

名進研 中学受験コースJunior high school exam course

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