受験も卒業式も終わり、やっと心穏やかな毎日が送れるようになった今日この頃です。

ちょうど一年前、六年生の三月から弟の転塾と同時に娘も名進研にお世話になることになりました。娘は小学校受験以来、他塾に通っておりましたが、マイペース。中学を受験したいと言うものの、このままでは危険と思った親の私も、この時期に転塾するリスクを考えると、すぐには決断ができませんでした。しかし、名進研の室長より何度かお電話をいただいたのを機に、親子共々今までの塾にはなかった名進研の熱意と情熱に魅かれ、名進研に賭けることに決心しました。

入会してからは、名進研の様子もよくわからず、名進研の宿題をやるだけが精一杯。毎日がただあわただしく過ぎていきました。六月からは、名進研テストゼミも始めました。でも予想以上に名進研のレベルは高く、成績がリストに載ったかと思えば翌週は成績が下がり、浮き沈みの繰り返しでした。夏休み頃から名進研のお友達の影響もあり、授業のある日は名進研の自習室で勉強するようになりましたが、ただ自習室に座っているだけで、どれだけ学習が身についているのかは疑問に思っておりました。秋の名進研プレ中学入試で志望校の合格率が出るようになると、第一志望はほど遠くても他の志望校の確率が良いと娘は安堵し、娘の性格上妥協するのではないかと親心はハラハラでした。

そして迎えた受験期は、自信満々の娘に対し、県外校の名古屋中学校受験の不合格を皮切りに至難と波乱の日々となりました。娘本人が学校を休んで勉強したいと言い出し、娘の今までの状況から効果が上がると思えないと反対しましたが、意志は固く、私も仕事を最低限に絞り込み、名進研に行っている時以外は娘と二人三脚の日々が続きました。しかし、苦手な算数が他教科でカバーできず、その後も娘の自信とは裏はらに二回、三回と不合格通知が届きました。それでも、どこか一校は必ず合格すると言い張る娘の危機感のなさとノー天気さに親子関係は険悪となり、修羅場と化していきました。

第一志望校の不合格通知を手にした後、その直前にいただいていた県外校の二次試験の補欠合格の状況が極めて合格に遠い事を知りました。昨年は繰上合格が一人だった事を知ってしまったのです。どうしても公立には行きたくないと言う娘がレベルを落とした中学の二次試験を受けたいと言い出し、親子関係は最悪になりました。合格という形だけは、かなえてあげるが、入学はさせないという約束で受験料を振込んだ日の夕方、県外校より正式合格の連絡をいただきました。あれほど望んだ合格を手にしたにもかかわらず、現実となると思春期の六年間を親元から離す不安、その先大学も県外に進めば、もう娘と暮らす事はないかもしれないという思いで、主人は素直におめでとうとは言えず、夫婦ともぎりぎりまで入学させるか迷いました。

そして今、何度か足を運んだ県外校の先生のきめ細かい指導と配慮にふれるたびに、この学校が第一志望校に匹敵する位置づけとなりました。名進研と同じく先生方の熱意と情熱、高い志に娘が勝ち取った光り輝く未来への道へ後押し、賭ける事にしました。

娘も言います。名進研に行かなければ合格はありえなかったと。名進研の先生方には最後の最後まできめ細かい御指導でお世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

最後に、親として名進研の保護者会で御指導を受けたにもかかわらず、子供をほめることがなかなか出来ず、口出しを多くしました事、反省の至りです。次なる弟の受験で再び名進研でお世話になりますが、この経験を十分に活かして生きたいと思っております。