名進研 合格体験記
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保護者の声・評判(中学受験)

親ができること

 「自分は中学で硬式テニスにどっぷり漬かりたいから、中学受験したい」と言い出したのが四年生の時。公立中学進学しか考えていなかった私たち親にとっても、初めての中学受験という体験でした。「自分の人生は自分で決める」が合言葉の家庭なので、息子の意思は尊重しましたが、親としてどんなサポートができるのか、ずっと考えながら過ごした三年間でした。

 親の関わり方は家庭の事情やお子さんのタイプで千差万別だと思います。我が家はフルタイムの共働きな上に勉強につきあう忍耐力に欠けていて、勉強は完全に名進研にお任せでした。では、親はどんなサポートすることができるのでしょうか?

 人の一生は選択の連続です。名進研のテスト直しをするかしないか、答えを写すだけかもう一度解きなおすか、わかったふりをして早く終わらせて遊ぶかわかるまで解説を読むか、わかった気で済ますか答えを見なくてもできるレベルまでやるか。一瞬一瞬の選択の積み重ねで人生が変わってくるのですが、大人だってわかっていながら楽な方に流れることもあります。子どもの隣に座って監視する(笑)時間も忍耐もないので、どうしたら本人が自ら、将来の成果を導く選択をできる人になれるのか、どうしたらその成長をサポートできるのかを試行錯誤しておりました。

 そんなとき名進研の先生方の子どもたちへの接し方は本当に勉強になりました。自分の意見や感想を言うより先に、まずはとことん子どもの気持ちを引き出し、共感する。そして、結果をほめるのではなく、取り組んだプロセスをほめる。そして先生方が自分のことのように喜ぶ。自分の子どもだと、どうしても距離感が近く、「どうしてこうしないんだろう?こうすべきだ」という思いばかりをぶつけがちですが、先生方の声掛けをみて、こうありたいと何度もハッとさせられました。

 我が家の場合、親が子どもに関心を持ちつつも口出しはなるべくせず、親は親の仕事に熱中することで適切な距離感が保たれ、子どもから自ら何をすべきかを話してくれるようになりました。試験直後に「試験どうだった?うまくいったの?」と聞きたい気持ちをぐっと抑え、ただ「お疲れ様」とにっこり。そうすると無口な息子も自分のタイミングで試験がどうだったかを話し出してくれました。その時「どうしてできたんだろうね?何をやったのがよかったのかな?」「難しかったんだねー。今度はどうすると解けるだろうね?」など子ども自身に考えてもらうようにしました。答えがあるときもあれば、わかんない。と答えがでないときもあります。でも答えは必ず子ども自身がもっていると信じていました。

 受験直前に、名進研の先生からは親ができることは「お子さんの健康管理です。」と言われました。しかしながら、母親である私が入試直前にインフルエンザにかかり、一週間も家の中に一番危険人物がいる状態で、ごはんも作れず、受験にも同行できないという失態をしてしまいました。しかしながら「自分のことは自分でやる」、「自分の人生は自分で決める」を徹底していたためか、本人は親に頼ることなくクールに入試に出かけました。親がいなくても、受験会場で先生方が待っていてくださったほうが心強かったのかもしれません。

 スティーブ・ジョブズの言葉に「今日が人生最後の日だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか」とあります。
数か月先の合格を目指して勉強はコツコツやるけれど、我が家の場合は、一日一日一瞬も大切にすることを心掛けました。日々生活を受験勉強だけに囚われず、学校生活や友人との遊び、テニス、家庭での団らんの時間、趣味の読書、等々、やりたいことは我慢せず受験勉強と両立し、楽しく充実している時間を一日一日積み重ねました。

 その結果、充実した受験生活を過ごし、第一志望校に加えチャレンジ校にも合格することで達成感を得られたようです。これから第一志望校で思いきり部活に励み、将来の夢実現に向けての一歩を踏み出します。受験への取り組み方は家庭によって様々だと思います。これから受験の皆様もそれぞれのご家族にとってベストなアプローチで、満開の笑顔で春を迎えられますように!

さくら咲く

 娘が、四月から念願の愛知淑徳中学校への進学がきまりました。
 所属校及び講習等でお世話になりました先生方には御礼申し上げます。

 娘が名進研に通うようになったのは三年生の夏期講習からです。もともと我が母校への進学を希望し入会したものの、娘は四年の時初めて愛知淑徳中の学校説明会に行き、「淑徳に行きたい‼バトン部に入る‼」とキラキラした眼差しで言いました。それからは「淑徳に入る」ということにブレる事なく、四、五年生は年一回JAクラスで授業を受けることもありましたが、JSクラスで六年生を迎えました。

 六年生になり、得意だと思っていた算数に躓き、出された課題をうまくこなせなくなってしまいました。うまく回らなくなってきた第二、三回のプレ中学入試ではJAクラスで授業を受けることとなりました。
 やはり悔しい悲しいという感情がおさえられないし、勉強も難しいし本当に本当に苦しい二ケ月でした。でも壁にぶつかると必ず先生が補習を組んで助けてくださいました。夏期講習ではもう一度再復習で、わからなかった単元を見直すことができ、後期はJSクラスで卒業まで過ごす事ができました。
 四、五年では難しい問題にも取り組んできたものの、基本が欠落していることがよくわかりました。
 夏は基本事項の徹底に力を入れました。以前に難しい問題に取り組んでいたことは悪いことではなく、プレ中学入試などで解けたりもするのでそういう点では助かりました。

 ゼミはKS1で踏んばっていたのに後期の編成でKS2に下がりました。最後までクラスアップはありませんでした。
 愛知淑徳中の合格判定はずっと、50%以上の範囲でした。「愛知淑徳中プレ入試こそは」との思いが空回りし、なんと20%未満という判定をとってしまいました。
 その時はさすがに、どう声をかけようか、翌日は最後のプレ中学入試だというのに…見せないでおこうか、とも思いましたが主人とも相談し娘に結果を見せました。
 どんなときも冷静な娘がその結果を見た途端大泣きでした。いつもは出来なかった事の指摘もするのですが、この時はただただ抱きしめて慰めるしかありませんでした。
 ここまできたら、後は上がるだけしかないんだから‼

 そうこうしているうちに冬期講習が始まりました。D講座を受講しました。友達はみなC講座を受講で、娘は「私はこれでいいのか」と思っていたようですが、後期の偏差値は常に50台という事で冬も難しい物をやるのでなく、もう一度基本を固めることに重点をおきました。

 一月になり、入試まであっという間でした。
 当たり前ながら勉強しない日はありませんでした。
 私は学校に行きながら受験勉強をするスタイルで進めたかったのですが、インフルエンザの猛威と間に合わないという焦りで愛知淑徳中の受験前一週間は学校を休んでもらいました。
 午前中は過去問を解きまくりました。
 午後は課題をきっちりこなし名進研に行きました。
 過去六年間分の過去問もこの時期なのに三周目でしかなく、七割程度の完成がやっとでした。過去問も先生にその都度質問をし、分かるまで何度も聞いていました。
 最後に、最悪な結果だった愛知淑徳中プレ入試の問題も解き直した結果、50点以上あげ平均点よりも30点以上アップしたことで、相当な自信がつきました。
 聖マリア女学院中に特待合格、金城学院中にも合格と、いい波に乗り続け、愛知淑徳中の前日ではありますが、自信をもってもらうために南山中女子部も受験しました。結果は残念でしたが、第一志望校の合格奪取にのぞみました。
 金城学院中に合格をいただいてから、愛知淑徳中の受験一週間前の集中と頑張りは今までとは違っていました。受験二日前ぐらいだったか、もう悔いはない‼やりきった‼とも思えるほどでした。

 愛知淑徳中の受験当日は校舎の先生が応援に来てくださり、あたたかい声をかけてくださいました。今までを振り返るともう、涙がでそうでした。娘にも「もう、少しも悔いはないから思いっきり行ってらっしゃい‼」と送り出しました。
 娘は、ずっとずっとこの日のために、ただただ前を向き頑張りました。そして試験会場に一歩ずつ力強く歩む娘の後ろ姿は自信に溢れたくましくも感じ、私はただただ祈り続けるしかできませんでした。
 試験が終わり戻ってきた娘の顔はホッとしていていい顔つきをしていました。いい結果がもらえたらいいなと思うものでした。
 難しかった?と聞いたら算数と理科がすごくできたのと、社会はいつもより出来、苦手な国語はそこそことの事でした。
 よく頑張ったなぁと誇りに思いました。あとは神様にお祈りするのみ。発表まで本当に長かったです。

 発表の日は学校を休み結果を待ちました。そして、待ちに待った喜びの結果を手にすることができ、親子で泣きながら嬉しくてたまりませんでした。この喜びと試練は一生忘れることはない人生の宝物だと思います。
 小さい頃からずっと見守り続け、最後の最後まで諦めないでくださった校舎の先生、お世話になりました先生方、そして娘を通じ仲良くさせてもらっていたお友達とお母様方、私たち親子はそんな皆さまの支えなしではこの受験を乗りきれませんでした。こんなに大変で戻りたくないとも思える日々ですが、とても大切に思え、終わるのが寂しいとも感じているなんて…本当にありがとうございます。感謝以外ありません。

 これから続く名進研生のみなさん、次は皆さんの番ですね‼何が大事かって、体調を万全にしてのぞむことが一番大切です。夢に向かって羽ばたいてください!祈っています!

かけがえのない時間

 娘は五年生の四月から入会でした。学校の宿題だけではもの足りなくなり、より高いレベルで勉強させたいと思うようになり、最初は中学受験を考えずにいくつかの塾を見学しました。そして、その中で何となく受験を意識し、母親の直感から娘には受験に立ち向かう素地がある、中高一貫で落ち着いた環境で学べる私立中学が向いているのではないか、と思うようになり、実績の高い名進研を選びました。

 ただ、私も主人も名古屋圏出身ではないためこの辺りの私立中学については無知で、軽い気持ちで、うまくいかなくても地元の公立中に行けば良い。と今思えば浅はかな考えでスタートさせてしまいました。

 五年生のうちはテストゼミは受けていませんでしたが、最初はついていくのでやっとで、娘は特に算数で苦労していました。それでも嫌がらずに通い自習室にも遅くまで残り、毎日必死で課題をこなす日々でした。娘は一か月に一回の実力テストに向けて励むというリズムで頑張っていました。JAとJSクラスをいったりきたりでしたので、ときどき頂く先生方からの電話に親はとても励まされました。ただ今思うと余裕のある五年のうちにもう少し親として基礎的な勉強面でサポートできれば良かった。と後悔があります。更に、親として気を付けていた自負はあったものの、もっと低学年からの長文の読書習慣や言葉の基礎知識、社会の時事問題や生活の中の理科的な知識を与えてあげていたら、と必要性を痛感しました。ある程度の土台は家庭で作れます。日常で少しでも意識して関わることで力になると思います。

 六年生になりテストゼミの結果に一喜一憂し、プレ中学入試の偏差値が毎回重くのしかかってきました。秋になりやっとJS1に上がったのに、最後のプレ中学入試でJS2に落ちてしまい席も後ろに。誰よりも頑張っているはずなのにもう量質転化は来ないのか、どうして…親子ともに落ち込みました。このままでは、第一志望の滝中学校に届かないのではないか。不安に押しつぶされそうでした。
 ただ、最終的にすべてを受け止めるのは親です。どんな結果でも子供を丸ごと受け止めてつぎの未来へつなげていく責任を強く感じ、前向きに気持ちを奮い立たせました。そして結果に絶対に後悔はしないという覚悟で、私自身もやるべきことをやろうと誓いました。
 そこから、今まで以上に細かく、テストゼミ結果、ノート、プリント全てに目を通し、整理し、時事問題を新聞から切り抜き、予想を立て、国語の間違えた語句や漢字を単語帳にビックアップし、メモを作り、学校にも持たせ、家中に暗記用語を張り出し、会話の中で質問し、毎日学校から名進研へ直行できるように送迎と栄養バランスを考えた食事を作り、朝30分でも一緒に娘と漢字ドリル、国語のサーパスに取り組みました。主人が作成した、算数の苦手単元をアレンジした父プレなる問題集も登場しました。双子の妹たちは毎日名進研に弁当を届け、明るく励まし応援し続けました。家族一丸となって取り組みました。

 そして迎えた滝中学校の受験日前日、最後の授業を終え、迎えた車の中でおし黙ったままの娘に声をかけると「もう先生たちの授業を受けられないのがさみしい、仲間と別れてしまうのがさみしい」と言って泣き出したのです。名進研に通っていて初めて見せた涙でした。思ってもみなかった娘の成長に私も涙が溢れて、中学受験にさせたのは間違いではなかったと、やっと心から思えた瞬間でした。そして名進研での勉強が娘のものの見方や想像力を豊かにしてくれたことが大きな喜びになりました。
 頂いた合格。誰よりもひたむきにコツコツと努力し続けた娘を応援し、熱心に指導くださり、励まし続けてくださった校舎の先生方、本当にありがとうございました。

親にも不可解な大変革

 始まりは新聞か何かに載っていた某社の通信教育をやってみたいという本人の意志でした。それはまだ三年生の時のこと。
 その後、南山中学校女子部の説明会にも出かけ、何となく中学受験することになるのかなという感じでした。ひょっとするともう既に本人の心の中では南山中女子部に入学するという固い意志が芽生えていたのかもしれません。
 中学受験するには通塾は不可欠であろうことは承知しておりましたが、近所に名進研がなく、最も近い校舎も一人で市バスに乗って通う必要があったため、入会テストは受けたものの四年生では無理と判断、五年生からの入会となりました。

 習い事はピアノとバイオリンを小さい頃からやっていました。さらに通信教育も継続していたため、毎日スケジュールに追われる状況でした。むろん友達と遊ぶ余裕やゲーム、テレビの時間もどんどんカットされていきます。
 親としては遊び盛りの年頃にこういう制約を加えて受験勉強に集中させるということに対し、精神面での影響を危惧しましたが、本人も志望校合格のためには並大抵の努力では困難であることを承知しているようで、なんとか乗り切ることができました。最終的には六年の夏休みのピアノの発表会を最後に名進研以外のものをすべて休止し、受験勉強に一本化しました。

 学習面では通信教育をやっていたので名進研の授業に対するギャップは感じてなかったようですが、スタートはJAクラスでした。すぐにJSクラスに昇格しましたが、南山中女子部の偏差値はとんでもない値で、志望校として名前を挙げることすら身の程知らずと言ってもいい状況でした。ちょっとテストの成績が悪いとJSをキープできるのか心配といったレベルで、実際JAへの降格も経験しました。

 一年経っても成績はさほど変化がなく、JSは維持していたのですが、二回目のプレ中学入試で一気に偏差値を65近くまで上げ名進研の先生をびっくりさせる事態が起こりました。これはまぐれかと思いましたが、以後南山中女子部を第一志望と公言することがあながち無謀ではない成績になってきました。
 いったいこの時点で何が起こったのか、先生方も本稿を読まれている皆様も成績が飛躍した原因に興味が持たれると思うのですが、残念ながらいつも勉強を見ていた親としても思い当たるものがありません。
 あえて言えば六年生になってから始めたテストゼミの効果だったのでしょうか。前期TN3で始めたのですが、後期は一気にTN1に二階級突進しました。ですがこのクラスはさすがに家賃が高いとみえ黒星を取ったこともありました。また、トップレベル講座EXの受講資格も獲得しましたが、開催校が遠く受講はできませんでした。それでも南山中女子部の合格を勝ち取りました。俊秀でなくとも諦めないでチャレンジしてください。

 娘はピアノの発表会でもそうでしたが、どちらかと言えば本番でも緊張しないタイプなので、そちらの面での心配はありませんでしたが、何と言っても一番の心配はインフルエンザを始めとする体調不良でした。
 そういった意味でかどうかはわかりませんが、娘は10時には勉強を切り上げてそそくさと床に就いていました。
 受験日が近づくにつれインフルエンザが猛威を増してきたこともあり、親の方も健康面ではドキドキひやひやの毎日が続きましたが、本人共々体調を崩すことなく無事過酷な受験を乗り切ることができました。

 終わってみればなんと四戦全勝という華々しい戦績でした。周りの子らが楽しく遊んでいた中、孤独な受験を勝ち抜いたこの経験は、きっと将来有益なものになるだろうと確信しています。

「テストゼミ」クラスにこだわり続けて

 すべての試験が終わり進路が決定したとき「名進研に行かせて良かった。二年間名進研の先生にお世話になって良かった」と思いました。息子は人前で自分の思っている事を言うのが苦手と思い込んでいた私は、最初個別指導の塾でお世話になっていました。マイペースで課題は山積みしているのにやる気になれませんでした。
 五年生になる時「やはり同じ目標を持つ仲間と共に頑張れるところ、東海地区の私学に多くの合格実績のある塾、それなら名進研以外にない」と思い決めました。

 最初の頃は教室に通うだけで予習も復習もしません。毎週末のテストゼミもなぜ受けるのか、わかっていなかったと思います。そんな息子に、今はKS3だけれど必ずTN3かTN2まで進もう、そのクラスで試験に臨めたらいいなと話ました。息子は「わかった」と言うものの、その後もテストは散々でした。また実力テストの度にSクラスとAクラスを行き来しました。テストゼミのクラスもKS2に長く停滞していて、TNクラスは遥か彼方に有るように思いました。

 六年生になり、受験まで一年ない事に焦る私に、「まだ一年もある」と言って、プレ中学入試が始まっても変らずのマイペースです。ゲームも止められませんでした。
 夏期講習が終わった時、これからどう生活するか、どう受験勉強に取り組むか聞きました。息子は自分自身で決心する時が来たと思ったのでしょうか、ゲームは気晴らしに三十分はしたい、他のものはしない、約束のTN2になると言いましたが、夏期講習後はクラスが落ちKS1からの出発となりました。ショックを受けているかなと思いましたが「絶対にすぐTNクラスに戻す」と言い切りそのあたりからやる気スイッチが入ったようでした。
 苦手な算数から逃げない、恥ずかしくとも解るまで先生に聞く、算数は皆が聞きに行くのでお弁当の時間が聞きやすいなど息子なりに工夫していました。

 夫はクリスマスのころから毎日メッセージカードを書き受験の日まで励まし続けました。
 私は第一希望校の受験の日まで、日めくりカレンダーを作り体調を気遣う一言を書き、できるだけ息子の気持ちに寄り添えるようにしました。
 結果は強く希望した名古屋中学校に合格。今まで頑張ったからとチャレンジした滝中学校にも合格を頂きました。
 息子に一番辛かった時は?と聞くと「夏期講習」と言います。夏休みが終わった時、「もう引き返せないと思った」とも言います。
 一日も名進研に行きたくないとは言いませんでした。きっと名進研に行くと頑張れる仲間がたくさんいて、お互いに高め合えたのだと思います。また、熱意ある先生方に教えて頂き感謝しています。ここで学び経験したことはこれからの息子の支えとなり、また頑張ることができると思います。

 ありがとうございました。

子どもと共に

 その日は金城学院中学の合格発表の日でした。いつ届くかわからない速達を朝から娘と二人ドキドキしながら待っていました。良い結果であれば長男から続いた六年間の受験生活を笑顔で終了できる‼その時が早く来て欲しい思いと、残念な結果であった時に娘にどう言葉をかけたら良いのかで複雑な気持ちでおりました。

 お昼過ぎ、玄関先に郵便局の車が停まりました。長男の時にも経験しましたが本当に嫌な瞬間です。心を落ち着かせ押印し、封筒を受け取った瞬間厚みがある事がわかりました。まだ確認していないのに涙が溢れ出て、娘が開封する事になっていたのですが、気づくと封筒を半分開けていました。そこにはハッキリと赤く書かれた「合格」の二文字があり、娘と何度も確認し抱き合って涙して喜んだ事は一生忘れる事はありません。
 この日を迎えるまでの道のりは決して簡単なものではなく、家族一丸となり娘をサポートしてきた事が思い出されます。

 娘は三年生から名進研にお世話になりましたが学校とは異なる勉強に戸惑い、宿題をこなすのが精一杯でした。名進研の授業だけでは到底理解できず、微力ですが母親の私が家で勉強を見る事になりました。
 始めの頃苦手としていた算数は、娘が帰宅するまでに解説とノートを見ながら問題を解き名進研に沿った解き方で娘に教えました。難しい問題には手をつけず、とにかく基本問題を何度も繰り返し勉強させました。その結果六年生の後期からは自分で解ける問題が増え、それが娘の自信にもなり良い結果に繋がったと思います。
 社会、理科については、暗記単元を壁一面やトイレに貼り、教科ごとに大事な単元をまとめたノートも活躍しました。車の中で流した歴史や地理の歌は自然と歌詞が頭に入ってくるのか、覚えられなかった内容もこれで突破する事ができました。
 あとは一番苦手としていた国語です。どうしても点数が上がらず、最後二回のプレ中学入試は30点台という驚く結果に、金城学院中の国語は難しいと聞いていましたので、国語で点差が開けば合格できない不安がよぎり、先生に相談しました。すると対策プリントや過去問等、娘専用に課題を用意してくださり、最後の最後までご指導頂きました。そして点数が伸びない時でも「大丈夫。本番までにあと5点、点数をあげよう‼」出来ない娘にもいつも優しく、最後まで諦めさせない心強いお言葉をかけて頂き、とても感謝しています。ありがとうございました。

 受験を終えて今思う事は、中学受験は本当に特別なものだと思います。本人の実力や努力も必要ですが、それと同時に周りのサポート、恵まれた環境、あとは運があって我が家は合格できたと思っています。
 今受験勉強を頑張っているお子さんをお持ちのご父兄の皆様。受験は人それぞれ違います。一人一人の良い面に気づいてあげてください。我が家の場合でも息子と娘とでは成績も勉強の仕方も異なり、特に娘には息子と比較して心ない言葉を浴びせてしまう事が沢山ありました。それでも勉強をやめたい。受験を辞めたいとは一度も言わず最後まで頑張り続ける事ができたのは、娘の「自分が決めた事は出来るまで頑張り続ける」所があったからだと思います。それこそが娘の良い面だったのですが、受験の時には私は気づいてあげる事ができませんでした。本当にごめんなさいね。

 中学校生活が始まり、慣れない環境で不安に思う事も出てくるでしょうが、苦しかった受験を最後までやり遂げた娘です。自信を持ってこれからの六年間を有意義に過ごしてほしいと願っています。

ポジティブな気持ちと努力の結果

 小学三年の春休み前、姪の中学受験を機に、娘にやってみる? 冗談半分で聞くと「やってみよっかな」と答えたのが始まりです。
以前から私は娘の性格上、地元の公立中学よりも私立中学の環境の方が合うのではと密かに考えていたからです。中学受験なら名進研ですよと某有名大手塾でも勧められ、春期講習直前で入会しました。
 今まで学習塾や、そろばん教室にも通ったこともないまま、そんな世界に飛び込んでついていけるのか不安でしたが、授業は難しいけれどとっても楽しい!と毎回帰り道で楽しそうに授業や新しくできた友だちのことを話す笑顔に安心しました。しかし部活との両立は体力的に大変なこと、友だちと遊ぶ時間も自由にないことなど、本人には辛いことも多く、今までやったことのない学習量の多さと学校の学習との差には戸惑い、宿題をこなすのは本当に大変で毎回半泣き状態でした。

 四年生。計算スピードがかなり遅く、国語の文章題が時間内に読み終わらないほど、初歩的な課題からのスタート。テストの結果は一体何点満点?と聞きたくなるほど。娘といえば、悪びれもせず、きっとそのうち出来るようになる!と。国語は特に目を疑うような悲惨な点数が続きましたが、幸いだったのは、算数担当の先生が親しみやすく、クラスの皆が好きになるような良い先生に巡り会えたこと。通塾のたびに時間をとって熱心に向き合ってくださったお陰で成績が伸び、最後には算数のおかげで下位からSクラスにいくことができました。

 五年生。速読を始め、国語担当の先生方に恵まれて文章題の解き方のコツを掴み成績が伸びて国語大好き!に変身。その反面、算数の担当の先生が異動になってしまうとやる気は一気に落ちて算数見たくもない!時期に突入。私はそのうちなんとかなると思いつつも、時々校舎へ電話をして、授業のあと時間を作って見てくださいとお願いをしていました。しかし、本人はとにかく算数キライだから、と答えをみて宿題を終わらせるような状況で、当然クラスは降格、席順も下がっていきました。娘も当然の結果を受け入れつつ、こんなんじゃだめだという焦りと不安が膨らみ、苛立ちから家族への反抗が強くなり普通に会話することすら難しくなり、私はもう受験やめようと何度も娘に話していました。

 六年生。室長の算数担当の先生が変わり、何となく親子ともにこれで良い方向に変われるかもと予感がしました。すぐに私は先生に、とにかく少しでもいいから、もう一度楽しいと思える気持ちを取り戻せるようにして欲しいと、大変無理なお願いをしました。
 先生は数日で娘の甘えん坊でかまってほしい性格を見抜いてくださり、時間の許すかぎりチューターの先生と娘に声をかけ続けて向き合ってくれました。お陰でほんの少しずつ点数も伸び、誉めるのが下手な私にかわって、ゼミのたびに点数だけでなく、良いところを見つけては誉めてくださるので、娘のモチベーションがまた戻ってきました。もちろん算数がキライですから理科の計算単元も当然苦手でしたが、幸い、理科の先生は女性で勉強以外のことでも話しやすかったので、自分から質問しに行くようになってくれました。しかし五年生の一年間ほとんど嫌々勉強してたのですから、簡単には校舎でのクラスも上がれず、テストゼミもほぼKS4、志望校判定は希望校には到底手が届かないだろうという結果がずっと続きました。その度に落ち込んで苛々する私に対して、本人は次は上がるから!と全く落ち込む様子も気にする様子もなく呆れてしまうほど。室長先生は私の気持ちも理解してくださっていて、悪い結果のときも少し良くなったときも、折りを見てはお電話をくださって、私や娘、時には主人も含め、何度も面談してもらいました。

 冬期講習から正月特訓教室。やっと受験生の自覚が出てきたのがラストスパートのこの時期。
 一人部屋になったとだけ連絡が来て、私のメールにほぼ返信なし。普段は本当に何もできない甘えん坊の娘ですが、迎えにいったときにはいろんなことを乗り越えた自信のある顔で立っていました。
 正月明けの翌週から早速入試スタート。正月特訓教室のエンドロールで流れたhero の歌詞のように、もうあとは娘がやって来た三年間の努力を信じるしかない(何度もビデオに録ったエンドロールを二人で見ました)、私にできたのは体調管理と気分を上げるための勝負飯作り。

 毎週末続く入試期間は私の方が緊張していて睡眠不足になりましたが、本人はプレ中学入試で試験慣れしていたからか緊張することもなく、何度も起こさなければいけないほどよく寝ていました。娘は不思議と最後まで、大丈夫だよ私受かるから、と自分に言い聞かせているような口癖で相変わらずポジティブに入試期間を過ごしていました。
 金城学院中学校の発表の日、不合格通知を見た瞬間、娘は受験生活三年間で初めて悔しくて声を上げて泣きました。絶対あと一問で合格だったから、追加連絡がくるはず。だから待ってる、と。
 私と主人は何も言えず、ただ抱き諦めて一緒に泣くことしかできませんでしたが、娘は二日後に「どこの学校になっても変わらず応援お願いします」と言ってくれて、しっかり気持ちを切り替えて過去問を必死に解き、最後の椙山女学園中学校の入試を合格で終えることができました。

 その後、金城学院中学から追加合格の一報を頂き、大変驚きましたが、娘が言うとおり、本当に一問の差なので普通に合格した子たちと何ら変わりないですし、入学後の頑張りが大事ですよと副校長が仰ってくださったので、憧れの金城学院中学へ進学することに決めました。この合格は、ずっと前向きに努力を続けた娘への最大のご褒美なのだと思います。
 娘が合格を直接伝えたい、と校舎へ報告に伺うと、室長先生始め先生方皆さんで出迎えてくださり、私たち以上に喜んでいただき、娘の本当に嬉しそうな安堵の笑顔に、無事に受験を終えることができたんだなと実感しました。

 この三年間は先生方の支えと、娘だけでなく私にも一緒に頑張る仲間がいなければ合格はもちろん、親子関係が崩壊していたかもしれません。それくらい本当に中学受験は総チーム戦でした。
 三年間毎日欠かさず勉強し続けて、辞めたいとは一度も言わなかった娘本人も立派だと思います。でもそれは先生方が私たち以上に娘のことをいつでも信じて応援してくださったからでしょう。本当に深く感謝しております。そして一緒に頑張ってくれた仲間の皆様、本当に有り難うございました!

「どこへ行くか」ではなく「何をするか」

 小六一月末。二年間想い続けてきた学校から受け取ったのは不合格通知。
 難しいとは思っていたのでその場に掛ける言葉を考えていましたが、実際には号泣する娘を前にすると出てきません。一緒になって泣いてしまい、「頑張ってきたことは変わらないから。」と言うのがやっと。他には何と言ったら良いのかと一人考え迷っていると、娘は名進研の先生とお話したいと言い、自分で気持ちを整理し、こちらが思っているよりもうんと早く立ち直ってしまいました。何とかしたいという気持ちを言葉に出来ず、自分の親力の低さを痛感—。

 親力の低さといえば…。
 小三冬期講習を受け、小四前期より名進研へ通い始めました。本人が突然受験したいと言い出し、慌てて塾探し。名進研の決め手は通塾の便と合格実績。成績順の座席ルールには心配もありましたが、本人は気にすることなく、通い始めた頃は「楽しい、面白い。」の連発でした。
 私の勝手なイメージで、受験は他人を蹴落とし合い、ピリピリしたものだと思っていましたが、名進研は仲が良く雰囲気も良く、さすがに「楽しい」と口にするのは最初だけでしたが、学習量が増えて大変になっても、学ぶ楽しさ面白さは最後まで根本にあったように思います。

 先生方には娘だけでなく私も大変お世話になりました。元々自分から言い出して始めた受験なんだから、を楯に「やる気がないならやめてしまえ。」を何度も言ってしまっていました。
 言ってはいけないと分かっていても言わずにはおられず、そして本心はこれをバネにやる気になって欲しいという思い…、なんて親の心子知らずで、本来であれば共に闘うべきところを母娘間でバトルしてばかり。そんな相談も何度もさせていただきました。
 「お母さんが子をダメにしている!」そう言われても仕方ないくらいなのに、いつも先生方には責められることなく話を聞いていただき、アドバイスをいただき、娘へのフォローもいただき、そのおかげで三年間乗り切れたと思っています。とても救われました。

 長く感じた三年間でしたが、冬期講習からのラスト40日間はあっという間でした。この時期になってやっと木の上に立って見守る「親」になれたように思います。
 ラストプレ中学入試でガクンと落ちても冷静で居られました。先生に励ましと喝をいただき、この時のそれまでに見ることのなかった集中力、もうここまで来られたのだから元気に本番を迎えられれば—。

 小学校は本命受験前四日間欠席しました。インフル大流行の中、受験の為に学校を休むなんて、と綺麗事は言っていられません。が、まさかこの時、陽性反応が出なかったインフル患者が近くに居たとはッ!夫に対し殺意が芽生えましたが、幸いにも娘に感染することなく本番を迎えることが出来ました。
 入試当日。学校まで娘と並んで歩く道。肩と目線がこんなにも近かったっけ⁈と驚きました。娘が問題を解いている間は、この三年間どころか生まれてからの十二年間を振り返ってしまい、保護者控え室で一人顔をゆがめてあくびを堪えるフリ(笑)。

 長かった受験生活、早く終わりたいと願ったし、時には始めたことを後悔したこともありました。終えた今は達成感でいっぱいです。
 タイトルは、先日の卒塾パーティで先生からいただいた御言葉です。この中高六年間をいろんな経験で埋めていって欲しい。娘の人生はまだまだこれから。
 この三年間の経験があるからこの先、大抵の事は乗り越えられると思えます。ここまで導いてくださりありがとうございました。

先生方と私たち親子で勝ち取った合格

 娘は、三年生の三月から、練成教室でお世話になりました。五年生の二学期からテストゼミを受講し、娘も私も受験当日へ向かって、本格的に一歩ずつ歩みはじめました。
 新五年生の授業が始まってから、あと三六五日後には、進学先の中学校が決まっているんだ‼と思うと、ますます気が引きしまったのを、今でも覚えています。不安だらけでした。

 娘は、比較的順調に受験の日々を送っていました。六年生になると「プレ中学入試」が始まり、私立中学の教室で、本番当日のようにテストを受けることができました。公共交通機関を使って、当日に備える事ができたので、練習になりました。
 入試日も、「プレ中で教室まで行ったことがある。」という気持ちにつながり、娘本人も過度に緊張することなく、心落ち着けて合格への扉へと向かいました。

 娘を見ていて、今思うことは、六年生の夏期講習です。親子で辛い日々でした。お弁当持ちで、朝から夕方までびっしり勉強の毎日でした。娘はE1クラスの一番後ろの席でした。
 最前列には、いつも成績優秀で名前が載っている子ばかりで、休憩中にも熱心に勉強する姿勢を見て、娘も真似して勉強しました。その結果、夏期講習の総仕上げテストでは、今までで一番良い結果が出て、私もとても驚きました。
 勉強は努力しただけ、成果が出ると実感したのです。

 月日は流れていよいよ入試直前の最後のテストゼミとなった日の事です。二学期からTN1のクラスで、一度も★黒星を取った事がなかったのに、最後のゼミで黒星をとってしまったのです。私は、「入試直前に一体どういうこと⁈」と怒りが込み上げて来て、校舎へ電話をしました。怒っている私に先生は「苦手な所が分かって、良かった。この結果が入試本番でなくて良かった。と考えましょう。」と。そして、娘に丁寧に教えてくれて、勘違いして覚えていた所を見つけ出し、正すことができました。先生方は私の焦る気持ちも、なだめて下さり。娘にも怒りすぎてしまった、と反省しました。

 娘は滝中学校へ進学します。今は入学式の日を家族でとても楽しみにしています。第一志望の南山中学校女子部からは合格通知をもらえませんでしたが、鶯谷中学校、名古屋女子大学中学校、金城学院中学校、愛知淑徳中学校そして滝中学校に合格する事ができました。
 娘自身が滝中学校へ進学したいという強い気持ちにさせて下さったのも、先生方のおかげです。本当に有難うございました。特に、国語の先生には、夜遅くまでご指導頂きまして、心より感謝と御礼申し上げます。これから受験を控える方々へ、先生方を信頼して頑張って下さい。大丈夫です。

たくさんの感謝

 苦手なことから、目を背けない。
 トラブルがあるのは当たり前、ミスは必ず起きるもの。
 大きな仕事を成功させたければ、楽観は禁物。とにかく怠けずに、コツコツと。
 社会生活で心に留めておきたいことは中学受験にも通じると、この三年で学びました。

 息子は、ルーティンと整頓にこだわっていました。
 名進研から帰宅後、7時30分まで夕食、テレビ。その後、自室で10時まで勉強。風呂に入って10時30分には就寝。翌朝六時に起床―――このリズム、この繰り返しでした。また、ノートやテキスト類はいつも整然と。極力ムダが生じないようにしていたみたいです。
 息子は国語、特に文章題に苦労しました。テストゼミ、実力テスト、プレ中学入試、合計点は、国語の出来で左右されることが多かったです。
 克服するために、納得できるまで、先生に質問を重ね続けていたとのこと。加えて本人の意思で、首都圏の国語に特化した分厚い過去問集を取り寄せ、近寄り難い形相で取り組んでいました。その甲斐あって、入試本番後は「まぁ、出来た」、「記述は全て書けた」と言っていました。

 息子は算数が得意でした。テストというテスト、ほぼすべてで安定した得点源になっていました。しかし、本人曰く、第一志望校の本番では半分も出来ず、トイレで涙を流した、とのこと。
 毎週末、あれだけの数のテストを重ねていても、何が起こるかわからないのが、本番というもの。
 受験も仕事も一緒です。
 翌日の入試は「絶対、きのうのリベンジをする」と会場へ向かい、終了後に「絶対に受かった。絶対に算数、百点。」と、興奮冷めやらず、マスクがパンパンに膨らむほどに教えてくれました。
 得意科目を伸ばす大切さと、苦手科目を克服する粘り強さ、この両方が大切だと思いました。
 
 息子は食べ物の好き嫌いがなく、病気との縁がありませんでした。
 そんな息子が一月中旬から不調を訴え、かかりつけ医から紹介状を渡され、即、入院―――
 なぜ、このタイミングで?
 なぜ、オレの息子が?
 なぜ、なぜ、なぜ、と真っ白になりました。息子も動揺はあったと思いますが、回復期に入ってからは再び、勉強モードに。
 退院したのは、名古屋に雪が積った一月の金曜日。入試本番の前日、でした。

 「受験させてくれて、ありがとう」との言葉を息子からもらって、はや一カ月が過ぎました。
 進学先が決まり、同級生と遊び三昧の毎日を送る息子の机に、栞が真ん中あたりに挟まれた小説「日の名残り」が―――
 息子に、そしてお世話になった方々へ感謝の春、です。

名進研 私立中学受験コースJunior high school exam course

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