名進研に息子が通い始めたのは小二のパズル道場からだったと思います。恥ずかしながら、始まりは受験目的ではなく学童代わりでした。そのためか、三年生の頃のパズルやグリムスクールの時間には気分が乗らないと授業に参加せず、余った机で自分の基地を作って授業の妨害をするなど、どれだけ皆さんにご迷惑をかけたことか。あたたかく成長を見守ってくださり、ここまで辿りつかせてくださった先生方に心からお礼申し上げます。もう辞めさせようと相談した際の先生のお言葉は今でも忘れません。「今は反抗していますが、高学年になると東海中学校を目指すタイプのお子さんですよ」、その頃の私にとって、後に息子がこのような頑張りをみせるとは想像すらしておりませんでした。

 その後も名進研はお稽古気分で、本格的に受験を意識し始めたのは五年生ぐらいからかと思います。小さい頃から通っていたことがアドバンテージとなり、五年生ではTN1クラスとなったものの、なんと黒星スタートでした。しかし黒星の意味もわからず、「評価1」は「最低」ではなく「最高」だと思い込んでいた呑気な親子です(笑)。

 息子はとにかく数字が好きでした。勉強でもスポーツでもゲームでも、得点、ランキング、偏差値、タイム、記録と数値化されたものが大好きです。その数値を共にする勝負事は彼にとってゲーム感覚そのものでした。勝てば嬉しい。負ければ悔しい。個人戦と共に団体戦をも楽しむ息子だったので、ランキング表に校舎の子が何人入ってくるかを毎回楽しみにしていました。
 優秀なお友達に恵まれ、互いに切磋琢磨しながら、励まし合い高め合い、校舎のチームランキングはみるみる上昇していきました。
 「早く上がってこい。待ってるからな」「必ず行くよ。待ってろよ」「今回どうしたんだよ。早く戻ってこいよ」「お前すごいなあ。僕も頑張る」「俺も頑張るから絶対あきらめるなよ」
 ライバルでありながら互いを認め合う友情の会話に、私が涙ぐむ日もありました。

 加えて、算数好きの息子が気づいた自己分析を紹介します。
 成績のバイオリズムです。彼は自分のランキング、得点、偏差値のほとんどをデータとして頭の中に入力しています。頭の中でグラフ化し、周期的な波があることに気づきました。春が不調なのです(黒星も春)。毎年夏休み明けに上昇して冬にピークが来るようです。そうです。まさに二月前半にピークをもってきているのです。本番直前のテストゼミでは全校一位につけ、アスリート並みに本番に照準を合わせてくる目標意識の高さには我が子ながら驚きました。勉強法としては、五年生の頃までは、働く私のお迎え時間に合わせ、自習室を学童がわりに使用しておりましたが、六年生になると、「ママが僕の時間に合わせて迎えにきてほしい」と言い出しました。帰宅後はゆっくりしたいのに「早く宿題のつづきをしなさい」と言われることがストレスだったのですね。

 六年生からは自習室で宿題を終わらせることとし、自宅ではほとんど勉強していませんでした。それでも合格できるのです。なぜなら、自習室の環境の良さです。東海中学受験当日、翌日は滝中学の入試を控え、さすがにお友達は早く帰宅しました。しかしその日は名進研での最終日。息子は8時まで自習室で勉強し、練習を重ねたグラウンドに「ありがとう」とお別れの挨拶をしたようです。眠くても辛くても頑張った「自習室」と、何度も先生に質問した「ロビー」は最も思い出の場所であり、別れの日は涙が込み上げてきたと話していました。

 学年が上がる度に、カリキュラムはハードになります。疲れた授業の後に、これだけの宿題をやらなければいけないのか。土曜も日曜もここまで授業やテストがあるのか。小学生にとって今必要なことはお友達と遊ぶことではないか。母親として、何度も自分の中で葛藤がありました。しかし受験を迎え、名進研のカリキュラムが、全てこの日の為に作られていたものだと実感しました。
 私も組織の中で働いておりますので、息子の受験というよりも、その練りに練られたカリキュラムに感服しました。何度も課題を洗い出し、子供達の体力や集中力を計算しながら、徹底的に傾向を調査し、本番同様の疑似体験を重ねさせるために、最も効果的な対策を練られたものだと受験当日になって実感させられました。親ですから心配はつきものです。しかし、お子様と名進研を信じてください。

 海陽中等教育学校、西大和学園中学校、名古屋中学校、東海中学校、滝中学校と全てにおいて勝利に導いてくださった先生方に心から感謝の気持ちでいっぱいです。ハチマキいっぱいに書き込まれたお友達からの寄せ書きと、ゼミノートに埋め尽くされた先生からの熱いエールは何度読み返しても泣けます。素敵な宝物です。