①入会のきっかけ
 私立を目指したきっかけは、幼児期から通っていた「めばえ教室」で受けたIQテストで良い数値が出たこと、他塾の模試を試しに受けてみたところ全塾で3位になったことなどにより、親バカ全開で欲が出てしまったからです。また、もしも仮に光る才能を持っているならば、生かすも殺すもどのような学習環境を与えられるかにかかっている、つまり親次第なのでは、とも思うようになりました。

 入会したのは、四年の冬期講習からでした。遅めのスタートだったと思います。岐阜県の私共の居住地は都市部とは異なり、周りには、愛知県の私立中学を目指している人は皆無で、私は周りから経験談を聞くこともなければ、学校名すら知らないでいました。何しろ、東海中学を候補に入れていたほどです(笑)。※我が家は、一人娘です。

 塾に望むことは、切磋琢磨できる仲間を得たい、この頃旺盛になっていた知的好奇心を満たしてほしい、この二点でした。名進研は見事にこの条件を満たしていました。そして、アットホームな雰囲気の当該校に決めました。入会すぐのちょうどクリスマスの時期に、池田先生が「世界で一人しかいないサンタクロースが、全世界の子どもたちの家にプレゼントを配る速さ」を、数学的見地から説明してくださったことがありました。娘は楽しそうに目をキラキラさせて私に説明してくれました。私とっては、ふーん。なるほど。という感じでしたが(先生ゴメンナサイ)、子どもの柔らかい心・みずみずしい感性を持ってすると、非常にウィットに富んだ大変興味深い話題だったようで、「名進研はすごい‼おもしろい‼」と俄然やる気になったようです。

 周りに通塾している人が誰もいないので、可哀想だ・大変すぎるなど、いろんな人から反対されました。それは、一年くらい続いたでしょうか。でも、私は通塾させるという意思を絶対変えずに、雑音は無視し続けました。もし、この「お受験」を通して過去の私にひとつだけ褒めてあげる点があるとすれば、名進研を選び通わせたこと、この一点のみです。

②生活面
 私たちの受験を最も困難にした敵があります。コロナです。これは、なんともしがたい脅威でした。我が家の場合、入会して一ヶ月、ようやく慣れたかなという頃に、あの一斉休校となりました。名進研ではオンライン授業がすぐに開始されました。あの時期、私たち親子は、名進研のオンライン授業を軸に生活をし、学びを止めることなく学習を進めることができました。あぁ、名進研に入っていてよかったと心から思いました。通塾に車で片道二十五分ほどかかるため、それから六年生になるまでの一年間は通塾せずオンライン授業を続けることにしました。テストゼミは自宅で受験し郵送しました。あとで振り返ってみると、これも娘の力になったのではないかと思います。分からないところが過ぎてしまうのではなく、分かるまで止まって考えていました。自分のペースで学習を進めることができたのです。そしてしっかり地盤を固めることができたのではないかと考察します。

 六年生になってからは、通塾を開始しました。対面授業での楽しそうな娘の姿に、通えるかどうかなどの不安はすぐになくなりました。共働きの我が家は、夜食が必要な火曜は私の仕事のシフトを調整するなどしてなんとか送迎を続けました。通塾するようになると帰りが遅くなったり、宿題がやりきれず残っていたり、夜遅くまで勉強せざるを得ない日もありますね。でも、10代は、からだをつくる大事な時期です。睡眠時間の確保だけは、鬼のように叱り飛ばしてでも守らせました。「早く寝ろ‼」こればっかり言っていた気がします。五年生では22時、六年生では23時を就寝時間の目標とし、なるべく守らせるようにしました。時には、睡眠不足で体調を崩し、塾や学校を休ませることもありました。あるときは塾の宿題が終わっていなくて、塾に行きたくないとのこと。たまには娘の気持ちを汲んで、休ませることもありました。「勉強よりも塾よりも学校よりも、からだが大事」これを合言葉にがんばりました。

③学習面について
 先生方は細かく生徒を見てくださっています。少し神経質で人見知りをする娘に対しても、絶妙のアプローチをしてくださり、娘は(分かりにくかったと思いますが)完全に心を開いていました。初めの頃は、緊張して質問ができなくて私が代わりにお電話することもありましたが、学習面については、親が介入することはなく、自分で進めていました。宿題を期日までにやることを目標に、次第に自分でスケジュールを立ててできるようになりました。名進研の授業についていくこと、宿題をきっちりこなすこと、もちろんこれだけで精一杯でしたが、これだけをやれば十分に力がつきました。名進研では、なかなか厳しそうだけど、ちょっとがんばればできる‼というような絶妙な位置に課題を設定してくださっていると感じました。我々は、必死についていくのみ‼でした。

 私が、最も参考にしたのは教育検査です。記憶力や作業効率、性格や考え方などを科学的に捉えるものです。子育ては褒めること認めてやることが基本ですね。でも、どんな風に声をかけたらいいのか悩ましいところです。娘の場合は、身近なライバルと比べるのではなく、憧れの存在を持ち、その人を目標にするのが良いと知りました。このスタンスを最後まで実行しました。また、記憶力や作業効率が良い=パソコンでいうところのメモリがまあまあハイスペック、と教えていただきました。ならばこれは、イケる、追い込んでも良いだろう、と感じ、適度な負荷をかけることに決めました。

④入試直前について
 大変だったのは、冬期講習とお正月特訓です。ターミナル校には車で約四十分くらいかかり、お弁当を持たせての休みなしの通塾は親も子もかなりハードでした。コロナが心配で、電車やバスでなく、なるべく送迎をしました。食事の時間も家族でバラバラになってしまうため、作れる時にまとめて作って、他の家族の分も時には昼も夜も、お弁当にして置いておくスタイルをとりました。

 直前期には、学校を休ませました。初めは自主性を重んじ、自分でスケジュールを立てて学習させていましたが、一日中家にいたのに、これだけしかやってない?という成果の日があったため(汗)、先生方が各生徒個別に作ってくださった苦手項目の一覧表を渡し、全てやってマーカーで色を塗っていくように指示しました。そうすると受験直前までには、全部コンプリートしていました。

 四校受験しました。日程順に、鶯谷中学校(特待)、金城学院中学校(スカラーA)、南山中学校女子部、本命の滝中学校の四校を受け、合格をいただき、第一志望の滝中に通います。私の中で、敵は相変わらずコロナでした。娘の実力がついてきているのは、成績を見れば分かりました。あとは、当日受験会場へ連れてさえ行けば、なんとかなる、絶対にコロナにかからせてはいけない、また、アクシデントなく会場にたどり着かなければいけないと思いました。家族の誰かがコロナにかかったら受験が台無しになってしまう。私の方が大変なる重圧を感じ、受験が近づく十一月頃からずっと私だけ吐きそうでした。ところが当日が迫っても、当の本人(と父親)は、アニメやゲームに夢中で、呑気なものでした。受験当日遠足気分で電車の一号車に乗ったり、前泊するホテルの露天風呂ではしゃいだりできる娘を見ていると、なんたる強いメンタルの持ち主かと驚くと同時に、こういうタイプには中学受験は向いていたのだろうなと感じました。思春期の真っ只中ではなく、子どものうちに楽しみながら人生の舵をとることができた、これは有意義でした(ちなみに私は前泊のホテルでは毎回眠れませんでした)。

 最後、滝中の受験の帰り道、「合格体験記によると、母よ、ありがとうと最後の日に子どもから言ってくれるらしいよ」と娘に告げてみましたところ、にや~っと笑って「ありがとう‼」と言いながら大きな雪のかたまりをつくって思いきり私にぶつけてきました。痛くて冷たくて……そんなふうに、なんとも我が家らしく受験を終えました。

 最後に、先生方には大変お世話になりました。二年間通った名進研にもう通わなくなったのは本当はとっても寂しいです。娘のことをよく理解してくださり、真剣にご指導いただきました。娘に身につけてほしいことの一つに、学ぶ楽しさを知ってほしいということがあります。上質な問題、洗練された授業、切磋琢磨できる仲間と環境、そして何より先生方のご尽力により、これが早くも身についたと思います。本当にありがとうございました。